び~ふぁいる

主に未邦訳の海外ミステリーについて語ります

第44回 カール・ニクソン

今回ご紹介するのはニュージーランド発のゴシックスリラーです。

The Tally Stick

The Tally Stick

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【あらすじ】
 1978年、仕事の都合でイギリスからニュージーランドにやって来たチェンバーレイン一家。到着して三日とたたないうちに、家族を乗せて運転していたジョン・チェンバーレインの車が豪雨のせいでスリップし、崖の下の川に転落した。ジョン、妻のジュリア、ジュリアが膝に抱いていた乳飲み子の娘エマは即死。生き残ったのは長男のモーリス十四歳、長女キャサリン十二歳、次男トミー七歳の三人だった。モーリスは足首を骨折、トミーは頭に外傷を負って失語症と記憶障害に陥り、キャサリンは肋骨を損傷。しかしこれからどうするかできょうだいの意見は対立する。助けを待つべきと言うキャサリンに対し、兄のモーリスは、自分は怪我で歩けないのでキャサリンに道路を探せと命令する。森の中は恐くて歩けないキャサリンは、行ってみたけど道路はなかったと嘘をつく。
 三日目にたまたま犬を連れて森にやってきたピーターズという名の男に見つけられ、子供たちは応急処置を施されて男の家に連れていかれた。そこには首から胸にタトゥーを入れたマーサという中年女性がいた。子供たちはマーサに看病してもらい、食事も与えられるが、代わりに労働を強いられるようになる。そこは人里離れた谷間の地で、ピーターズとマーサは自給自足の生活をしていた。水くみ、家畜の世話など野良仕事に明け暮れる毎日にキャサリンは次第に順応していったが、モーリスは労働を嫌い、ピーターズとマーサに不信感を募らせてある日脱走を図るが、捕まってピーターズにベルトでしたたかに叩かれる。

 その頃ロンドンで暮らしているジュリアの姉のスザンヌは、妹一家が忽然と消えたという警察の報告に納得がいかず、みずからニュージーランドに出向いて消えたと言われている付近を捜索するものの、何も得られなかった。それでも諦めきれず、年に一回はニュージーランドに行って捜索を続けていたが、四年目についに諦める。しかし2010年、白骨化したモーリスの遺体が見つかったという連絡が入る。だが奇妙なことに、死亡時の推定年齢は十七、八歳だった。つまり事故後四年は生きていたことになる。その四年の間に何があったのか。他の子供たちはどうなったのか。そして、遺体と一緒に埋まっていた、刻み目の入った細い枝が意味するものとは?

 

 基本的に本はそれなりにリサーチしてから買うほうですが、本書はたまたまアマゾンで別の本を買うときにお勧めとして一緒に出てきまして、つい衝動的にポチッてしまったんですね。結果は撃沈……。やはり手間暇惜しまずにリサーチはしなければならないと改めて思い知った次第です。では、本書のどこが残念ポイントだったのかを探ってみましょう。

期待に反してゴシック度低め

 冒頭いきなり車が崖を転落し、両親が死んで子供たちだけが森に残され、そこからサバイバルが始まる――このスピーディーな展開に読者の心は鷲づかみにされます。おっ、これはイケるんじゃないの?! と思ったのも束の間、ストーリーはあれよという間に失速していきます。子供たちがピーターズとマーサという謎の大人に拾われ、そこからゴシックスリラーの本領発揮とも言うべきぞっとするような展開が待っているはず……なのですが、はらはらしながらページをめくるものの何も起きず、肩すかしを食らった感じに。もちろん子供が犠牲になるのは読んでいて気持ちのいいものではありません。(特に性的虐待など)そんなシーンはないに越したことはないのですが、サイコサスペンス的なホラー味はほしかったかなあと。せめてピーターズとマーサにもう少し不気味な雰囲気があればよかったのですが。中途半端に普通なんですよね。ピーターズは子供たちに対して特に愛情はないけれど、人道的な側面は持ち合わせているので足首を怪我しているモーリスには副木を当ててやったりと手当てをしてやるし、キャサリンに劣情を抱いたりもしません。マーサのほうも、タトゥーが入っているとかリューマチのせいで指の関節が曲がっているとか、見た目がやや風変わりなこと以外は至って普通でサイコパス度ゼロ。世話をしてメシ食わしてやってんだから働け、というのも至極真っ当と思える範囲内。う~ん、ここはもう少し寒気を掻きたてられるようなゴシック味を期待していただけに残念。

キャラクターの肉付けが足りず

 本書のもうひとつの読みどころは兄と妹の対比でしょう。同じ環境に置かれたふたりのその後の運命を分けたのものはなんだったのか。非常に興味深いテーマであり、著者のニクソンさんが書かんとすることもわからなくはないのですが、いかんせん各キャラクターの肉付けが足りず、生き残るために環境を受け入れたキャサリンと生き残るために環境から脱出を企てるモーリスとの間に生じる葛藤や不信感といったものが描ききれていません。残された兄妹たちが最初から一枚岩ではない、という設定は面白いだけに、それを活かしきれなかったのも残念です。

ムダ多過ぎ

 本書は全283ページです。読んでいるときは先の予測がつかないだけに、描写されているすべてに何かしらの意味があるのかも知れないと思って気を張っていましたが、終わってみれば少なくとも三分の一は読みとばしても構わなかったことが判明。特に子供たちの伯母のスザンヌの家族関係の話は本編にまったく関係ナシ。どうせページを割くのなら、もっとスザンヌと子供たちとの絆をしっかりと描くことに当ててほしかった。それがないと、なぜスザンヌが粘り強くニュージーランドまで足を運んで子供たちを捜し続けたのか、その説得力が薄くなってしまいます。
 ようやく話が動いてきたかなと思ったのは250ページを過ぎてから。モーリスが三度目にして最後の脱走を図るシーンでしょうか。二度の失敗は犬に追いかけられて捕まったからでした。それでモーリスは、泣く泣く逃げる前に犬を殺します。そうして逃げるシーンは確かに緊迫感がありました。

最終的に伝えたかったこととは?

 結局のところ、きょうだいで生き残ったのは文明の乏しい環境に順応したキャサリンでした。彼女はその後地元の男との間に子供をもうけ、農作業や家畜の世話をしながらしっかりと土地に根を下ろして暮らしています。女は強し、母は強し、ということなのでしょうか。ちなみにタイトルになっているタリー・スティックとは昔、借用証書として使われていたもので、細長い枝に付けられた刻み目の数は借りた金の額を示しています。その刻み目のついた枝を縦に半分に割って片方を借主が、もう片方を貸主が所持するようになっていました。作中ではピーターズとマーサが子供たちに、借金を返すまで働かなければならないのだと信じこませるために、このタリー・スティックを作ってキャサリンに渡しています。これが最後にモーリスの白骨化した遺体とともに出てくるのですが、う~ん……、あまり劇的なインパクトは感じられませんでした。なお、本書は2021年度のナイオ・マーシュ賞(ニュージーランドの優れたミステリー小説に贈られる賞)の最終候補に選出されています。