び~ふぁいる

主に未邦訳の海外ミステリーについて語ります

第74回 アビール・ムカジー

 今回は、1920年代のインドを舞台にしたヒストリカル・ミステリー『カルカッタの殺人』シリーズでおなじみのアビール・ムカジーさんによる現代物のスリラーをお送りします。

【あらすじ】
 アメリカの大統領選があと一週間と迫った日に、ロサンジェルスのショッピングモールで自爆テロが発生。容疑者はヤスミン・マリクというアジア系の女性と判明。事件直後には〝カリフの息子たち〟というイスラム過激派のグループから犯行声明が出された。しかしFBI捜査官のシュレヤは違和感を持ち、上司のダンが止めるのも聞かず単独で捜査を決行。すると事件の背後に、元エリート軍人の白人女性をリーダーとしたカルト的なグループが浮かびあがる。

 そのグループに入っている子供を取り返したい――そう思って立ち上がったのは、グループのメンバーで爆弾製作担当のグレッグの母親のキャリーだった。彼女は、同じくグループのメンバーで、ショッピングモール爆破の共犯者と見られているアリヤという若い女性の父親サジットに協力を仰ぐ。サジットも娘を取りかえしたいという思いが強く、キャリーと行動をともにすることに合意。そうしてふたりは自分たちの子供をグループから奪還ずるために動きだす。

 そのころグループのメンバーのグレッグは、ショッピングモールの爆破によって大勢の死者が出たことに良心の呵責を感じ、リーダーの女性ミリアムが唱える思想に疑惑を覚える。それで、同じくメンバーのアリヤとともにグループからの離脱を決意。しかし、逃げるふたりはすぐに捕まって連れ戻されてしまう。

 一方、FBI捜査官のシュレヤは、謎のグループの存在をつきとめるという功績をあげたにもかかわらず、上層部からはテロの共犯を疑われて謹慎処分を食らう。大統領選が刻一刻と迫るなか、今回のテロによって共和党の候補者チャック・コスタの支持率は急上昇していた。共和民主両候補者の最後の遊説地はともにフロリダだった。候補者が乗る飛行機に爆弾を仕掛けることをミリアムに強要されるグレッグ。そしてアリヤは演説会場で自爆テロをすることになり、爆弾が入ったリュックを背負って会場入りする。子供たちを止めようとしてキャリーとサジットも会場に入る。

 同じころシュレヤの娘のアイシャも支持している候補者を応援するために演説会場に来ていた。しかし、FBI内にいる、ミリアムと通じている裏切り者に誘拐される。グループはアイシャを人質にとってシュレヤを動きを封じようとする。最後の決戦の地、フロリダでのラストバトルの行方は?!

 あのアビール・ムカジーが現代物に挑む!

 本書の著者であるアビール・ムカジーさんは説明するまでもないでしょう。2017年に『カルカッタの殺人』でCWAヒストリカルダガー賞を受賞され、今や押しも押されぬ大作家となっているお方。その彼が現代物のスリラーを手がけたとあって本書は発売前から大評判でした。有名作家クリス・ウィタカー、リー・チャイルドらも大絶賛。私も『カルカッタの殺人』を始めとしたウィンダム&バネルジー・シリーズを全巻読んでいる身として(未邦訳も含め)注目せずにはいられません。ということで全五百ページのハードカバーを購入。さすがに厚く、重く、威圧感があります。本能的にワクワク感よりも読む前から疲労感が……。そしてページを捲ると、手がどんどんと重たくなっていきました。なんでしょう、登っても登っても頂上が遠ざかる感じ。「一気読み」「ページターナー」「サスペンスフル」といった読者のレビューの数々はいったいなんだったのでしょうか。

丁寧な描写が仇に?

 丁寧でわかりやすい描写には定評があるムカジーさん。物語を読ませる筆致は健在です。しかし今回ばかりはそれが仇となったのかも。ストーリーは複数視点で進行し、視点となる各キャラクターの状況が丁寧に描かれていきます。しかし、どの人物のパートも同程度の力点を置いて描写されているため、メリハリがなく、テンポも遅くなってしまっています。表紙には砂時計のイラストがあるのですから、せめてタイムリミットを導入したらまだスピード感が出たかもしれません。大統領選まであと○日、という程度のリミットは緊迫感を盛り上げるにはちょっと弱かった。

そもそも論なんですけど……

 そもそも論として、本書には見逃しがたい最大の欠点があります。それは、そもそも誰がなぜ何のために? が明確にされないままストーリーが始まり、そして終わってしまったことです。悪者側の、カルト的グループとはいったいなんだったの? 思想は? どうやってアリヤたちのような若い女性を引きこんだのか? なぜ若者たちはリーダーのミリアムをそこまで信じているのか? グレッグとアリヤがグループを抜けて逃避行するのがストーリーの重要なパートを担っていますが、ふたりの間の関係が不明瞭。グレッグの一方的な恋心は細やかに描かれているものの、グレッグと行動をともにするアリヤの心理はとうとう最後までわからずじまいでした。ゆえにこのふたりの逃避行はなんだかぼやけた印象。結局連れ戻されて、何事もなかったかのようにふるまってるし。結局何だったん?

ムカジーさん、ひょっとしてロマンス描写は苦手?

 思えばウィンダム&バネルジー・シリーズでもウィンダムの嫉妬心や独占欲はよく描かれていますが、女性との恋愛関係における心理描写はほとんどありません。バネルジーに至っては、女性と話すだけで赤面するという始末。ひょっとしてムカジーさん、ロマンス描写は苦手なのでは? 

 本書では、グレッグとアリヤの親であるキャリーとサジットの熟年ペアが非常に印象的でした。このふたりを主人公にすればよかったのではと思うくらいです。イギリス在住のサジットは、指名手配されているアリヤの親ということで当局から目をつけられているゆえ、アメリカへはカナダ経由で密入国し、国境警備隊の銃弾を逃れながらキャリーと合流してアメリカを横断します。互いの命を預けあいながらの、一種のロードムービーのような逃走劇。途中カーチェイスあり、銃撃戦あり、そしてお約束の、色々理由があってモーテルのダブルルームの一室でしかたなくふたりいっしょに一夜を過ごさなければならない状況に。ここまできたのだから、少しはアダルトなケミストリーが発動したっていいでしょうと思うのですが、モーテル代をキャリーに出してもらって男としてのプライドガーとかなんとかというサジットのぐじぐじした心理描写が続き……って、いや、ちがうでしょー! 中年が! 純すぎるのにもほどがあるわ! と、わたくしはひとりのたうちまわっておりました。このように、行動原理がはっきりしているキャラには感情移入しやすいし、ストーリーにのめりこんでいけます。このふたり、ラストの見せ場ではやってくれます、魅せてくれます。完全に主役になってました。やっぱ絶対このふたりを主人公にすべきだったと確信。

 完全無欠なよくある話

 最後に、本書の特徴として挙げておきたいのは、よくある話のセオリーをとことん踏襲しているという点です。


□能力はあるが上司の命令を聞かず単独行動するFBI捜査官シュレヤ、挙げ句の果てにテロの共犯者と疑われ、窮地に立たされる。


□シュレヤは、無理難題を聞いてくれるオタクのコンピューター技官(ガルシアみたいな)と親しい。必要な情報は彼からどんどん得る。


□FBI内にいる裏切り者、登場シーンからフラグ立ちまくり。案の定シュレヤは気づかず、その人物に嬉々として携帯に保存してある娘の写真を見せる。(もうこの時点で、あ、娘誘拐されるな、とわかる)実際、ラストで娘は誘拐され、人質に取られる。


□ラスボスである、カルト的グループのリーダーのミリアムはメンサ的高IQの持ち主で、ビンラディンを捕獲した陸軍特殊部隊のメンバーのひとり。氷のような青い目、長い白髪で顔半分が隠れているが、そこには傷跡がある。

 とまあ、こんな具合です。かいつまんで説明すると結構面白そうですが(我ながらそう思う)、読んでいる途中は話の進行具合が遅くてきつかったというのが正直なところ。

 ちなみにムカジーさんはこれに懲りたのか(どうかはわかりませんが)今後はしばらくはウィンダム&バネルジー・シリーズに集中するそうです。シリーズの続編も来年初めに出るとか。こちらも楽しみです。

      

 

 

第73回 デュアン・スワジンスキ

 今回は、発売前から注目していた『Carifornia Bear』をお送りします。シリアルキラー”カリフォルニア・ベア”が四十年ぶりに冬眠から目覚めて始動――という触れ込み。つかみは上々じゃないですか! 過去において二度エドガー賞にノミネートされたことがあるベテラン作家が放つ話題作です。


【あらすじ】
 1978年から1984年にかけて二十六人を襲い、八人を殺したシリアルキラー。その男はクマのマスクを被り、鋭い爪がついたグローブをはめていることから”カリフォルニア・ベア”と呼ばれていた。しかし1984年から後は、なぜかぱったりと犯行が止んでいた。

 そしてときは2018年。ジャック・クイーンは二年前に轢き逃げの容疑で逮捕され、刑務所へ。しかし服役中に元LAPDの刑事ハイタワーの働きかけによって冤罪が認められ、晴れて釈放となる。彼に感謝するジャックだったが、ハイタワーの狙いはどうやらジャックが受け取る州からの賠償金らしい。
 さらにハイタワーは、これから四十年前に世間を震撼させたシリアルキラー”カリフォルニア・ベア”のところへいっしょに行こうと持ちかける。彼はカリフォルニア・ベアの正体を知っていた。元LAPDの刑事、クリストファー・アルビン・ディクソン。現在七十二歳。ハイタワーはその情報を、クリストファーの元同僚だった刑事から得ていた。しかもクリストファーは最近、ハリウッドで有名なドキュメンタリー作家から多額の契約料を得て、カリフォルニア・ベアを特集するドキュメンタリー番組のコンサルタントを引き受けたという。その番組シリーズの最終回でカリフォルニア・ベアの正体が明かされる構成になっているらしい。だから番組公開前に素姓をばらされたくないクリストファーから口止め料をもらえるだろう、というのがハイタワーの読みだった。

 ジャックは気が進まなかったが、もうじき十五歳になる娘のマチルダ白血病と診断されたため、医療費が必要だった。それでハイタワーに同行してクリストファーの家に行ったものの、捕らえられて監禁されてしまう。クリストファーはカリフォルニア・ベアの本領を発揮してジャックとハイタワーに襲いかかる。しかし七十二歳という年齢が災いして心臓発作を起こして急死。そこへクリストファーの妻、カサンドラがやって来る。ジャックは彼女を殴って気絶させ、ハイタワーと共に逃走する。

 そうしてカリフォルニア・ベアは消滅したはずだった。だが、クマのマスクを被った者に襲われるという事件が再び起こる。その”カリフォルニア・ベア2.0”は何者なのか。ジャックの娘のマチルダは、病床にいながらその謎に挑み、真実に近づいていくが、カリフォルニア・ベア2.0はまんまと病院に忍び込み、マチルダへ魔の手をのばす。果たしてマチルダの命は?! そしてカリフォルニア・ベア2.0の正体とは?

ウィットとユーモア満載

 前半はジャックとハイタワーの掛け合いに、おおいに笑わせられました。このハイタワー、人の話を聞かない、超マイペースな天然という設定で、ジャックが散々振りまわされるというパターン。話がかみ合わない者同士のコント、というたぐいの笑いです。始めのほうこそハイタワーにはイラッとさせられますが、彼が勘違い行動をやらかすたびに読者はひやひやさせられるという、スリルメーカーとしてなんとも使い勝手のいいキャラでもあります。憎めないところもあって、しかもラストではちょっとばかり(ホントにちょびっと)いいカッコも見せてくれたりして終わってみれば好感度ゲージ上がってたり。ハイアセン味があるというレビューが多いのも納得!
 その他のキャラによる会話やモノローグの端々にもユーモア、皮肉がちりばめられていて、笑いが絶えません。ただ、それがストーリーをやや散漫にさせているかも。メインプロットとは直接関係のない枝葉のディテールが多すぎて話の進行が遅くなっている節も否めません。

カリフォルニア・ベア2.0(笑)

 本家のカリフォルニア・ベアが死んでから、謎は「カリフォルニア・ベア2.0は何者?」という方向へシフトしていきます。ここで活躍するのが少女探偵のマチルダです。しかも彼女は病床にいるという、いわゆるベッドディテクティブで、彼女のワトソンとなって動くのは親友のヴァイオレット。周りの大人が目の前の欲やら何やらで大局を見失っているなかにあって、マチルダは冷静な思考で事件を紐解いていきます。ややできすぎのような気もしますが、彼女の活躍もあって事件は解決して大団円。そのハッピーの勢いでマチルダの病気も完治、というエンディングになると思いきや、その辺のことは言及されないまま話は幕引きとなります。なぜなのだろうと思っていると、著者のあとがきでショッキングな事実が明かされます。

娘さんへのオマージュ

 著者のスワジンスキさんのお嬢さんであるイーヴィーさんも2018年に白血病でお亡くなりになっているのです。そう、本書はイーヴィーさんへのオマージュでもあったのですね。スワジンスキさんの代表作でエドガー賞にもノミネートされた『Revolver』と『Canary』に登場するキャラクターもイーヴィーさんがモデルだったとか。娘さんはスワジンスキさんのインスピレーションでした。それを知ると涙を誘われます。エンディングでマチルダの完治を明記しなかったのはそういう理由からだったのですね。でも本書のラストでマチルダはその調査能力を買われ、家系図制作者でハイタワーの妻であるジーニーに助手として雇われます。この物語のなかでマチルダは生き続けています。きっと今も、頼りにならない大人たちを尻目に素晴らしい調査手腕を発揮していることでしょう。

 

 シリアルキラーの話がハートウォーミングな着地点を迎えるという、まさに異色の結末。たまにはこういうのもいいものです。

 

第72回 マシュー・リチャードソン

 今年は読んでいる本の冊数が少ないので、いい本に巡りあう確率も低いだろうと思っていたのですが、いや~来ました! おそらく私的に今年のベストになろうかという本が!

THE SCARLET PAPERS

(なぜかアマゾンから投稿できなくて、自分で画像貼り付けたのでいつもと違う風になってしまいました(;゚ロ゚))

【あらすじ】
 マックス・アーチャーは四十二歳。大学の准教授で、諜報史を専門としている。ある日、かつてMI6に所属していた冷戦時代の伝説的エージェント、スカーレット・キングから、書きためた手記を本にしてくれと頼まれ、参考として前半部分のコピーを渡される。そこには、スカーレットがソ連との二重スパイだったという告白が書かれてあり、マックスは愕然する。これは大スクープだ。しかしその直後にスカーレットは不審死をとげ、マックスは容疑者としてMI5から追われるはめになる。
 窮地に陥った彼の逃走を手助けしてくれたのは、スカーレットの助手のクレオだった。彼女は手記のオリジナルの保管場所も知っていた。しかしふたりが手記を手に入れたのも束の間、MI5に捕まって拘束されてしまう。手記を渡せばスカーレット殺しの訴追は取り下げると言われて迷うマックス。スパイ学者としての知恵を総動員して彼が取った手とは……? 

若き天才ベストセラー作家

 マシュー・リチャードソンさんは名門大学を主席で卒業後、弱冠二十四歳で出版最大手のペンギンブックスと破格の金額で契約を結び、デビュー作と第二作を刊行。どちらも高い評価を得て、本書が第三作目となります。やはり天才はすごい。”売れる本”をわかっています。売れる本とは即ち面白い本、面白い本とは即ち読者を楽しませる本です。楽しませる本を書けばいいんですね、と言って書いちゃった、そんな風に見えてしまうのがリチャードソンさんなのです。

 ゆえに本書には作家の自意識を満足させるための妙なこだわりとか、こむずかしい言葉をこねくり回した表現など一切ありません。一ページ目から余計な前置きなしに物語がスタートするという、徹底して読者を楽しませることを意識したアプローチ。ここからして読者ファーストなわけですよ。やはり真の天才とはこういうもの!

スパイオタクぶり炸裂

 主人公のマックスは、子種がなくて妻に見放された四十二歳のしがない准教授。とこれまた読者がすんなり感情移入できるような、絶妙な庶民派加減。こんな風に書くとあざとさが鼻につくのでは、と思われるかもしれませんが、そんな印象は微塵も感じさせないスピーディーな話運び。
 ストーリーは現代と、スカーレットが生きた冷戦時代というふたつのタイムラインで進行していきます。このスカーレットのパートがまためちゃスリリング! 常に二重スパイであることがばれそうな、極限の精神状態に置かれた彼女の緊張感がひしと伝わってきます。さらに、彼女の任務の詳細な描写からは山のように固有名詞が出てきますが、勿論それらを知らなくてもストーリーの理解に支障はないように配慮されています。とはいえせっかくですから調べてみると、これがもう、知れば知るほどにスカーレットの経験がリアルにあった歴史的事象や実在の人物とことごとく絡んでいるということがわかって面白さが倍増! それで改めて感じたのはリチャードソンさんのスパイ史に関する圧倒的な知識量です。とにかく読めば読むほどにこれでもか、といわんばかりに出てくるわ出てくるわ、スパイのトリビアが。ああ、リチャードソンさんはこれが書きたくて作家になったのですね、というのがよくわかる、溢れるスパイ愛! 調べまくったおかげで、冷戦時代のスパイ事情などまったく知らなかったわたしも今やいっぱしのスパイオタク気分。

息詰まる攻防戦

 後半にさしかかってからの読みどころはマックスと、彼を追うMI5の長官代理のソールとの対決です。といっても派手なドンパチや肉弾戦で魅せるわけではありません。マックスは持ち前のスパイ史に関する知識を総動員してソールが放つ説得という名の脅しを次々と跳ね返していくのです。このふたりの息詰まる心理戦は下手なカーチェイスやガンアクションより緊張感がみなぎり、読者は手に汗握ること必至! このシーンはホント、読みごたえあった!!

ストーリーは自分探しの旅へ

 スカーレットの手記を読みながら、彼女から手記の執筆を依頼された本当のわけを解き明かそうとするマックス。それはいつの間にか自分の出生の謎を探るクエストへと繋がっていきます。やがてすべての符号がぴたりとはまり、物語は爽快なエンディングへ、と思いきや、最後の最後でビッグサプライズが! このあたりの構成も抜かりないという魅せテクニックもさることながら、そのサプライズの内容がこれまた!! いやはや、お見事! 徹底したエンタメ性と溢れるスパイ愛が融合した、まれに見るスパイ大作は満足度120パーセントの一冊でした。
 ちなみに本書はリチャードソンさんの制作指揮と共同脚本により、アメリカでドラマ化のプロジェクトが進行中だとか。う~ん、ドラマかあ。このスケール感は映画向きだと思うけどなあ。

第71回 コリン・バレット

 ずいぶんと久々になってしまいました。色々と一段落しましたのでこれからはまた以前のペースで更新していこうと思います。今回は書評家大絶賛の『WILD HOUSES』をお送りします。

【あらすじ】
 アイルランドの西部に位置するメイヨー県の町バリナ。母親の死後うつ病になり、失業して一匹の犬と一軒家でひっそり暮らしているデヴ。その家に、いとこのゲイブとスケッチが、ドール・イングリッシュという二十歳前の青年を誘拐して連れてきた。ドールの兄のキリアンが、ゲイブたちが取引している三万ユーロ相当のドラッグを保管中にヘマをして失ったにもかかわらず、その分を弁償せずに逃げ回っていたから人質として捕まえてきたのだった。
 その日から、彼らと犬一匹の奇妙な同居生活が始まった。
 一方、ドールの母親のシェイラは身代金を用立てるために、ドールの恋人ニッキーがバイトしているバーの売上金の強奪を計画するが……。

2024年ブッカー賞ロングリスト入り

 あとで気づいたのですが、本書は名誉あるブッカー賞とやらのロングリストに選ばれているようです。まったく興味のない賞なのでノーマークでした。本書は、アイルランドの社会の底辺で生きるドラッグ常用者たちの話でありながら、荒々しさや生々しさはほとんどなく、隠しようのない教養や文学の香りが漂う、ちぐはぐな作品という印象を受けました。ええと、平たくいうと、単なる”ナニコレ?” です。

WILD HOUSEとは?

 タイトルにもなっているWILD HOUSEとは、ドラッグ、酒、セックスが入り乱れてのカオスなパーティーをする場所のことを指すそうです。本書においてこのパーティーの様子がでてくるのは一カ所だけで、しかもなんとなく地味。フィクションですからリアリティーは必要ないといってしまえばそれまでですが、作者の方はこういうパーティーの経験がなく、頭で書いたのだろうな、というのが丸わかりな感じです。

飛ばし読みOK

 話が進まない、というか話がないので、少々飛ばし読みをしても話が見えなくなる心配はなし。もともと、全255ページ、しかも字大きめということでさほどボリュームもありません。冗長な会話や心理描写がメインで、そこに意味やメッセージがあることを思わせる雰囲気はあるのですが、それをじっくり探りたくなるほどの興味は湧かず。
 ストーリーは180ページを過ぎた辺りからようやく動きます。ドールが誘拐された理由が明らかにされ、身代金を得るためにバーの売上金の強奪が行われます。いよいよ緊張感が高まるか、と思いきや、あっさりと金は手に入るし、強盗に加担したドールの母親や恋人に良心の呵責は一切なし。自分たちがよければそれでいいのでしょうか、といち人間として疑問が残りました。

よかったところ

 よかったところは、コリン・バレットさんの筆致が際立っていた点でしょうか。たとえば作中に出てくるスケッチという男は ”荒れた教会のような顔をしていた。毛穴は開ききり、目は割れた窓のごとく眼窩の奥深くできらめいている” という描写など、非常にユニークで印象に残ります。文章はもったいぶったところがなく読み易い。読者レビューの中にはYA寄り、という声もあったり、タランティーノ監督で映画になりそうな世界観、といった意見もありました。いわゆる、プロットよりも気の利いた会話の妙とか独特の間で楽しませる類いですね。エルモア・レナード風という声もちらほら。(いや、でもそういうのが流行ったのって何十年前か?!っていう話)
 まとめますと、ぬる~いキャラクターによる、ぬる~い話、そんな感じでした。アイルランドの下層階級の人々の生きづらさとか、薄っぺらでしたね。(つくづく、ブッカー賞ってワケがわかりません……)

 

第70回 ジェローム・リロイ

ちょっと色々と忙しく、気がつけば一カ月も放置してしていました。その間訪問してくださった方々、申しわけありません! ということで……今回は、『カルカッタの殺人』を始めとしたウィンダム&バネルジー・シリーズでおなじみのアビール・ムカジーさんも絶賛している、2020年に刊行された作品(フランスでの初版は2018年)をご紹介します。

Little Rebel

Little Rebel

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【あらすじ】
 フランス西部の港町の貧困地区のバーでイスラム教過激派による銃撃事件が発生。たまたまそこで情報屋と会っていたアラブ系の刑事モクラネは犯人のふたりを射殺した。しかし、そこへパトカーで到着した白人の巡査は、アラブ系のモクラネを犯人と思いこんで射殺してしまう。この件はすぐに広まり、人種間の緊張が高まる。

 モクラネは死の直前、ムスリムの情報屋から、明日パリのどこかでテロが起きるというネタをつかんでいた。その情報屋もバーでの銃撃に巻き込まれて死亡。モクラネが射殺したふたりのテロリストのうちのひとりはシャルル・ティエン職業訓練校を三年前に退学になっていた。同じ学校の卒業生には、警察に以前からマークされている、コンバタント【戦士】というコードネームのイスラム原理主義者がいる。そのことからシャルル・ティエン職業訓練校もテロのターゲットにされる可能性があると当局はみていた。

 翌日、シャルル・ティエン職業訓練校では、YA作家アリゼ・ラヴォーを迎えてセミナーが開かれていた。担任教師のフラヴィアンは、クラスの問題児のオマールとクオックが面倒を起こしはしないかとハラハラしていた。唯一の慰めは、優等生のステイシーが休まずに参加してくれたことだ。しかしセミナーの途中で案の定オマールとクオックが喧嘩を始めたかと思うと、警報が鳴り、遠くから銃声が……。

独特なインパクトがある社会派ノワール

 フランス物は普段めったに読まないということもあり少々不安でしたが、読み終わってみて、こういうのきらいじゃないな、というのが率直な感想でした。本書は、イスラム教過激派のテロ、という手垢のつきまくったテーマを独自の視点で切り開いた意欲作といえます。

客観性という距離感の心地よさ

 本書に登場するキャラクターには、ノンフィクションと思えるほどの圧倒的なリアリティーがあります。その人物がどういう人間かについて、決して多くの言葉を割いて説明しているわけではないのですが、ああ、こういう人いるいる、と容易に想像できてしまう生々しさがあります。また、そのキャラクター描写には辛辣さ、皮肉も含まれてはいますが、だからといって突き離すような冷たさもなければ、作者の思い入れのような熱さもない。

 この鮮明でいてかつフラットなキャラクター描写が効いているおかげで、大きなエピソードは実質二、三しかない、たった百ページ弱の小説の中にフランスの政治、社会問題のすべてが映し出されているといっても過言ではありません。よって読者はキャラクターの誰かに感情移入するように誘導されることもなく、冷静な目線でこれらの問題を受けとめ、考察することができます。この批判のない、中立性を保った筆致が生み出す距離感が、読んでいて非常に好ましく感じられました。

 そしてクライマックスでは、タイトルにもなっている”小さな反逆者”がすべての点とリンクし、ショッキングな全体像の発露へと向かいます。

 

 アビール・ムカジーさんが絶賛するのも納得!の一冊でした。

 

第69回 ウィリアム・ハッセイ その2

 今回は第66回でご紹介したウィリアム・ハッセイさんの『Killing Jericho』の続編『Jericho's Dead』をお送りします。

【あらすじ】
 旅芸人ジェリコ一座の座長の息子のスコットは元刑事。今は恋人のハリーと共に一座のもとに身を寄せている。

 十月になり、ジェリコ一座はハロウィーンのイベントとしてTVの心霊スペシャル番組とタイアップすることになった。一座は幽霊屋敷として名高い司祭館のそばで興行を打ち、ハロウィーンの当日は人気霊能者ダレルが司祭館に入って霊と交信するところを生放送するという企画である。しかし、最近ダレルの周辺は騒がしくなっていた。元恋人からはエセ霊媒師と暴露され、霊の存在を否定する科学者のジレスピーにはただの金の亡者だと叩かれて人気に陰りが見えはじめている。そのジレスピーはハロウィーンの夜にダレルの番組と同じ時間に他局の番組に出演し、そこでダレルのトリックを暴くと息巻いている。ジェリコ一座の占い師でスコットの亡き母の友人でもあるティルダも、テレビで見る限りダレルに霊能力があるかは怪しいと言う。

 ハロウィーンまであと四日というとき、ティルダのテントの中に、釘が刺さった小さな顔なしの蝋人形が置かれているのが見つかった。その人形の足には、EX22:18と書かれた紙切れが付いていた。EXとはExodus――つまり出エジプト記22章18節だ。”魔法使いの女は生かしておいてはならない” いったい誰がこんないたずらを? 一座に不穏な空気が走る。だがそれはただのいたずらでは済まなかった。翌日ティルダは惨殺死体で発見されたのだ。その殺され方は、先週殺された、やはり霊能者のジュヌヴィエーヴ・ベルと同じだった。顔を判別できないほどぐちゃぐちゃに潰され、手首を切られ、歯を全部抜かれている。

 これは霊能者を標的にした連続儀式殺人なのか。ダレルは、次は自分がやられると被害妄想にとらわれる。そして惨劇は起きた。ハロウィーンの生放送の時に、全国の視聴者が見つめる中で……。

 ユニークな設定を生かしたシリーズ第二作

 主人公が旅芸人一座の息子という設定を生かし、今回は一座の興行中に占い師が惨殺されるという事件で幕をあけます。前作が好評だったからこそ真価が問われる第二作目。ということで期待していたのですが、なんでしょう……。根本的にストーリーの組み立て方が甘いような感じでした。主人公スコットのこまやかな心理の動きや過去の恋愛絡みのエピソードは面白く読めましたが、肝心の謎解きであるメインプロットにおけるピースのはまり具合が浅く、どうにもしっくりこないというか、流れやリズムがぎくしゃくしてしまっている印象を受けました。地の文や会話もやたらと説明的。普段テレビを観ないスコットがたまたまテレビをつけたら事件関係者が出てきてコメントしている――というシーンなども、それによって読者に情報を与えるという魂胆はわかりますが、こういうことが積み重なると安易に見えてしまうのです。もっとスコットが、例えば自力で動いて情報を得るなど、能動的に見えるように気を配ってほしかったところ。それによって印象も大分ちがってきます。

 燻製ニシン(レッドヘリング)の匂いが香ばしい犯人候補たち

 謎解き物には欠かせない、ミスリードを誘うキャラクターたちの創出は見事でした。エセ霊媒師ダレルの秘書ディーパル、司祭館の管理人の年配女性ローウェル、非科学的なことを一切否定し、無神論者を公言する論客のドクター・ジレスピー。行方不明になった娘はすでに死んでいるとダレルに霊視されて怒るチェンバーズ夫妻。キリスト教原理主義者で無神論に異議を唱え、且つ霊能者は魔女だと訴える牧師のクロード、ドクター・ジレスピーにこき下ろされて再起不能になった霊媒師ジュヌヴィエーヴの姉のエヴァンジェリン、怪しげな行動をするスコットの恋人のハリー、と誰が犯人でもおかしくない多彩な顔ぶれは謎解きの面白さを一気に盛りあげてくれる……はずだったのですが、ストーリーにしっかりと絡み合ってフーダニットのムードを高めてくれるポテンシャルはあったのにことごとく生かされていなかったのが残念。何よりも、登場のさせ方に工夫がないので頭に入ってきづらいのです。例えば、ストーリーの流れに沿ったエピソードの中で自然に登場させるといったように、流れを意識した展開にしてほしかった。

 起承承結?

 このようにすべてのピースが微妙にずれていったせいか、結果としてクライマックスが盛り上がらず、起承転結の”転”の部分が目立たなくなってしまったような感じです。絵面的にはダレルが生放送中に死ぬという派手目な展開になってはいますが、主人公が謎解きにおいてついに重要な手がかりをつかんだ興奮とか、いよいよ真相に迫るというゾクゾク感がありませんでした。伏線の回収もショボく、おお、と唸らせられるようなところもないままラストは長い、ながーい真犯人の説明的な独白となります。

 前作で強烈な印象を残してくれた、スコットの宿敵にして敬愛する師でもあるギャリスは、出てくるか出てくるかと心待ちにしていた読者も多いと思うのですが、最後にちょろっと出たかと思うと爆弾発言をして消えていきます。第三作目への布石なのでしょうか。

 まとめ

 色々と述べてしまいましたが、本国ではこの世界観を支持する固定ファンがしっかりとついているようです。ハッセイさんのSNSによると、現在三作目を執筆中とのこと。ロケハンをしたときの写真もあげていました。苔に覆われたおおきな岩の間を流れる小川です。さて、第三作目ではどんな事件がスコットを待ち構えているのでしょうか。

 

第68回 ローラ・シェパードーロビンソン

 今回は、ジョージ王朝時代のイギリスを舞台にした歴史物語をご紹介します。ミステリー系の書評サイトに流れてきていたのでそれ系の作品かと思いきや、ミステリーやサスペンス色はかなり薄く、一般小説に近いものでした。

【あらすじ】
 1730年、コーンウォール。七歳の少女レッドは流れ者の父親ジョン・ジョリーと共に旅をしながら、コーンウォールに古代から伝わる『セブンズスクエア』というカード占いで生計を立てていた。しかしあるとき、持病を持っていた父の容態が急変する。父は同じ宿に泊まっていたアントロバスという学者にレッドを託して死亡。レッドは数少ない父の遺品が入ったバッグひとつを持ってアントロバスが住むバースの家に引きとられる。

 その後レッドは”レイチェル”と名前を変え、アントロバス家の子女として何ひとつ不自由のない暮らしをしていたが、十六歳になったある日、改めて父の遺品が入ったバッグの中を見て、そこに重要な書類が入っていたことに気づく。それは、イギリスで最も裕福なド・レイシ家の当主ニコラスの遺言書で、自分の初孫に全財産を譲るという遺志がしたためてあった。なぜ父はこれを後生大事に持っていたのか。

 レッド/レイチェルはド・レイシ家にまつわる噂をかき集め、父のジョン・ジョリーがニコラスの娘のペイシェンスと駆け落ちしたことを突きとめる。自分はペイシェンスの娘、すなわちニコラスの孫だと確信したレイチェルは身元を隠し、まずはセブンズスクエアを操る希少な占い師としてド・レイシ家に入りこんで一家の暗い秘密を探っていくが、やがて身元がばれて骨肉の遺産争いに巻き込まれ、命を狙われる。はたして彼女の運命は?

長い……とにかく長い!

 全528ページのうち、ストーリーそのものは序盤から七十パーセントぐらいまでは大して動きません。それまでは長い長い地の文によって、あるいは説明的な会話のセリフによって、当時の労働者階級と貴族階級の日常が丹念に描かれていきます。それは旅芸人一座による移動遊園地の楽しげな様子だったり、ジョージ王朝様式の壮大な邸宅やドレスのデザインだったり。登場人物も次から次へと増えていきます。しかし幸いなことに、持って回った言い回しやくどさがなく、素直に読めるのが助かりました。七十パーセントを過ぎた辺りからは俄然ストーリーが動きだし、主人公が毒を盛られたり監禁されたり恋に破れたりと、様々なイベントが発生します。欲を言えば、最初からこのテンポで進めてほしかったところ。

 内容的には、殺人事件は起きるものの謎解き要素は皆無で、読みながら伏線を推測したりするのも本書に限ってはあまり意味がありません。とにかく前述の内容が後出しジャンケン的にコロコロと変わるのはしょっちゅうだし、終盤に至ってはメタ要素も顔を覗かせたりと何でもありな展開となっています。但し、メタな部分は主人公の一人称を三人称に変えるなど、作者なりに最低限のルールは守っている姿勢は伝わってきます。

作風はディケンズ

 作者ご本人が後書きで述べているように、本書にはチャールズ・ディケンズを彷彿とさせるところがあります。特に思いだされるのは『オリバー・ツイスト』でしょう。『オリバー・ツイスト』の主人公のオリバーも孤児で出自に秘密があり、父親の遺産相続に巻きこまれていくという設定で、そのプロットと同時に時代の風俗が細部に亘って生き生きと描かれているのが特徴とされています。

 読者のレビューからはディケンズの『荒涼館』を思いだすという声も聞こえました。

 こちらは両親の名も顔も知らず、厳しい養母に育てられたエスターという少女を主人公とした作品で、主人公の出生をめぐる謎解きや、ロマンス、さらには殺人事件の犯人追及も絡むなど、ミステリーと社会小説が融合したディケンズの代表作です。

魔術禁止法とは?

 作中では、占い師として客の運勢を見る行為が違法だとして旅芸人一座の娘が逮捕されてさらし台に載せられ、それを見に集まった民衆の熱狂ぶりが臨場感あふれる筆致で描かれています。魔術禁止法とは1735年に制定された法律で、占いや予言をする者が処罰対象とされていました。この法律はなんと、2008年に廃止されるまで存在していたとのこと。(もっとも1951年からは、霊媒商法が処罰対象となりましたが)

主人公レッドの好感度

 レビューを見ると、英米の読者からの支持はかなり高いようです。自己主張が強く、やられたらやり返す。恋に溺れず、常に頭を使い、状況を自分に有利にするために私文書を偽造したり、ピッキングをして金庫を漁る。十六歳の少女がこれほどの才知を持ち、悪巧みをする大人と堂々と渡り合うところが英米の読者から拍手喝采されているようです。ただ、彼女に感情移入できるかといえば、それはまた別問題かもしれません。誤解を恐れずに言うと、日本人にはどちらかというともっと健気な、頑張り屋さんが歯をくいしばりながら成長していって最後に一発逆転する、というキャラクターのほうが好まれる気もします。本書は少女の成長物語とは言えません。主人公のレッドは最初からもう成長しきっているのですから。個人的にはこの強さ、キライではありません。読みながらハラハラすることもなく、彼女が危機に陥っても、レッドならだいじょうぶ、と、常に安心感を持って読んでいられました。こういうキャラはストレスがたまらなくて良き!

まとめ

 というわけでレビューも上々ではありますが、そうは言ってもやはりこの長さ、進みの遅さにギブアップしてしまった読者も少なからずいるようです。ある読者さんはあまりに話が動かないことに匙を投げ、”地面から草が生えるのを見ているほうがまだ面白い”と書いていました。(笑) やはり本書は、時間と心に余裕のある方がゆったりとした気持ちで楽しむたぐいの小説かと思います。