今回は、今まで読んだことのないホラーのジャンルに挑戦してみました。ひょっとしたら食わず嫌いなだけで、これを機にこの世界にハマるかも、と期待しながら。
【あらすじ】
1905年、ペンシルベニア。人里離れた谷間にある聖ヴィンセント孤児院。七歳のときに両親を亡くしてここに引きとられたピーターは現在十六歳になる。気がつけば最年長の孤児になっていた。
ある夜、ポールという殺人犯を護送中の保安官が聖ヴィンセント孤児院に立ち寄った。ポールの容態が悪化したので、医学の心得がある孤児院のプール神父に診てほしいと言うのだ。ポールの顔には悪魔のような邪悪な表情が浮かんでいた。胸にはショットガンで撃たれた穴があいている。もう長くはもちそうにない。聞くと、ポールは保安官の弟で、三歳の女児を裸にして岩に縛りつけ、切り刻んでその生き血を飲んでいるところを兄の保安官に見つかって撃たれたのだという。弟に取り憑いた悪魔を祓い、命を救ってくれとプール神父に懇願する保安官だったが、ポールは真っ黒い歯を剥きだしてニヤリと笑うと、そばにいた保安官補に襲いかかって殺してしまう。思わず兄は発砲し、ポールは死亡。院の神父たちと保安官はポールと保安官補の死体を埋めた。
その日以来、院の子供たちの中に、人が変わったような態度を示す者が増えはじめる。ピーターにも、院の中でうごめく邪悪な影の存在が感じられた。そんな折に、年少の孤児が裸で礼拝堂の十字架に吊されて死んでいるのが発見される。自殺と決めつけて祈りの言葉すら発しないプール神父に疑義を質した年長の孤児のバーソロミューは地下の穴に閉じこめられるという懲罰を受ける。それを機に院内は、プール神父に刃向かうバーソロミュー派と、穏やかなピーター派に分かれて対立するようになる。
ついにバーソロミュー派の子供たちはプール神父に襲いかかり、孤児院は大パニックになる。子供たちは悪魔に取り憑かれたのか、それともその暴力的な姿が彼らの本質なのか。混乱の中、ピーターの父親的存在でもあったアンドリュー神父が攻撃を受けて命を落とす。だがアンドリュー神父は死の間際に聖水が入ったボトルをピーターに渡し、神父の資格を与えていた。ピーターは神父として十字架を高く掲げながら祈りの言葉を発し、バーソロミューに取り憑いた悪魔を祓おうとするものの、院の責任者でもあるプール神父はバーソロミュー派に囚われて両目を潰されてしまう。ピーター派に勝ち目はあるのか?
絶賛レビューの嵐!
本書はアマゾンのレビュー数1118個、平均4.4。4と5の評価を合わせると全体の87%を占めるという、非常に高い評価を受けています。このジャンルの巨匠スティーブン・キングさんも一言コメントを寄せています。ただ一言、”Old-school horror”と。まさにそのとおり。本書は「古典ホラー」です。それ以上でも以下でもありません。この一言が、もうすべてを物語っているかと。つまり可もなく不可もなく、さらっとした薄味のお話。いまどきのホラーらしい尖った刺激も特にないので、子供から大人まで幅広く読むことができるでしょう。もっとも、薄味というのは私個人の印象であって、多くのレビュアーさんは”読みはじめたらやめられない” ”夢中になってのめりこんでしまう” ”これからもフラカッシさんの本を追います”といった熱狂的コメントを述べています。
安心安全
ストーリーにはオリジナリティーや驚きの展開といったものはありません。それも安心材料として読者の心をつかんでいるのかもしれませんね。紹介文によると、『エクソシスト』と『蠅の王』を合体させたような作品、とありました。『蠅の王』をチェックしてみると、少年たちが無人島でふたつの派閥に分かれ、一方は暴力的になっていき、もう一方はルールを守って秩序正しく生きようとしていたが、対立の果てにクライマックスで大火事になるというお話。あら、本書とほぼ同じではありませんか。(本書でも最後火事が起きます)『エクソシスト』についてはみなさまご存じのとおり、言わずもがなでしょう。
紹介文ではさらに、少年たちの成長物語と銘打ってあります。少年達はこの恐ろしい出来事を通じてどのように成長したのでしょうか。そのあたりは……特に描かれていませんでした。結果的に何人かの少年が生き残ったというだけで。個人的には、バトル中に友をかばって大怪我をしたりとか、互いを守り合って危機を切り抜け、そこに仲間との信頼や結束が生まれ、ひとまわりもふたまわりも大きくなった少年たちの姿が描かれるのかと期待していたのですが、そういった、関係性に踏みこむ描写はありませんでした。暑苦しさはないのです。あくまさらっとさらっと進行します。
ただガツンと濃い味が好きな私にはほかにもやや気になる点がありました。
◆能動的に動かない主人公(肝心なときに気絶したりする。武器を持って戦って血を流すといった身体を張った仕事は他のキャラが担当)
◆ホラー物の見せ場であるはずの血生臭いシーンを目撃するのはなぜかいつも主人公以外のキャラ。主人公は一人称なのに、その一人称視点での恐怖のシーンが語られないので、読者が主人公の目を通して凄惨なシーンを目撃するといった楽しみ方ができない。なんのための一人称なのか。
◆悪魔がふわっとしている。対立構造が明確になっていない。このことが起こるまえからバーソロミューは反抗的な子だった、とかピーターをいけ好かないやつだと思っていた、というような下地もないので急な対立に唐突感が残る。そもそも、意地悪で高圧的なプール神父に刃向かうバーソロミューと彼につく子供たちって、本来主人公になるはずの側なのでは? 読んでいてもこっちのほうに感情移入したくなてしまいます。ところで結局悪魔は何をしたかったん?
◆ラストは主人公が、慕ってくれた女子の前まで来てから殉教する。(中二病的ファンは拍手喝采みたいですが)
おっと、すみません、これぐらいにしておきます。
印象に残ったところ
全体的にさらりとしていますが、一カ所だけ強烈に印象に残ったところがあります。悪魔に乗っ取られたバーソロミューがプール神父に刃向かっていくところで、神父を辱めるために彼の幼少時の辛い体験をみんなの前でばらします。プール神父の家は貧しく、父親は死亡。母親は生活費を稼ぐために売春婦となりました。毎日寝室に客を連れこむ母親。その部屋から聞こえてくる喘ぎ声に神経がかき乱され、ついにプール神父は母の寝室をこっそりと覗いてしまいます。そのショッキングな光景に呆然としながら自室に戻ると、神に必死で祈りました。見たくないものを見なくてもすむようにわたしの目を奪ってください、と。この話を笑いながらするバーソロミュー。”おまえの母ちゃん売春婦〟と蔑み、嘲笑する仲間の子供たち。屈辱にまみれるプール神父。このシーンだけは妙に生々しく描かれていて、ある意味ホモソーシャルにも通じるような残酷なイジメを見ているようで、血なまぐさいホラー・シーンよりも不快感を覚えずにはいられませんでした。ホラーの描写はさほど恐くないのですが(そもそもホラー・シーンが少ない)こういうところにねちっこさが垣間見えるのもなんだかな……。
末端読者である私が色々言ってしまいましたが、フラカッシさんには強力な固定ファンがついていらっしゃいますので痛くも痒くもないでしょう。次作もきっと大絶賛で迎えられることと思います!