び~ふぁいる

主に未邦訳の海外ミステリーについて語ります

第66回 ブレント・バット

なんと、四か月以上ぶりの更新となりました。今年始めに読了した本作は、各方面から称賛の声が上がっていた作品です。期待を胸にページを開きました。

なぜかアマゾンに画像が写らないので自分で写真撮りました。(というか以前撮ってブレントさんのXにリプしたときの写真です)

【あらすじ】
 時は一九九四年。デイル・ウェブリーはシカゴ在住、バツイチの四十二歳。スタンダップ・コメディアンとして地方を巡業しながら生計を立てている。八十年代はそこそこ名が通っていたが、その後スタンダップ・コメディそのものの人気に陰りが差しはじめて、ギャラも上がらず、現在は元妻への慰謝料と娘の養育費の支払いに四苦八苦している。

 そんな折り、カナダで芸能エージェンシーを経営しているマーリンから一週間のカナダ巡業を打診される。金に困っていたデイルは二つ返事で引きうけていざカナダへ。最初の巡業地であるカナダのウィニペグで、同じステージに立つ他のふたりのコメディアンと合流する。

 しかし、実はマーリンは地元のギャングのブルという男に借金を返せと脅されていた。ギャンブル狂のマーリンは自分が作った借金で首が回らなくなっていたのだ。それで、デイルらに回したカナダ巡業のギャラを着服することを思いついたのだった。

 デイルが合流したふたりのコメディアンのひとり目はリン・ラニガン、二十六歳。めきめきと頭角を現してきた、アイルランド出身の女性コメディアンだ。今はLAに住みながら夢を叶えるために頑張っている。もうひとりはホービー・ヒュージ。大物(ヒュージ)になりたいという単純な理由で自分にヒュージという芸名をつけたという、筋骨たくましい大柄(ヒュージ)な若者だ。

 この三人で一週間、カナダ各地を回ることになった。リンは場の空気を温める能力に長け、デイルは持ち前の安定感で観客を盛り上げる。しかし経験の浅いホービーのジョークはことごとく観客を引かせてしまう。デイルがアドバイスしてやると、素直に聞くときもあれば、スイッチが入ったように荒れるときもある。そんなホービーにデイルとリンは翻弄されつつも旅を続けていく。

 だが三つ目の巡業先でリンがホービーのある恐ろしい行動を目撃してしまったことからその巡業はデス・ツアーと化していくのだった……。

スタンダップ・コメディとは?

 コメディアンの話ということで、何となく日本で言うところのお笑い芸人をイメージしながらページを開きます。お笑いと、かなりシリアスっぽいこのサスペンス・スリラーがどう融合するのか見当もつかないままに読んでいくと、あれ? 思っていた〝お笑い〟となんか違う……。ということで、調べてみました。

 スタンダップ・コメディとは、時事ネタ、社会問題、下ネタ、政治、宗教、人種差別といった題材に皮肉を交えて鋭く切りこんでいく話術で取る笑いのこと。そのためにコメディアンはつねに自分と社会を客観視する能力を磨いていかなくてはならないとのこと。違和感の正体はここだったのですね。周りの目を気にして和を重んじ、政治色を厭う日本人には馴染みのない笑いの切り口です。
 作中の会話も文章も、腹を抱えて笑うジョークというよりは皮肉の効いた例え話や切り返しが多く、また、主人公のデイルの状況を客観視する冷静な視点が非常に印象的です。なるほど、一見意外なようでいて、スタンダップ・コメディとサスペンスの親和性は高し、です。

作者は国民的人気コメディアン

 作者のブレント・バットさんはカナダの国民的人気コメディアンでもあります。作中に登場するコメディアンであるデイルやリンの置かれた状況や、ステージとなるナイトクラブのオーナーとの会話などの描写がリアリティーに富んでいるのも納得。本作はブレントさんのデビュー作であり、カナダでデビューした作家を対象とした二〇二四年度の楽天kobo新人作家賞の最終候補にノミネートされています。ノミネートの中には日本でも『メイドの秘密とホテルの死体』として刊行されているニタ・プローズさんの『The Maid』も入っています。最終結果の発表は二〇二四年六月十八日の予定です。

 ちなみに、なぜ楽天koboなのか、なぜこの賞はカナダだけなのかと思って調べてみたところ、楽天koboとはカナダに本拠を置くカナダの電子書籍企業だったのですね。二〇一二年に楽天の子会社となって社名が楽天koboになったそうです。(koboとはbookのアナグラム

 キャラクター描写といい、緊張感が持続するサスペンスフルな展開といい、デビュー作にしてなかなかの安定感を見せてくれたブレントさん。もし円高で、翻訳ミステリーがひと昔前のように勢いのあるころだったならば、邦訳化レベルのラインに楽々到達していたのではないでしょうか。個人的には、あともうひと味、従来の作家にはないフレッシュさ、あるいはコメディアンという異分野出身の強みを活かした意外性があったらよかったかなと。

さて、次回もまた二か月以上前に読んだ本をご紹介しようと思います!