今回は、1920年代のインドを舞台にしたヒストリカル・ミステリー『カルカッタの殺人』シリーズでおなじみのアビール・ムカジーさんによる現代物のスリラーをお送りします。
【あらすじ】
アメリカの大統領選があと一週間と迫った日に、ロサンジェルスのショッピングモールで自爆テロが発生。容疑者はヤスミン・マリクというアジア系の女性と判明。事件直後には〝カリフの息子たち〟というイスラム過激派のグループから犯行声明が出された。しかしFBI捜査官のシュレヤは違和感を持ち、上司のダンが止めるのも聞かず単独で捜査を決行。すると事件の背後に、元エリート軍人の白人女性をリーダーとしたカルト的なグループが浮かびあがる。
そのグループに入っている子供を取り返したい――そう思って立ち上がったのは、グループのメンバーで爆弾製作担当のグレッグの母親のキャリーだった。彼女は、同じくグループのメンバーで、ショッピングモール爆破の共犯者と見られているアリヤという若い女性の父親サジットに協力を仰ぐ。サジットも娘を取りかえしたいという思いが強く、キャリーと行動をともにすることに合意。そうしてふたりは自分たちの子供をグループから奪還ずるために動きだす。
そのころグループのメンバーのグレッグは、ショッピングモールの爆破によって大勢の死者が出たことに良心の呵責を感じ、リーダーの女性ミリアムが唱える思想に疑惑を覚える。それで、同じくメンバーのアリヤとともにグループからの離脱を決意。しかし、逃げるふたりはすぐに捕まって連れ戻されてしまう。
一方、FBI捜査官のシュレヤは、謎のグループの存在をつきとめるという功績をあげたにもかかわらず、上層部からはテロの共犯を疑われて謹慎処分を食らう。大統領選が刻一刻と迫るなか、今回のテロによって共和党の候補者チャック・コスタの支持率は急上昇していた。共和民主両候補者の最後の遊説地はともにフロリダだった。候補者が乗る飛行機に爆弾を仕掛けることをミリアムに強要されるグレッグ。そしてアリヤは演説会場で自爆テロをすることになり、爆弾が入ったリュックを背負って会場入りする。子供たちを止めようとしてキャリーとサジットも会場に入る。
同じころシュレヤの娘のアイシャも支持している候補者を応援するために演説会場に来ていた。しかし、FBI内にいる、ミリアムと通じている裏切り者に誘拐される。グループはアイシャを人質にとってシュレヤを動きを封じようとする。最後の決戦の地、フロリダでのラストバトルの行方は?!
あのアビール・ムカジーが現代物に挑む!
本書の著者であるアビール・ムカジーさんは説明するまでもないでしょう。2017年に『カルカッタの殺人』でCWAヒストリカル・ダガー賞を受賞され、今や押しも押されぬ大作家となっているお方。その彼が現代物のスリラーを手がけたとあって本書は発売前から大評判でした。有名作家クリス・ウィタカー、リー・チャイルドらも大絶賛。私も『カルカッタの殺人』を始めとしたウィンダム&バネルジー・シリーズを全巻読んでいる身として(未邦訳も含め)注目せずにはいられません。ということで全五百ページのハードカバーを購入。さすがに厚く、重く、威圧感があります。本能的にワクワク感よりも読む前から疲労感が……。そしてページを捲ると、手がどんどんと重たくなっていきました。なんでしょう、登っても登っても頂上が遠ざかる感じ。「一気読み」「ページターナー」「サスペンスフル」といった読者のレビューの数々はいったいなんだったのでしょうか。
丁寧な描写が仇に?
丁寧でわかりやすい描写には定評があるムカジーさん。物語を読ませる筆致は健在です。しかし今回ばかりはそれが仇となったのかも。ストーリーは複数視点で進行し、視点となる各キャラクターの状況が丁寧に描かれていきます。しかし、どの人物のパートも同程度の力点を置いて描写されているため、メリハリがなく、テンポも遅くなってしまっています。表紙には砂時計のイラストがあるのですから、せめてタイムリミットを導入したらまだスピード感が出たかもしれません。大統領選まであと○日、という程度のリミットは緊迫感を盛り上げるにはちょっと弱かった。
そもそも論なんですけど……
そもそも論として、本書には見逃しがたい最大の欠点があります。それは、そもそも誰がなぜ何のために? が明確にされないままストーリーが始まり、そして終わってしまったことです。悪者側の、カルト的グループとはいったいなんだったの? 思想は? どうやってアリヤたちのような若い女性を引きこんだのか? なぜ若者たちはリーダーのミリアムをそこまで信じているのか? グレッグとアリヤがグループを抜けて逃避行するのがストーリーの重要なパートを担っていますが、ふたりの間の関係が不明瞭。グレッグの一方的な恋心は細やかに描かれているものの、グレッグと行動をともにするアリヤの心理はとうとう最後までわからずじまいでした。ゆえにこのふたりの逃避行はなんだかぼやけた印象。結局連れ戻されて、何事もなかったかのようにふるまってるし。結局何だったん?
ムカジーさん、ひょっとしてロマンス描写は苦手?
思えばウィンダム&バネルジー・シリーズでもウィンダムの嫉妬心や独占欲はよく描かれていますが、女性との恋愛関係における心理描写はほとんどありません。バネルジーに至っては、女性と話すだけで赤面するという始末。ひょっとしてムカジーさん、ロマンス描写は苦手なのでは?
本書では、グレッグとアリヤの親であるキャリーとサジットの熟年ペアが非常に印象的でした。このふたりを主人公にすればよかったのではと思うくらいです。イギリス在住のサジットは、指名手配されているアリヤの親ということで当局から目をつけられているゆえ、アメリカへはカナダ経由で密入国し、国境警備隊の銃弾を逃れながらキャリーと合流してアメリカを横断します。互いの命を預けあいながらの、一種のロードムービーのような逃走劇。途中カーチェイスあり、銃撃戦あり、そしてお約束の、色々理由があってモーテルのダブルルームの一室でしかたなくふたりいっしょに一夜を過ごさなければならない状況に。ここまできたのだから、少しはアダルトなケミストリーが発動したっていいでしょうと思うのですが、モーテル代をキャリーに出してもらって男としてのプライドガーとかなんとかというサジットのぐじぐじした心理描写が続き……って、いや、ちがうでしょー! 中年が! 純すぎるのにもほどがあるわ! と、わたくしはひとりのたうちまわっておりました。このように、行動原理がはっきりしているキャラには感情移入しやすいし、ストーリーにのめりこんでいけます。このふたり、ラストの見せ場ではやってくれます、魅せてくれます。完全に主役になってました。やっぱ絶対このふたりを主人公にすべきだったと確信。
完全無欠なよくある話
最後に、本書の特徴として挙げておきたいのは、よくある話のセオリーをとことん踏襲しているという点です。
□能力はあるが上司の命令を聞かず単独行動するFBI捜査官シュレヤ、挙げ句の果てにテロの共犯者と疑われ、窮地に立たされる。
□シュレヤは、無理難題を聞いてくれるオタクのコンピューター技官(ガルシアみたいな)と親しい。必要な情報は彼からどんどん得る。
□FBI内にいる裏切り者、登場シーンからフラグ立ちまくり。案の定シュレヤは気づかず、その人物に嬉々として携帯に保存してある娘の写真を見せる。(もうこの時点で、あ、娘誘拐されるな、とわかる)実際、ラストで娘は誘拐され、人質に取られる。
□ラスボスである、カルト的グループのリーダーのミリアムはメンサ的高IQの持ち主で、ビンラディンを捕獲した陸軍特殊部隊のメンバーのひとり。氷のような青い目、長い白髪で顔半分が隠れているが、そこには傷跡がある。
とまあ、こんな具合です。かいつまんで説明すると結構面白そうですが(我ながらそう思う)、読んでいる途中は話の進行具合が遅くてきつかったというのが正直なところ。
ちなみにムカジーさんはこれに懲りたのか(どうかはわかりませんが)今後はしばらくはウィンダム&バネルジー・シリーズに集中するそうです。シリーズの続編も来年初めに出るとか。こちらも楽しみです。