び~ふぁいる

主に未邦訳の海外ミステリーについて語ります

第55回 スティーヴン・J・ゴールズ

 今回は、たまたまXを介して知った詩人/作家のスティーブン・J・ゴールズさんの詩集をご紹介します。彼の新刊のカバーが個性的だったので興味を持ち、アマゾンでチェックしてみたらその独特な世界観に惹かれ、ポチッてみました。しかし待てど暮らせど来ない! なので、どうやらシリーズ物らしい、前巻にあたる本作『HALF-EMPTY Doorways and Other Injuries』を注文してみました。(こちらはすぐ来ました!)

 まず序文の冒頭にウィル・カーヴァーさんの一文が引用されています。ウィル・カーヴァーさんといえば本ブログでも第7回と8回でご紹介しています。自殺をテーマにした、なかなか興味深いミステリーを書いていたお方です。献辞にはチャールズ・ブコウスキーの名前も。そしてどこかの廃墟のような、がらんとした建物のドア口の写真。この写真に妙な懐かしさを感じながら詩を読み始めます。なぜか頭のなかでスマッシング・パンプキンズの曲が響き渡ります。この本には出会うべくして出会ったのかもしれないと思うほど、この世界観に共鳴するものを感じました。単に世代的に近いゆえの感覚なのか、なんなのかわかりませんが……。

 詩は全部で四十四編収められています。その中からいくつかピックアップしてみましょう。

For Y

 ごく短い間付き合っていた、元カノとすれ違う話。彼女は大型バイクに跨がって去って行った……。

 この詩集の入口を飾る作品としてはベストの選択だったのではないでしょうか。なんというか、村上春樹が描く短編の恋愛小説のような印象を受けました。ややいびつな、ある恋愛の断片。イラストもあり。ただ、全編にこのタッチのイラストが添えられているのですが、日本の漫画でいうところの小池一夫さん原作の劇画( 叶精作さんとか?)系でイメージがちょっと……。個人的には上条敦士さんあたりに描いていただけたらピッタリきたのになあ、と贅沢な妄想をしてみたり。

Jane Doe

 これは、何らかの特別な感情が込められた詩というよりミステリー小説の冒頭といった感じでこの女性はなぜ殺されたのか、一体何が起きたのか、興味がそそられます。

Often,I've noticed

 人生で最もつらいことが起こるとき、それは半開きの扉の前に立ったとき――意味深な文です。半開きの扉の向こうでは何が起こっているのか……。

Perpetual Motion

 お互いに利用しあう。We use each other up.この文は最初の『For Y』にもありました。(

We were just using each other) 恋に破れた者同士がいっときの癒やしを求めあう。互いに、長続きする関係ではないことを承知している、そんな状況でしょうか。その関係は互いの汚れた部分を漂白しあっているかのようで(like kitchen bleach to cover the stains of ourselves is always fun)互いの過去が、なかったかのように思える瞬間に救いを感じている。でもふと気がつくと、彼女のことを何も知らない。身体の関係はあっても個人的なことは何も知らない。彼女の心は前の恋ですっかり壊れていて、新たな男を受けいれる余裕はない。傷ついた者同士が互いに利用しあっているだけの関係。彼はそう自分に言いきかせながらも、彼女に恋をし始めている、そんなふうにも受け取れましたがどうでしょうか。

Beach Girl Blues

 ソープランドで働いている病んだソープ嬢の話。ソープランドSoap land)って日本特有の言葉だと思っていましたが、著者のスティーヴンさんは日本在住経験十七年ということなので、これは日本での出来事としてSoap landという言葉をそのまま使ったのかも知れませんね。

This is What It All Burned Down To

 三十八歳時点の著者のありのまま。日常のすべきことをし、愛する相手、そうでない相手、そのどちらかだと勘違いした相手と寝て、本を読み、本を書き、酔い潰れるまで酒を飲んで煙草を吸い、自分の首にかかった縄がじわじわと燃えて喉元に近づいてくるのを感じている、という詩。Your love with a bullet, it made me a fucking cripple,おそらくは自己破壊願望のある彼女の自殺騒ぎに振りまわされて消耗しきっているのだろうと思われます。I pull the trigger first now(中略)before they even realize I was never really there.もう殺るか殺られるかのところまで追い詰められているようです。

Antiseptic Cream

 この詩集の中でも高く評価されている一遍。アマゾンやgoodreadsのレビューでもこの詩を気に入っている方が多いようです。ある女性との、非常に波乱に富んだ関係を描いていますが、わたしが個人的に気になったのは比喩に用いられているNorth Korean missilesとかredioactiveといった言葉です。著者は十七年間日本で暮らしたということですが、ひょっとしてあの大震災を経験なさったのでしょうか。この詩に登場する女性(she)は、She almost killed me.とありますので、やはり『For Y』に出てきたthe one who almost killed meと同一人物でしょう。

Sadie,My Love

 この恋人とは、互いを噛みあったりする行為を楽しんでいたようです。しかし本当は著者はやめたいと思っている。でも、我慢してでも相手のしたいことをさせるのが愛だと自分に言い聞かせている。そんな気持ちを表しています。Sadieという名前もサディズムを連想させて、象徴的ですね。

I AM

 自虐の詩。よくもまあここまで自分の悪いところを集められたものだなと。STD- spreaderには笑った。意訳すると、性病ばらまき男?

Small Town Crimes

 女性が腕まくりをしたときに見えた自傷の痕。男は犯罪の目撃者になったような気持ちになる。事情を訊いてやらなければならないのだろうか。本心ではかかわりたくないと思っている自分に罪の意識を感じたりしている。

What We Talk About When We Talk About Anything

 お騒がせメンヘラ女の真骨頂の詩。幸せになると、それを壊したがる。まるで幸せになりたくないかのように。君は幸せになっていいんだよ、と言っても聞き入れない。不幸中毒者。この女性も作家なのでしょう。It doesn't help your writingとあります。こんなことをしても君の創作の助けにはならないよ、と。彼女は、そんなことはない、と反論する。でも結局創作活動のプラスにはなっていない。どうして愛するものすべてを壊そうとするのか。著者は理解できない、とあります。セラピーに行ったらどうなんだ、とも。妙に現実的なアドバイスですね。

Her Name was Jenny M

 八歳のときの著者と、姉の友達の十二歳の女の子とその妹との話。年上の女の子に対する淡い恋というより、性愛の目覚めと苦い終焉を描いた詩。なるほど、彼ののちの恋愛の経路はすべてここから始まったのですね。

For M+ N II

 父から娘への詩。著者は、自分が死んだあと娘たちが遺品を整理するときのことを考えています。

The Best Ones Are The Crazy Ones

 まさにタイトル通りのお話。いわゆるいいひと的な女性よりも自分を振りまわす奔放な女に惹かれてしまう。他の男と浮気をする、性依存症の女。父親の愛に飢えている女。自殺騒ぎを起こす女。そんな彼女たちを愛してしまうのは、彼自身自分のことが愛せないから、とあります。彼女たちと付き合うことで、不完全な自分を痛めつけている。それは、彼女たちの肉体を傷つけてはいないものの、精神【心】を傷つける行為だと自覚している、とわたしは解釈しましたがどうなのでしょうか。

An Epilogue

 最後を締めくくる詩です。著者は自傷グセのある女性が好きだけれど、それはどこか自分の内なる葛藤に彼女たちを利用しているだけだという自覚があり、ひょっとしたらそのことに罪の意識を感じてこのような詩を吐きだしているのかもしれません。

 

 いかがだったでしょうか。著者の生々しい自己の露出に圧倒されながらも深く引きこまれ、もっと他の作品も読んでみたくなりました。本作の続編的な作品だという新作は短編小説のようです。

早く届かないかな……。予定では到着一カ月以上先となっています。注文してからもう二カ月以上という……。



第54回 グラハム・バートレット

 更新がすっかり遅くなってしまい、もうしわけありません。今回は、サセックス警察ブライトン・アンド・ホーヴ管区に三十年間勤務し、退職時の役職は警視長だったというグラハム・バートレットのさんの作品『Bad for Good』をご紹介します。

 

【あらすじ】
 サセックス警察では効率化の名のもとに警察官の人員削減が行われ、そのせいで多発する犯罪に対処しきれなくなっていた。警察はあてにできないというムードが市中に広まるなか突如、民間警備サービスを名乗る者たちが街の犯罪者を始末しはじめる。そんな折、サセックス警察ブライトン・アンド・ホーヴ管区の管区長フィルの息子ハリーが刺殺される。ハリーは将来を嘱望されたサッカー選手で、プロのチームに入団が決まったばかりだった。捜査班を率いるのはフィルの直属の部下である警視長のジョアン(ジョー)・ハウだ。フィルは”利害の衝突”のために捜査に加わることができない。人手不足もあって捜査に苦戦を強いられているのはわかるものの、ジョーの捜査のやり方は手ぬるく感じられてフィルはいらつく。
 そこへ、謎の人物から電話がかかってくる。「息子を殺した犯人を捕まえてやるから十万ポンド払え」冗談じゃない、と無視していると、また電話がかかってきた。「払わないと、十五年前にジョアン・ハウと浮気していたことをバラすぞ」さらに電話の主は、ハリーがジムのロッカールームで腿にステロイドを打っている写真を送信してきた。それは禁止薬物だった。これをマスコミに流されたくなかったら言うとおりにしろ、と電話の主は言う。まさか息子がドーピングを?! 窮地に立たされたフィルは電話の主と会い、その男を影で操る人物の正体を知って愕然とする……。

バートレットさんの経歴について

 本書を語るうえでグラハム・バートレットさんの経歴を無視することはできません。彼はサセックス警察ブライトン・アンド・ホーヴ管区に三十年間勤務。公共秩序を維持するための武装チームの指揮官として大規模抗議デモやスポーツイベントの警備などを主導してきた経験を持っています。引退後は警察の犯罪捜査アドバイザーとなり、ピーター・ジェームズ、アンソニー・ホロウィッツ、マーク・ビリンガム、エリー・グリフィスといった作家に警察の捜査手続に関する助言を行っています。そう、本書の舞台となっているブライトン・アンド・ホーヴ管区はまさに彼の古巣です。臨場感あふれるリアリティーが伝わってくるのも当然といえましょう。

警察階級あれこれ

 そんなわけですから、バートレットさんが描く警察組織は非常に正確です。原書を頼りに私もざっと調べてみました。まずイギリスではロンドン警視庁をトップに、その下に地方自治体単位で組織されている地方警察が存在します。本書ではこの地方警察がサセックス警察で、このサセックス警察の管轄区域のひとつがブライトン・アンド・ホーヴとなっています。(この地方警察と所轄署は混同されがちですが別です)サセックス警察の長(chief constable)は管区本部長であり、警察の実務の責任者です。これより上の位置づけとなるのが警察・犯罪コミッショナー(police and crime commissioner)で、この役職には警察の仕事を監視、監査し、予算を決定する権限があります。

 管区本部長の下には各管区の管区長(divisional commander)が並びます。本書ではフィルがブライトン・アンド・ホーヴ管区(所轄署)の管区長を務めています。いわゆる署長的な立場のようですが、微妙に署長よりやや上といった印象です。その下の階級がchief superintendentで、本書におけるジョーの役職です。この役職は、ドラマや翻訳小説では署長と訳されていることが多いようですが、本書を読む限りではジョーは重大犯罪捜査課のトップという位置づけになっています。署長よりはやや下、といったところでしょうか。そして”署長”という名のつく役職はありません。ざっとこんな感じです。

テンポのよい、コンパクトな話運び

 本書の特徴のひとつは、いまどきらしいスピーディーな展開と簡潔な描写でしょう。登場人物は多いのですが、コンパクトな筆致で要所のみを押さえ、短いシーンで的確に必要な情報を読者に与えています。このスポット描写はいまどきの風潮にマッチしているともいえます。時短視聴などが好まれる現代にあっては、これぐらいのコンパクトさは心地よく感じられるくらいです。しかしどうやらこれは諸刃の剣ともいえるらしく、少数ではありますがレビューの中には、この早い展開についていけない、登場人物が多すぎて混乱するという意見も散見されています。そういった意味では、従来の古典的ミステリーのリズムに慣れている読者にはややや不評かもしれません。

メシウマ!リアリズム

 しかしなんといっても本書の最大の目玉は徹底したリアリズムです。いや、もうですね、派手なドンパチとか”映える”アクションシーンとか、そんなものよりもオイシイのがこれなんです。クライマックスは最後のほうの、警察の武装チームがギャングの要塞を突破するところなのですが、その襲撃シーンよりむしろ準備段階の入念な描写が緊張感をマックスに高めてくれます。SCO19(ロンドン警視庁銃器専門指令部)の戦術武装部隊の出動、タクティカルアドバイザーと国境警備隊海上部門の責任者との無線のやりとり、ヘリ部隊との連携、交渉人との打ち合わせ――など、リアル感満載の細かなディテール描写にワクワクがとまらない! これだけでわたしゃゴハン三杯いけます。こういった描写こそ元警察官のバートレットさんの最大の強みでしょう。

 なお、本書はジョー・ハウ警視長シリーズとして、第二巻の『Force of Hate』まで出版されています。

第三巻『City on Fire』は2024年刊行予定です。

 

 

第53回 ジョン・ブラウンロウ その2

 今回は、第50回でご紹介したジョン・ブラウンロウさんの『Agent Seventeen』の続刊となる『Assassin Eighteen』をご紹介します。8月25日に刊行されたばかりの新刊です。

【あらすじ】

 かつて殺し屋界のヒエラルキーの頂点に立っていた17(セブンティーン)は、先代王者の16(シックスティーン)亡きあと、彼の家で隠遁生活を送っていた。そこへ、17を狙ったライフルの銃弾が飛んでくる。狙撃者を追って山へいくと、そこにいたのは九歳の少女だった。白人に他の人種が混じったような彼女の顔立ちに、17は何となくデジャブを覚える。

 少女は何を訊いても頑なに口を閉ざしている。わかったのはミレーユという名前だけ。この子は何者なのか。だれが彼女をここへ送ったのか。ミレーユをひとまず友人のバーブに預けて調査を始めると、あるモーテルでミレーユの母親らしき女性の死体を発見する。死体は酷い拷問を受けていた。その顔の血を拭ったとき、愕然とする。彼女は17がかつて愛した女性だったのだ。危険を感じてミレーユを引きとりにいくと、バーブは撃たれ、ミレーユはさらわれていた。ミレーユの命と引き換えに“ディープ・スレット”を要求してきたのは億万長者で白人至上主義者のウェンディ・ヒプキス。ウェンディの狙いは? “ディープ・スレット” とは何なのか? その謎を追って17は16(シックスティーン)の娘のキャットと共にノルウェーへと飛ぶ――。

前作を凌駕する面白さ

 前作『Agent Seventeen』は、スパイ物のカテゴリーに入る作品ではありますが、いわゆる従来のスパイ物とは違い、しっかりと今時の価値観に合った面白さを持つ新感覚のスパイ物とも言える作品でした。その流れを汲み、本書も当然面白いだろうと期待して読みはじめましたが、その期待はものの見事に裏切られました。自分の抱いていた期待がいかにスケールの小さいものだったかを強烈に思い知らされたのです。本書は控えめに言って前作の二倍、いや三倍面白い!!

手に汗握る、ノンストップアクション

 とにかく、息つく暇も与えないほどのアクションの連続。主人公の17に次々と振りかかる危機、また危機。まさに映画を観ているような臨場感。舞台はアメリカの各都市、そしてノルウェーブエノスアイレスへと広範囲に渡り、戦いの場も陸、海、空を全制覇。特にノルウェー領スヴァールバルでの、猛吹雪の中のツポレフとスノーモビルのチェイスは圧巻!

ピュアなロマンス描写

 もちろん本書はアクションがメインの冒険活劇ではありますが、その根幹をなしているのが実は純愛だったりします。17の、あまりにも切なく、残酷な初恋はこれだけで一本話が書けそうなほど濃密だし、後半から登場する前作からのキャラクターのキャットとの、ただの恋愛には収まりきらない複雑な関係の描写はエモーショナルで読者を泣かせること必至。ラブシーンもあるのですが、ここがブラウンロウさんのうまいところで、官能がまったくないのです。官能を抑えた筆致によって、いかにこのシーンがストーリー上必要なシーンかが逆に強く伝わってきます。こういうところ、個人的に好きですね~!

無意味にぶっこんだと思わせないポリ・コレ

 前作の感想でも触れましたが、本書からもジェンダーバイアスがほとんど感じられません。おそらくブラウンロウさんはこの点をかなり意識していると思われます。17の初恋の相手の黒人女性グラシアスは男性兵士として育てられ、男の殺し屋の仮面をかぶって生きていくのですが、それを、“自分の選択”と言い切り、楽しんでいる、とも明言しています。さらに、グラシアスの弟のマーヴェラスは二十六歳ですが、四十代の女性と恋に落ちて付き合っていることもさらりと描かれています。昨今ハリウッドでも年配の女優がエイジズムに対して声をあげる中、年の差にこだわらない、しかも女性のほうが年上の恋愛関係は多様性に合致しているといえるでしょう。また、前作に続いて登場の天才ハッカーのヴィルモスはホモで、プライド・パレードに参加したというエピソードが本書ではキーポイントになっていたりもします。本書が映画化されたときに備えてか、ポリ・コレ面もしっかりと押さえてあるのは、さすが映画脚本家というべきでしょうか。

ボーン・アイデンティティー』の後継作

 映画化権はハリウッドですで売れているということなので、具体的なプロジェクトの発表が待たれます。このシリーズが『ボーン・アイデンティティー』の後継者的位置づけのヒット作品になることは間違いないでしょう。ただ気になるのは、本書が”シリーズ物”とはどこにも書かれていない点です。ひょっとしてこの『Assassin Eighteen』でストーリーは完結なのでしょうか。だとしたらつらい……本書での17の最期を思うとあまりにも哀しすぎる! ブラウンロウさん、この際トンデモ展開でもご都合主義でも構いませんからどうか、実は生きていた、とかいうことにして続編をお願いします!

第52回 クレイグ・タールソン その2

 今回も引き続きクレイグ・タールソンさんの作品のご紹介です。前回のレビューにタールソンさんは、英語版はどうやったら読めるんだ?とツイートなさっていたので(フォロワーのケネスさんが翻訳ボタンを教えてあげていました。ありがとう、ケネスさん)英語でのレビューにトライしてみました。

Blurb

 In 1185,Shikoku,Japan.Warriors were called "Samurai".
A young samurai was shot by bows to death and gone beyond time and space into 1980 Toronto. He woke to find himself that he transformed into a white guy named Gordon(nickname is Gordo)  He struggles the strange world where he arrived but people around him are very supportive. So he survives in the City.

 His friend Josh takes him to a club where the bluegrass band performs.Gordo has familiar feelings.Because he remembers when has been transported to this world,this music was being played.On the way to home from the club,Gordo rescues a woman robbed by thugs. Her name is Heather,single mother of a little boy. This incident leads to their acquaintances.

 But one day,Gordo encounters a self-proclaimed doctor from the same past to Gordo. The doctor tries to kill Gordo so that the time-space gate opens.Gordo counterattacks the doctor.If Gordo kills the doctor,he might be able to return his own world.However does Gordo really want to go back home? Which world does he choose?

Reveiw

 This book expands into a melancholic,dark- edged description of Gordo's emotional palette. In the spirit of Samurai, Gordo has the power of introverts. And his swordsmanship is class act. One of most exciting scenes is Gordo beating up the thugs to protect Heather.I guarantee this scene makes readers feel like watching Kurosawa movies.

 However the story is not so much violent or science fictional than I expected. It's considerably more of dramas that focus on characters and their emotional relationships. In case of Heather,she is one of countless souls suffering to make ends meet on a daily basis. Her struggles touch us deeply and the relationship between Heather and her father is heart-wrenching. This sub plot revolves around how the family reacts to a challenge, with the themes of family bonds.

 And most impressive scene to me is Gordo and Vera sharing their lonliness each other. Both of them carry pain. Vera from Zimbabwe is also far away from home and not sure when or if she would ever return. This is testament to Terlson's ability as a writer that he is able to wring lyrical despair out of quiet,delicate writing.
 In addition,look at the beautiful cover drawn by Terlson himself! What a multi-talented man he is!

 Thank you for bringing such an amezing book into the world.

 

第51回 クレイグ・タールソン その1


 連日猛暑が続いておりますが皆様いかがお過ごしでしょうか。さて今回は趣向をちょっと変えまして、ツイッターで知り合って絡ませてもらっている作家さんの作品をご紹介するというスタンスでやっていきたいと思います。タールソンさんはとにかくめちゃくちゃ面白いかたで、毎日ツイートで笑わせてもらっています。しかもまめにリプをくださるという気遣いのおかた。先に彼と知り合ってしまったせいで、作中の主人公がどうしてもタールソンさんと重なってしまう(;゚ロ゚)というわけで、さっそくご紹介しましょう。

【あらすじ】
 メキシコのリゾート地、プエルト ヴァヤルタ。ルーク・フィッシャーはビーチ沿いの安ホテルで気ままに暮らしながら、時々頼まれて人捜しやパーティーの警備などをしている。”探偵”と呼ばれることもあるが、ルーク本人は頑なにそう呼ばれることを拒んでいる。探偵と言ってしまうと、人はサム・スペードとか、テレビや映画に出てくるキャラクターを想像してしまう。自分はとてもそんなタイプではないと自覚している。
 仕事をよく回してくれるのは、近所に住むベーノという、幅広い人脈を持つ謎の男だ。友達と呼べる関係ではないが、それに一番近い存在かもい知れない、とルークは思っている。
 ある日ルークは酒場でシンシアという女性から弟のジュールズを捜してほしいという依頼を受ける。しかしその直後に、定宿にしているホテルのベッドに死体が置かれているのを発見する。被害者はこの界隈で使いっ走りのようなことをしているジャンキーのレオンだった。どうやら死ぬ前にベーノに頼まれた仕事をしていたらしい。とにかく、メキシコの警察は腐敗しきっていてろくな捜査をしないので、このままだとルークが逮捕されるのは目に見えている。ベーノはサンタフェへ逃げろ、と言って手はずを整えてくれた。折しもサンタフェにはジュールズに関する手がかりがあるという情報を得たばかりだった。
 ルークはサンタフェへ飛びつつも、レオンを殺ったのは誰なのかと考える。ひょっとしてベーノが関わっているのではあるまいか。友達に近い存在と思っていた男に不信感が芽生えるなか、成り行きでハロルドという大男と行動を共にするはめになる。ハロルドも別の人物に依頼されてジュールズを追っていたのだ。ジュールズがモンタナにいるという情報を得て、喧嘩の絶えない男ふたりの珍道中が始まった……

Surf City Acid Drops.Fascinating title!

 まずタイトルですが、なんとも魅力的ではありませんか。そもそも私が本書に興味を持ったのはこのタイトルと、ジェームズ・クラムリーの『さらば甘き口づけ』に似た世界観だという読者のかたの読了ツイートを見たからでした。俄然興味を掻きたてられて、気になる作家だな……とツイートしたらさっそくご本人からお礼のリプが! そこからツイッター上のお付き合い(というほどではありませんが)が始まったわけです。とにかく面白いおかたで、さらに作中の主人公ルークもこれまたしょっちゅうジョークを飛ばしているものですから私の中ではもうタールソンさん=ルークになってしまっています。
(I can't help identifying Mr.Terlson with Luke.)

なんとも心地いい雰囲気

 ルークの行きつけのバーの名前はEl Rayo Verde.(緑の光線という意味のスペイン語)。これは、日が完全に沈む直前に一瞬緑色の閃光が放たれることから来ています。バーテンダーのジミーは日没後、Sandalsの曲をかけながら緑色のキャンドルを灯していきます。その光はざらついた黄色い壁に反射し、潮風が店内の客たちのため息を掃くように吹き抜けていく。ストーリーはそれなりに曲折もありますが、正直言ってあまり気にする必要なし。登場人物も結構出てきますが、覚えておかなければと焦ってメモを取る必要なし。レジュメがどうだのシノプシスが~、売れ線傾向が~だの考える必要ナシ。たまにはこういうのもいいじゃないですか。潮風、サンセット、パシフィコ・ビール、テキーラ、各種メキシコ料理、美味しいコーヒー。とにかくこの世界に黙って浸ればいいのです。

主人公、ルーク・フィッシャーの魅力(Luke Fishcer is a likable, average guy but very stubborn)

 ルークについては、どうやらウィスコンシン州出身らしい、ということ以外詳細は明かされていないのにもかかわらず、謎めいた雰囲気など一切ありません。それどころかなんとも親しみのある、憎めないキャラクターです。それは彼が普通の道徳観念を持った普通の人だからかもしれません。面白いこともしょっちゅう言っていますが、どちらかというと受け狙いというより天然といった感じ。それがまた相手を怒らせ、我々読者もそこに大笑いしてしまうというわけです。とにかく固有名詞もいっぱい出てくるし、細かいギャグも満載。一応現代物で出版されたのも2015年ですが、デジタル機器など一切出てきません。それでもまったく違和感なし。なぜなら、この世界ではそれで完全に調和が取れているからです。いい意味で古き良き時代のまま時が止まっているようなこの世界観はもはや平行宇宙とか、そういったSFの域に入っているかも。(ちなみにタールソンさんは新作でマジにSF書いてます)

『長いお別れ』(The Long Goodbye by Raymond Chandler)の傍系

 ジェームズ・クラムリー(James Crumley)の『さらば甘き口づけ』 (The Last Long Kiss)が『長いお別れ』のオマージュであることは有名ですが、本書もある意味『長いお別れ』の傍系と言えるのではないでしょうか。本家ではマーロウが殺人犯の濡れ衣を着せられそうになったテリーをメキシコのチュアナまで車で送ってやりますが、こちらはベーノが殺人事件に巻き込まれたルークをサンタフェへ逃がしてやります。ルークとベーノの間に生じる不信感がふたりの友情にも似た関係を微妙にしていくところなどもやや本家とかぶります。逆に本書と『さらば甘き口づけ』 は似て非なるものかと。酒という共通項はありますが、女性の描き方もまったく違っています。『さらば甘き口づけ』 にあるウェットでエモーショナルなリリシズムが本書には皆無で、肌感が別物なのです。本書はむしろカラッとした心地よさが魅力になっていると思います。

男たちの終わらない旅

 作中では喧嘩もあり、死人も出て、ラストは銃撃戦なんかもありますが、この世界は言ってみれば男たちの終わらない旅なのではないでしょうか。旅はまだまだ終わりません!
続編(ルーク・フィッシャー・シリーズ)第二巻

第三巻も近日刊行予定のようです。

 

第50回 ジョン・ブラウンロウ その1

今回は、2023年度CWAイアン・フレミング・スチールダガー賞受賞作の『Agent Seventeen』をご紹介します。

【あらすじ】
 セブンティーン(17)と呼ばれるその男はフリーランスの殺し屋。本名年齢不詳。今はハンドラーという男の仲介で仕事を得ている。ハンドラーは世界中の諜報機関、法執行機関をクライアントに持ち、彼らから依頼される汚れ仕事を請け負っている。昨日はCIAの仕事を引き受けたかと思えば今日はFSB、といった具合に。イデオロギーは関係ないし、クライアントに理由も訊かない。

 ハンドラーのお抱え殺し屋の中でトップの成績を挙げているのが17だ。八年前までトップの座にいたのはシックスティーン(16)だったが、彼は突然リタイアし、代わってその座に躍り出たのが17だった。

 17の今度の仕事はベルリンにいるイランの情報部員を殺すことだった。そのイラン人はある女性と接触して物を受け取ることになっている。その物も回収しろと言われていた。指定の場所に行くと、イラン人が女性からコーヒーの紙コップを受け取っていた。17がそいつを追いかけると、危機に気づいた男はコーヒーを飲み干してしまう。17は男を殺したが、彼は死の間際にパラシュートという言葉を何度も繰り返していた。コーヒーの紙コップに入っていた物を回収するために男の腹をナイフで裂き、胃から物を取り出す。それはSDカードだった。

 その仕事のあと17は行きずりの女と一夜を共にするが、その女に殺されそうになる。怪しさに元々気づいていた17は女をあっさり押さえて何者かを吐かせる。すると、ハンドラーのライバル業者のオスターマンに雇われた殺し屋だとわかった。なぜ自分は狙われたのか。17に心当たりはなかった。

 後日、ハンドラーは17に新しい仕事を持ってきた。ターゲットはシックスティーン。さすがに17は躊躇した。シックスティーンは自分にとって雲の上の存在といえる、レジェンドアサシンだ。だからこそお前に頼むんだ、とハンドラーは言う。殺れるのはお前しかいない。ここで断ったら逃げたと思われて、今後この世界からお呼びがかからなくなるぞ――そこまで言われたら引き受けるしかない。そうして17はシックスティーンが隠遁生活を送っているサウスダコタへ向かう。だが17は知らなかった。その件の裏にはどす黒い陰謀が隠されていることを……

まずは祝! ブラウンロウさん、CWAイアン・フレミング・スチールダガー賞受賞おめでとうございます!

 文句なしの受賞だったのではないでしょうか。さっそく本書の面白さの要因となっている三つの魅力を挙げてみたいと思います。

ひとつ目、キャラクターの魅力

 主人公のセブンティーンを始め、どのキャラクターも独特の魅力を放っています。その根底にあるのは人間が完全に捨てきれない”愛”ではないでしょうか。あまりにも苛酷な幼少時代を送ってきたせいで心をなくし、人を殺すことになんの躊躇もなくなってしまったセブンティーン。それでもどこかにほんの少し残っている人間らしい気持ちが彼を完全な殺人マシーンにはしていません。そのあたりは、彼が一夜を共にした女性を敵と知ってもいっとき彼女の言うことを信じて逃がしてやろうとしたシーンにも表れています。さらに、サブキャラクターのシックスティーンが抱える闇、セブンティーンが泊まったホテルのフロント係の女性キャットの生い立ち、シックスティーンの女友達バーブの過去、セブンティーンの指導者トミーの贖いなど、どのキャラクターも何かを背負い、アイロニカルな面を持ち、それでいてどこか憎めなくてなんとも印象的です。

 また、ジェンダーステレオタイプな描写がほとんどないのも地味に特徴です。女スパイがセブンティーンを誘うシーンも007の映画のように女性がその魅力的な肉体で迫る、なんてシーンはありませんし、17と関係を持つキャットという女性にしても、とらわれの身となってただ男の助けを待つか弱い女性(あるいは足手まといな女性)という描き方はされていません。また、男と男がガチで死闘を繰り広げるシーンでもマチズモ臭がありません。そこにあるのは性ではなく個であり、描かれているのはすべて個と個のぶつかり合いなのです。

ルー・バーニーがスパイ物を書いたら?

 ふたつ目に挙げられる魅力は、リリカルで哲学的な香りもほのかに漂う筆致です。本書を読んで最初に浮かんだのは、もしルー・バーニーがスパイ物を書いたらこんな感じかな、という感想でした。死を予期し、死の影を背負って生きているキャラクターたちの描写はどこか哲学的でもあり、心に響きます。そのうち刊行の巻数を重ねていったら名言集もできそうな感じ。とりま、私が本書から拾った名言は、When you kill someone for the first time, you also kill the person you used to be.でしょうか。『初めて人を殺すということは、それまでの自分を殺すということだ』

ガッツリアクション!

 みっつ目の魅力はたっぷりとしたアクション描写でしょう。本書の宣伝文には007やジェイソン・ボーンが好きな人向け、とありましたが、うーん、それはどうでしょう。ジェイソン・ボーンはまだしも007はちょっと違うかな……。本書は決して映画のようなド派手なアクションが満載というわけではなく、どちらかというともっとスケールは小さいのですが、とにかくバラエティーに富んでいます。クライマックスはこれでもか、というアクションに次ぐアクションの連続! 17やシックスティーンだけではなくキャットも参戦でもう興奮は最高潮!

著者のジョン・ブラウンロウさんについて

 ブラウンロウさんは1964年8月11日、イングランド東部のリンカンシャー州の州都リンカンで生まれ。2000年初頭から脚本家として活動を始め2003年にはグィネス・パルトロウとダイエル・クレイグが主演の『シルヴィア』という映画の脚本を担当しています。また、2014年には人気スパイ小説「007」の生みの親である作家イアン・フレミングの軍隊時代を描いた全四話のテレビドラマ『ジェームズ・ボンドを夢見た男』の脚本を、2017年にはドラマ『ミニチュア作家 ジェシー・バートン』の脚本を書いています。
 本書『Agent Seventeen』の映画化権はすでに売れているとか。実現したらセブンティーンとシックスティーンを演じる新旧スターのバディコンビがスクリーンで大暴れしそうですね。ちなみに続刊の『Assassin Eighteen』は2023年8月に刊行予定です。

 

 

 

 

 

第48回 ジョージ・ドーズ・グリーン

 今回は1995年MWA賞最優秀処女長編賞受賞作家で、1996年に公開された映画『陪審員』の原作者でもあるジョージ・ドーズ・グリーンさんの作品『The Kingdoms of Savannah』をお送りします。なお、本作品は2023年度のCWA賞ゴールデンダガー賞を受賞しました。

【あらすじ】
 アメリカ南部、ジョージア州サヴァナ。ルーク・キッチンズ二十二歳はホームレスだが、ときどき日雇いの仕事をしながらなんとか生きている。フリーの考古学者の中年女性ストーニーとはホームレス仲間だ。この町の下層民のふたりはその日も行きつけのバーへ足を運んでいだ。バーテンダーのジャックことジャクリーンは芸術大学の大学生で、常連客に人気がある魅力的な黒人娘だ。
 そこへ見知らぬ男がやって来てストーニーに酒を奢った。それを飲んで具合を悪くしたストーニーは外へ出る。男も追いかけてくると、自分のボスに会ってほしいと言って彼女を車に乗せようとした。ストーニーを心配したルークも店を出てくるが、男に銃で撃たれて殺されてしまう。そしてストーニーは車に乗せられて拉致された。

 翌日、ルークは焼死体で発見された。寝泊まりしている空き家に放火されたのが原因ということになっていた。そしてその空き家の所有者で町の嫌われ者のガズマンが逮捕される。空き家の維持費に困り、保険金目当てに火をつけたのだろうと思われていた。

 しかしガズマンは無罪を主張し、マスグローヴ探偵社に調査を依頼する。その探偵社のオーナーはサヴァナの名家の筆頭であるマスグローヴ一族の当主、モルガナだ。七十歳になるモルガナは、それまで勘当状態だった末息子のランサムを呼びよせてこの件の調査にあたらせる。さらにモルガナの長女で判事のウィロウやモルガナの義孫娘にあたるバーテンダーのジャックも調査に協力する。すると、ストーニーがある土地で奴隷制度にまつわる史跡を発見し、それをキングダムと呼んでいたという事実が浮かびあがってきた。

 だがその後ルーク射殺事件の目撃者が殺され、ランサムが容疑者として逮捕されてしまう。さらにガズマンも自殺に見せかけて殺される。一連の事件は史跡の隠蔽が目的だと気づいたモルガナには犯人の目星がついていた。それで、その人物と対峙するが……。

導入部は印象的

 本書の良かった点を挙げるとすれば、”導入部は印象的”このひとことに尽きるでしょう。冒頭、自由の戦士の王国【キングダム】という謎めいた言葉を発した考古学者がさらわれ、助けようとした若者が殺される。そして関係のない人間が逮捕され、ある探偵社が無実の罪をはらすために動きだす――なんともミステリー好きの読者の心を躍らせる導入部ではありませんか。しかし心が躍ったのはそこまででした。その先は今どきのミステリーとは思えない、80年代の世界観が待ち受けていました。

80年代感の正体

 80年代感の正体のひとつにはリアリティーの欠如が挙げられるかもしれません。南部の華麗なる一族総出で事件解決にあたるという構図。登場人物の数だけはやたらと多いのですが、戯曲のキャラクターのような感じと言えばいいのでしょうか、どの人物にも衣装、小道具、バックグラウンドは与えられているものの、彼らからは表層的なイメージしか伝わってきません。この辺がどことなく古臭さを感じてしまうのですね。

 また、南部の特権階級と過去の奴隷制度をテーマにしているのにも関わらず、政治色をふわっと回避しているところも80年代っぽく感じられました。当時はそういう描き方が粋とされていたのでしょうが、今はSNSを通じて誰もが自分の意見を発信する時代です。そんな中にあって作中でも一番若く、しかも黒人であるジャックが奴隷制度や祖先の人々についての自分の考えを発信しないところには何となくもやもやしました。冒頭では大学の課題でドキュメンタリーを撮ると言ってバーの客を携帯電話で撮影していたのにこの件についてはスルーして、事件後ニューヨークに行って町並みのビデオを撮るというエンディングは意味がよくわかりません。

 さらにはこれだけ鑑識技術が発達し、警察のプロシージャーが可視化されている現代にあって、殺された被害者のそばにいたというだけでランサムが容疑者として逮捕されるなどということがありうるのでしょうか。しかも、田舎町でもないのに監視カメラや交通カメラがひとつもなかったり、考古学者がある島を調査して史跡を見つけたというシーンでも、普通発掘作業は何人かのグループでやるものではないでしょうか。ひとりで全部やってひとりで秘密を抱え込んだというのは無理があるのでは? まあその辺もリアリティーはスルーして、雰囲気重視で話は進行します。

事件は勘で解決

 前半早々に一見善良そうな警官ガクタスが黒幕の手下だということが読者には明かされますが、登場人物たちはわかりません。特にジャックは彼を信用して呼び出しに応じたりと危険な展開に。ガクタスの裏の顔はどうやって暴かれるのか、ランサムが何か証拠を掴むのだろうか、などと期待しながら読んでいるとなんとまあ、マスグローヴ家の当主モルガナ老婦人の”あいつの表情が怪しい”のひとことでガクタスは悪者認定されます。ちなみに黒幕もモルガナの勘で判明。集めた証拠を重ねていって真相にたどり着くというミステリーの醍醐味は吹っ飛びます。

中途半端なアプローチ

 結論として、やはり奴隷制度をテーマにする以上、政治色を排するというのはアプローチとして疑問が残ります。しかもこれだけ多くのキャラクターが登場していて黒人はジャックひとりだけ(厳密に言うとジャックの母親ロクサーヌもちらっと出てきますが)というのはいかがなものでしょう。結局白人の視点からの奴隷制度をテーマとした描写はこんなお花畑になってしまうのか、と残念な印象を残しただけの作品となってしまいました。雰囲気でまとめるとかそういった中途半端なアプローチよりも、リアルに核心をついてほしかった。芸術性や文学性が真実をぼやかすことになってはならない、今はそういう時代なのではないでしょうか。