び~ふぁいる

主に未邦訳の海外ミステリーについて語ります

第3回 S.A.コスビー その1

クライム・フィクション界に突如現れた新星SA・コスビー。彼を一躍有名にしたのは、ベストセラーとなった『Blacktop Wasteland』です。こちらは今月ハーパーコリンズさんから邦訳が刊行されます。

 

黒き荒野の果て (ハーパーBOOKS)

黒き荒野の果て (ハーパーBOOKS)

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アマゾンにアクセスすると出版社の広告がでかでかと出てくるのですが、なぜかリー・チャイルドさんのコメントのところがリー・チャールドとなっています。はれ? 誤表記? いえいえ、ひょっとしたらリー・チャイルドさんとリー・チャールドさんは別人なのかもしれません。リー・チャールドさん、何者なのでしょう?

さて、こちらの作品ですが、ハードボイルド、バイオレンス、ノワール系が好きな方なら読んで間違いなし! 訳者が加賀山卓郎さんというだけでももうワクワクがとまりませんよね。そしてコスビーの地位を不動のものにしたのが『Blacktop Wasteland』の次の作品である『Razorblade Tears』です。

 

どんな話なのか、導入部をちょっとご紹介しましょう。

 

 アイク・ランドルフ。十五年前に出所して以来まっとうな人間になろうと努力し、現在は造園会社を経営している。黒人としてここまでくるのは大変だったが、一軒家を所有するまでになり、息子のイザイアを大学に入れてやることもできた。しかし息子は……ゲイだった。大学の卒業を祝って庭でバーベキューをしているときにそれを打ち明けられ、アイクは怒ってグリルをひっくり返した。イザイアの腕に炭が散る。それが、生きている息子の姿を見た最後だった。

 バディ・リー・ジェンキンズ。いわゆる〝ホワイト・トラッシュ〟と呼ばれる貧しい白人で、トレーラーハウスに住んでいる。五年間の服役経験あり。妻のクリスティンとの結婚生活は八年でピリオドが打たれ、息子のデレクは妻に引きとられた。妻はその後ジェラルド・カルペッパー判事と再婚。しかしジェラルドはゲイの継子のデレクを嫌悪し、クリスティンも敬虔なクリスチャンであるために息子の性的指向を受け入れられず、デレクを家から追いだしてしまう。デレクはイザイアと結婚することを実父のバディ・リーに報告した。母や継父はわかってくれなくても、実父なら理解し、祝福してくれると思ったのだ。しかしバディ・リーは、結婚式に出てほしいというデレクをはねつけた。ゲイであるという事実は到底受け入れられなかったのだ。それが息子と交わした最後の会話となった。

 ある日、イザイアとデレクは何者かに射殺された。二人には、互いの遺伝子を継いで代理母から生まれたアリアナという三歳になる娘がいた。その子はアイクと妻のマイアが引きとることになった。葬式の日、アイクとバディ・リーは初めて顔を合わせる。二人とも、息子の結婚式には参加しなかったから。葬式が終り、アイクは自宅のガレージに閉じこもって泣き叫びながらサンドバッグを叩いた。涙が頬を削っていく。まるで剃刀のように。

 三カ月後、バディ・リーは怒っていた。息子の事件の捜査は一向に進展していない。業を煮やしてアイクの造園会社を訪ね、自分たちで犯人を見つけようと持ちかける。しかしアイクは断った。会社の従業員、妻、孫……彼には守るべきものがある。だが翌日、イザイアとデレクの墓石が破壊され、周りの芝地に同性愛を揶揄する汚い言葉がスプレーで落書きされているのを目の当たりにして昔の自分がよみがえった。気がつくとバディ・リーに電話していた。

 そうして父親たちは息子を殺した犯人を捜し始める――。

 

 とまあ、こんな具合で話は進んでいきます。二人の行く手を阻むのは〈レア・ブリード〉というバイカー集団ですが、その背後には権力を持つ黒幕がいます……。なんだか勧善懲悪のベタな話が想像できますよね。私もこの本の紹介文を読んだとき、どんなもんかな、と思いました。しかもパラマウントが映画化権を取得していて、プロデューサーはジェリー・ブラッカイマーときています。薄っぺら~い話になるのが目に見えるような感じ。別にジェリー・ブラッカイマーをディスっているわけではありません。(CSIシリーズなど夢中で観ていたくちですから)しかし興行的ヒット作を制作する能力はあっても、良作を生みだすプロデューサーかという点においては意見が分かれるところ。そんなわけであまり期待はせずに読み進めました。そして予想は見事に裏切られました。

 

涙で目がかすんで字が読めない!

 もちろん復讐物ですから、アクション、バイオレンスてんこ盛りです。ですがそれにも増して二人の父親たちの心情がこと細やかに描かれ、彼らの息子に対する愛情、後悔がこれでもかというほどに伝わってくるのです。アイク、バディ・リーともに年齢は五十歳前後。典型的な、古い価値観に懲り固まった中年男です。LGBTQと言ったって、なんじゃそりゃ、食い物か、ぐらいの感覚でしょう。でも息子が死んで初めて未知の価値観を受け入れようとし、自分とは違う視点から物事を見ようと努力し始めるのです。そういう意味では、〝オヤジたちのアップデート〟というサブタイトルをつけてもいいくらい。

 また、本書において問題はジェンダーだけにとどまりません。舞台は保守色の強いヴァージニアでアイクは黒人。そしてバディ・リーはホワイト・トラッシュ。とくれば人種や階級格差の問題も絡んできます。

 作中から印象的なエピソードを一つ。アイクとバディ・リーは息子たちの行きつけだったゲイ・バー(といっても日本のようにオカマの人たちが接客をするのではなく、単にゲイの人たちが集うバー)でゲイのバーテンダーに話を訊くのですが、そのバーテンダーが、このヴァージニアでゲイとして生きていくのは黒人やヒスパニック――つまり有色人種として生きていくのと同じくらい生きづらいことなんだ、と心情を吐露します。するとアイクは、ゲイならば隠すことができるけれど、俺たちの黒い肌は隠せない、俺たちの方が何倍も辛いんだ、と食ってかかります。バーテンダーは、いずれにしたって白人でストレートじゃなきゃ南部では生きづらい、と答えます。するとバディ・リーが――社会の最下層にいる彼が「じゃ、白人でストレートの俺って勝ち組なの?」と皮肉めいたセリフを吐きます。アイクが主張するように、黒人は長い間差別を受けて苦しんできました。それは誰も否定しません。でもあえて深読みをすれば、コスビーは同胞の黒人に対し、世界で一番不幸なのは黒い肌で生まれることだと叫ぶのは一旦やめて、もっと広い視野で物事を見ることも大事なんじゃないかと暗に訴えているようにも感じられます。コスビー自身も黒人ではありますが、本書を読むかぎり、黒人だけに肩入れしている書き方はしていません。むしろ、ジェンダーや人種を越えて社会の底辺で生きている人々すべてに寄り添い、温かいまなざしを向けています。特にバディ・リーと彼の隣人でやはりトレーラーハウス暮らしをしているマルゴ(多分ネイティブ・アメリカン)のやりとりの描写がもう、心に染み入ります。思いだすだけで涙が……。

ガーデニングツール恐るべし!

 さて、アクションの方に目を向けてみましょう。バイオレンスの描写には安定感があって文句なしに楽しめますが、注目すべきはガーデニング・ツールの恐ろしさ! アイクとバディ・リーはバイカー集団の一人を捕まえてアイクの造園会社の倉庫で痛めつけて情報を聞き出そうとしますが、そいつは反撃してきます。そのときアイクが手にとった武器はタンパー(土を固めるのに使うガーデニング・ツール)でした。それでアイクはバイカーを殴り殺してしまいますが、死体は切り刻んで肥料に混ぜて証拠隠滅を図ります。また、妻のマイアを尾けまわす男たちにむかってはブッシュアックス(太い枝を切るのに使う手斧)を持って追いかけ、バイカー集団がアイクの会社に乗りこんできたときはリーダーのグレイソンの喉元に枝切り用のマチューテの刃を突きつけます。果ては硝酸アンモニウム入りの肥料とガソリンで爆弾作っちゃうし。ガーデニング・ツールってこんなにも恐いものだったとは。

サンカ タンパー木柄 200mm×200mm

アイクとバディ・リー、映画化するなら?

 アマゾンの一般レビューには、デンゼル・ワシントンクリント・イーストウッドがもうちょっと若かったら……なんて意見もありましたね。ピッツバーグ・ポスト・ガゼット紙はウィル・スミスとブラッドリー・クーパーを推してましたが、それだとちょっと若すぎはしませんか? 私だったら映画版はシェマー・ムーアとノーマン・リーダスかな。(髪をグレーに染めてもらって)TV版は……めんどくさいんでもうLL・クールJとカレンのコンビでよくね?

 

さて、次回はS.A・コスビーの初期の作品『My Darkest Prayer』をお送りします。舞台はまたまたヴァージニア。主人公のネイサンは白人と黒人のハーフですが、ひどいいじめを受けながら育ちます。やはりアメリカ南部は人種差別が特に激しいのですね……。そういえば、アンジー・トーマスさんも南部のミシシッピ州ジャクソン出身なのですね。