び~ふぁいる

主に未邦訳の海外ミステリーについて語ります

第9回 ミック・ヘロン考察 その1

 予告でもお伝えしましたが、ミック・ヘロン原作のスパイスリラー『窓際のスパイ』(原題『Slow Horses』)のドラマ配信がapple tvで4月1日から始まったようです。

https://iphone-mania.jp/news-441850/

 主人公のジャクソン・ラムを演じるのはイギリスを代表する俳優ゲイリー・オールドマン。主題歌はミック・ジャガーと、映画並みのビッグ・ネームが揃っています。内容は、窓際部署に配属されたMI5(保安局)の落ちこぼれエージェントたちと、彼らを率いる傲慢で悪名高いチームリーダーのジャクソン・ラムが、保安局の内部を発端にした策略をかいくぐり、命の危険にさらされたパキスタン移民の青年を救おうとする姿を描くものとなっています。

 詳しくはこちらを。

 ジャクソン・ラムは原作によると、汚れた金髪を後ろに撫でつけた、贅肉の大半が腹部に集中している肥満体で、盛りを過ぎたティモシー・スポールが演じるジョン・フォルスタッフのような男となっています。

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これは両方ともティモシー・スポールさんですが、イメージは当然左です。右はハリーポッターの役作りのために減量した姿のようです。ちなみにジョン・フォルスタッフは

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こんな感じです。

 私的には、ラムはボリス・ジョンソン首相と『The Office』の人(リッキー・ジャーヴェイス)を足して二で割ったような感じをイメージしていたのですが、いずれにしても演技派といわれるゲイリー・オールドマンさんがどこまでプライドを捨ててこの役になりきれるかも注目です。予告を見たところ、かなりこのイメージに寄せてはいるようですが、正直肥満度がまだまだ足りないといった感じ。肉襦袢を着てでも、もっとデブってほしかったところです。このラムは、肥満体の割にいざとなったら音も立てずに階段を一気に駆け上がったりと、ステルス的に動けるという設定なので、そこら辺の動作はCG処理をすれば完璧だったはず。

ミック・ヘロンの作風とは?

  原書の『Slow Horses』が刊行されたのは2010年となっています。12年も前なのですね。(邦訳は2014年)いまやCWA賞の常連でもあり、押しも押されぬ大作家となったミック・ヘロンですが、彼の作品の特徴は?と訊かれれば、開口一番に出てくるのは”リーダーアンフレンドリー”でしょう。

 とにかく、読んでいると情景がすっと頭に浮かんでくる――なんて作品とは対極に位置しています。さらっと説明すれば済むところを、もってまわったクセのある言い回しで描写するうえに、比喩やら隠喩やらの多用が読みづらさに拍車をかけています。ですから、書評家らのレコメンドにつられて読み始めたものの、途中で離脱してしまったという読者も少なくないようです。アマゾンUKから拾ったレビューのいくつかを挙げてみましょう。

 

『読もうと努力はしたんです。本当です。でもタイトルのSlow Horsesのとおり、進み方がスローでスローで……。私は本をよく読むほうだし、めったに途中で放りだすことはないのですが、これは無理でした。結末に救いを求めて半分すぎまでは頑張ったのですが、頭を煉瓦にガンガンと打ちつけたくなってもう限界でした』

――お気の毒です。それでも半分は読んだのですから、その努力を称えてさしあげたいです。

 

『鋭いウイットや乾いた笑いはそれなりに楽しめたが、読み終わったあとはうんざりした気分になっただけで、どのエピソードも頭に残っていない。キャラクターも印象が薄く、個性が感じられなかった』

――わかります。ヘロンはいかにも机上でこねくり回して生み出したようなキャラクターを量産しますが、やたらと地の文で説明するだけでちっとも魅力が伝わってこないんですよね。ラム以外は。

 

『大事なところは詳細を明かさなかったりと、ミスリードを誘おうとする作者の描写がいらつく』

『さまざまな出来事が多視点でめまぐるしく同時進行するのが、始めのほうこそ効果的に感じられたが、段々といらいらしてくる』

――いらついているみなさま、どうか煉瓦に頭を打ちつけないでください。

 

『期待しすぎたせいかもしれないが、ちまちまとした描写やごちゃごちゃした筋立てが頭に入ってこない。正直眠くなる。半分読んだところで、もっと時間を有意義に使おうと思って読むのをやめた。不眠症で困っているひとには丁度いい本だろう』

――建設的な提言、ありがとうございます。

 以上は下位レビューですが、上位レビューにさえこんなものがあります。

『事が起きるまでの、序盤の進行が遅い。遅すぎる。実際、読むのをやめようかと思った。キャラクターたちが窓際の部署でくさっているところや、互いを好いていない描写は読んでいてあまり面白くない。同じことを、角度や言い方を変えて延々と述べているだけ。地の文で滔々と語るのはこの作者のスタイルなのかもしれないが、自己満足にしか思えなくていらいらする。だが後半を過ぎると、読みつづけてよかったと思える。すべての出来事が一つに繋がり、話に勢いが出てくる。気がつくとキャラクターたちを応援していた』

――お疲れ様です。前半我慢できてよかったですね。努力は報われます。

ジャクソン・ラムがすべてを制す

 とまあ、こんな具合で、だいたいどういった作風なのかおわかりいただけたと思います。言葉が多すぎる、読みづらい、世界に入っていきづらい、キャラクターに魅力がない……。でもね、どうでもいいわけですよ、そういったことは。なぜって、ヘロンさんは掘り当てちゃったんですよ、金脈を。ジャクソン・ラムという金脈を。ヘロンさんは自身の作品においてもこれまで数多のキャラクター生み出してきました。大半は、ただ机上でこねくり回したような、設定が先に立つ頭でっかちなキャラクターばかりでした。しかし下手な鉄砲も数撃てば当たるではありませんが、このジャクソン・ラムがドカンときちゃったわけですよ。他のキャラの魅力がない? 結構。ザコキャラはどうでもいいのです。一人、超強烈なキャラがいればそれでいいんです。年がら年中屁をこいている肥満体の中年男、ポリ・コレ、パワハラダイバーシティなんのその、悪言の限りを尽くし、部下を人間とも思っていないイヤミな野郎のていを装いながら、実は他のスパイが失った”良心”を心の片隅に持ち、誰よりも身体を張って部下を守ろうとする、憎たらしいぐらいカッコいいやつが一人いれば。

 なんだかんだといわれても、このシリーズが人気を保ち、評価されている理由はすべてこの男に集約されているのです。これほど強烈なキャラはミステリー史上後にも先にもジャクソン・ラムただ一人でしょう。

 プロットやストーリー運びなどについては不満があるのは確かです。ですがレビューでも散見されているとおり、そこは半分までの我慢なのです。後半を過ぎれば話は面白いようにさくさくと展開し、頭に入ってきやすくなります。(余計な文章が少なくなるからなのですが)やがて伏線がきっちりと回収され、エンディングを迎えます。そこまでくると、あら不思議。また最初から読み返したくなってしまうのです。今度はストーリーをすでに把握しているだけに、すいすいと内容が頭に入ってくるし、改めて伏線を確認できたりと、楽しく読めてしまいます。結局、一粒で二度おいしいという、非常にコスパがいい作品だとわかります。

 実際私なども当時は『Slow Horses』を読んでいて、あまりにもストーリーが頭に入ってこなくて四苦八苦していたのですが、そんな折、I様(現G県在住ハイスペック翻訳者)から、『Slow Horses』より二年前に出版された『Reconstruction』に『Slow Horses』と繋がる部分があるという情報をいただきました。

 それで、読んでみたら、確かに読んでいてわからなかった部分が大分見えてきて、それだけでも『Slow Horses』を読むのが楽になったのを覚えています。そうしてそこから私のミック・ヘロン・クエストが始まったのでした……。

 というわけで、次回は『Slow Horses』の原点である『Reconstruction』について語りたいと思います。これからは怒濤の更新ラッシュ(になる予定)!