び~ふぁいる

主に未邦訳の海外ミステリーについて語ります

第5回 アーメル・アンワル その1

『Western Fringes』by Amer Anwar

 

Western Fringes

Western Fringes

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 現在、日本の翻訳ミステリー界隈にはどんなブームが来ているのでしょうか。業界のトレンドには疎いのでよくわかりませんが、私個人には確実にあるブームが来ています。それは、イギリスのミステリー界から生まれたアジア作家ブームです。アビール・ムカジー、クラム・ラーマン、ヴァシーム・カーン、キア・アブダラ……ざっと挙げただけでも錚錚たるメンバーですが、彼らは皆イギリス移民の二世で、イギリス人としてイギリスで育ちながらも、その価値観と祖国の歴史を融合させながら素晴らしい作品を生みだしています。

 

 

 

 そんな彼らの兄貴分にあたるのが、このアーメル・アンワルといっていいでしょう。一足早く2008年にCWA賞のデビュー・ダガー賞(まだメジャー出版社から出版されていない作品が対象)を受賞して脚光を浴びましたが、その後なぜかブランクがあり(手直しに九年もかかったのでしょうか)受賞作である本書が刊行されたのは2017年となっています。その間にすっかり後輩たちに後塵を拝してしまいましたが、本作の続編『Stone Cold Trouble』が2021年のゴールド・ダガー賞のロングリストにノミネートされ、再び存在感を示しています。

 この『Western Fringes』ですが、全454ページもあり、裏表紙には〝サウソールのソプラノズ〟なんて煽り文句まで付いています。サウソールといえばロンドン随一の、インド系の人口が多い地区です。そこでソプラノズばりの、血で血を洗うギャング抗争が繰り広げられるのでしょうか。

 

 おそらくストーリーは複雑に絡みあい、読み方のよくわからない名前のインド人がいっぱい出てきて誰が誰だかこんがらがること必至。不安を胸にページを開きます。

 

【あらすじ】

 主人公のザックは生まれも育ちもサウソール。パキスタン系のムスリムだが信仰心は特にない。大学卒業後IT企業に勤めていたが、ある夜パブで喧嘩に巻き込まれ、たまたま放ったパンチが酔って暴れていた客に当たってしまう。その客の名はラーフル・ダッタ。元々脳内に動脈瘤があったためにそのパンチが引き金になって死亡し、ザックは過失致死罪で五年の刑を受ける。

 出所後、建材屋を経営するブラールのもとで働きだすが、ある日ブラールに呼び出されて彼の家出した娘リタを捜せと命令される。見つけないと建材を盗んだと通報して刑務所に送り返すと脅され、渋々引き受ける。親友のジャグズの力を借りてリタを捜し始めるが、サウソールきっての脳筋兄弟と名高いリタの二人の兄、パームとラジが何かと介入してきて、妹を見つけたら親父より先に俺達に教えろ、と凄む。

 同じころザックは、彼が死なせてしまったラーフル・ダッタの兄、マヘーシュに襲われる。マヘーシュは弟の仇を討とうとザックをつけ狙っていた。マヘーシュの一団やパームとラジのグループから襲撃されて満身創痍になるザック。しかしジャグズと一緒にパームとラジの兄弟が借りている倉庫に忍びこんだとき、彼らの裏稼業を嗅ぎつける。ヘロインの売買。悪業はそれだけではなかった。兄弟は、数週間前にヒースロー空港で貨物機から1200万ポンド相当の外国紙幣が強奪される事件にも関与していたのだ。だがリタがまんまと兄たちを出し抜いて金を手に入れて逃亡しているらしい。それでパームとラジは血眼になってリタを捜していたのだ。しかし父親には、妹はムスリムの男と駆け落ちしたと嘘を吹きこんでいた。ブラールはそれを真に受け、世間に知られる前に娘を連れ戻さねばと思ってザックに捜索を命令したのだった。シク教徒のブラール家の者がムスリムと駆け落ちなど、絶対に許されないことなのだ。

 リタの親友のニーナの協力を得てリタと接触することができたザックは、彼女から事情を聞く。確かにリタは兄たちから金を盗んだが、それは父と兄から逃れて恋人と一緒に遠い所で暮らすためだった。しかしその恋人を兄たちに殺され、もう金に執着はないと言う。ザックは家に帰るようにとリタを説得するが、兄たちが恐いし、それに今帰ったら父が選んだ男と無理やり結婚させられてしまうので帰れないと言う。でも連れて帰らなければザックはまた刑務所送りになってしまう。加えてマヘーシュも執拗にザックを狙いつづけている。すべてを解決するために、ザックは一計を案じた――。

クライムフィクション界に吹いた爽やか旋風!

 いや~、最初に抱いた予想に反して読みやすい読みやすい! ただ、ページ数の割に内容が薄く感じられたのは繰り返しが多いせいかもしれません。もうすでに読者が知っている事実が会話のシーンで繰り返される(まだその事実を知らないキャラクターに教えるという流れで)パターンが多いせいで内容が反復し、ページ数がかさんでいるような気がします。   

 ですがこの作品にはそういった点を補ってあり余る最大の愛されポイントがあります。それは、メインキャラのザックとジャグズの爽やかさ! この一言に尽きます。でもなんでこの二人、似たような名前にしたんでしょうね……。こんがらがる!(ちなみに本名はザキールとジャグデヴ)二人は小学校以来の親友という設定ですが、この関係の描写がまた暑苦しくなくてイイ! 昔いじめっ子に苛められているところを助けられたとかいう絆が深まった系のエピソードなど一切ありませんし、必要もなし。二人が交わすささいな会話だけで彼らの関係性が充分に伝わります。こういう、引き算の美学的な描写、イイです! 

 ザックの人生は前科者になって180度変わってしまいますが、それでも現状を受け入れ、刑務所の中で学んだことを糧にしながら決して卑屈にならずに前を向いていきます。思わず応援したくなるこのキャラクターは本書の最大の魅力でしょう。そして親友のジャグズ。ザックの家族でさえ服役後はてのひらを返したように冷たくなっているというのにジャグズはまったく意に介さず、以前と同様にザックと付き合います。あぁ、爽やかだな~! 

 それともうひとつ、忘れてならないのがザックの仲間たちです。刑務所で知り合った、車両窃盗のプロのビリーはストリートの情報を提供してくれたり、ルームメイトのシク教徒でがっしりとした体格のマンジットとバルは、ザックを狙う連中に睨みをきかせてくれたりと、なんとも頼もしい。今後もレギュラー・メンバーとしてザックをサポートしていってくれそうです。

 また、本書を通して浮き彫りになったのはインド人コミュニティーにおいて〝名誉殺人〟という考え方がいまだに認められているということです。女性は家庭内の男性の所有物として扱われ、結婚前に男性と付き合っただけで家名を汚したとして、父や兄に殺されて当然だいう不文律が横行しているという現実。しかし、そんななかにあってもリタは、母親のような人生は歩みたくないと言って父親や兄を向こうに回し、なかなかにしたたかなところを見せてくれます。

 ただちょっと残念なのは、見せ場であるはずのアクションシーンがあまりエモくないことでしょうか。微に入り細に渡りテクニカルに描写されているのはいいのですが、いまひとつストーリーとの融合性が感じられないのです。殴り合いのシーンひとつ取ったって、もっとドラマチックな描き方があるはず。ボクシングの解説じゃないんだからと、突っこみたくなってしまいます。高まる感情と重なり合うようなバイオレンス描写がほしかったところかと。

 ともあれ爽やかな作品であることには変わりありません。せっかくの余暇の時間はドロドロしたサイコサスペンスや猟奇殺人物を読んで重い気分になるよりも、読後感が爽やかなアクション・ミステリーを読みたいという方にはぜひお勧めです。ただ、きついシーンもないわけではありません。パームとラジの一味がリタの居場所を知っている男を拷問するところはかなりグロいです。そのパートを読んで、〝サウソールのソプラノズ〟の意味がわかりました。拷問は肉屋の作業場で行われるのですが、ありましたね、ソプラノズでもトニーたちがいつもたむろっているあの肉屋で死体を解体して挽肉にしちゃったりして……。

 

 さて、次回は続編の『Stone Cold Trouble』をお送りします。ザックとジャグズの爽やかコンビがまたまたハードなトラブルに巻き込まれます。この二作目と一作目の間はストーリー上は数カ月しかたっていないことになっているのですが、実際は十四年もたっているんですよね。アーメル・アンワル、その間どうしていたのでしょうか……。