び~ふぁいる

主に未邦訳の海外ミステリーについて語ります

第39回 ダニヤ・クカフカ

 今回は2023年度エドガー賞長賞賞にノミネートされている作品をご紹介します。

 これ一年以上前から評判になっているのを知ってて、売れている作品なので勉強のために読もうという理由で買ったものの、どうにも好み系ではなくて食指が動かず読んでいなかったのです。ですがエドガー賞長賞賞にノミネートされたと知り、ついに重い腰を上げました。う~ん、麗しい言葉の多用で文芸の香り高く、中身はともかく美しくラッピングされたお話といった感じでした。いかにも批評家受けがよさそう。

【あらすじ】

 アンセル・パッカー死刑囚、四十六歳。三人の少女と妻を殺した罪で服役中。十二時間後に死刑が執行されることになっているが、この先に自由が待っていることを信じていた。女性看守ショーナを丸め込んで脱獄計画を立ててある。これから死刑が執行される場所へ護送されるが、その車の運転席の下にはショーナがピストルを置いくれている手はずになっている。着替えもショーナが逃走ルートの途中に用意してくれている。

 一九七三年、アンセルの母ラベンダー、十七歳。

 トレーラー暮らしをしていた平凡な高校生だったラベンダーはある日ジョニーというハンサムな年上の男性と出会い、同棲を始めた。そこは野中の一軒家。二人だけの世界に初めのうちこそ喜んでいたラベンダーだったが、きつい農作業、家電やシャワーのない暮らし、ジョニーの暴力的なセックスに次第に疲弊していく。やがて妊娠したが、誰の助けを得ることもできず、納屋で男の子を産みおとす。その子はアンセルと名づけられた。おむつもなかった。

 アンセルが三歳のとき、一人で森に入っていって血だらけで帰ってきた。半狂乱になるラベンダー。彼が握っていたのは頭がちぎれたシマリスで、本人自体は怪我をしてはいなかった。ジョニーは食料を管理することで母子を徹底的に支配していた。ジョニーに奉仕しないと食べ物は与えてもらえない。アンセルは夜中に腹を空かせて泣いた。ラベンダーは息子を抱きしめた。彼女も耐えられないほど空腹だった。その頃までにはジョニーへの愛情はなくなっていた。しかし二人目の子供を妊娠し、男の子を出産。ジョニーは無関心で名前すらつけず、アンセルは弟をベビー・パッカーと呼んだ。

 産後、身体が弱って床に伏せっていると、ジョニーに無理やり叩き起こされてセックスを強要される。そばではパンツも履いていないアンセルが泣き叫ぶベビー・パッカーを抱きながら泣いている。気分をそがれたジョニーは怒ってアンセルの頭を掴み、壁に叩きつけた。ジョニーは出ていったがしばらくして帰ってくると、すまないと謝ってきた。ラベンダーは許すかわりに五年間出たことのなかった外へ出してくれと言った。ジョニーはラベンダーの機嫌を取るために承知した。そうして二人はジョニーのトラックでドライブに出かけた。途中ガソリンスタンドでジョニーが給油している間にラベンダーは売店から911に通報して子供たちを保護してくれるように頼む。それから逃げた。

 アンセルは施設に引きとられ、ハンサムな少年に成長した。しかし自分の中に説明しがたい感情があり、それを抑えきれなくなっていた。始めは小動物を、やがて少女たちをターゲットにしていく。警察からはノーマークだったが、一人だけアンセルに疑いの目を向ける刑事がいた。それは過去にアンセルと同じ施設で育ったサフィだった。

 アンセルは大学でジェニーと出会い、結婚。彼女のためにも犯行はやめようと決意する。しかし結局結婚生活は破局を迎え、ジェニーは去る。そこへ、消息がわからなかった弟のベビー・パッカーの娘のブルーから手紙がくる。ベビー・パッカーは養子にもらわれて幸せに暮らしていたことを知り、罪の意識から解放される。それまで、幼子を泣きやませることができなかった自分をずっと責め続けてきたのだ。しかし弟は病気で亡くなったと書いてあった。ブルーに会いに行ったアンセルは、彼女が記憶の中にある母とそっくりなことに血の繋がりを感じ、初めて家族ができた幸せに酔う。しかしその幸せも長くは続かなかった……。

 一度ずれた運命の歯車は、修正不能となって不幸の連鎖を生み出していく。

 この宇宙のどこかには選択によって分かれた別の世界があり、そこには違う生き方をしている自分がいるはず――そう信じるアンセルに刻一刻と処刑の時が迫る……。

異色のシリアルキラー

 本書は、手垢のついたシリアルキラー物を独創的なアプローチで切りこんだ一作といえるでしょう。1973年を振り返った序盤の、アンセルの母親のラベンダーのパートは衝撃的で目を覆いたくなるほどでした。アーミッシュも真っ青な、シャワーも家電もまったくないという環境に加えてジョニーの鬼畜ぶり。幼少期にこんな酷たらしい目に遭わされたらそりゃ精神も歪むというもの。ここの描写はのちのアンセルの犯行のエクスキューズとなる大事なパートです。さらに冒頭では、死刑執行を目前にしている現在のアンセルの姿が描写されています。女性看守のショーナを抱きこんで脱獄計画を企てているアンセル。過去と現在が交差しながら物語は進みます。

読書会にはもってこいの一作

 最大のテーマは死刑制度への疑問です。本書では度々〝この世には完全な善人も悪人もいない。誰にだってやり直すチャンスが与えられてしかるべき〟という言葉が語られます。さらにアンセルを追っていた刑事のサフィも〝アンセルは根っからの悪人ではない。正義は人生の帳尻合わせに利用されるものではなく、処刑は無意味だ〟と述べています。実際アマゾンやgoodreadsのレビューを見るとほとんどの読者がアンセルに同情的で死刑反対とコメントしています。

 しかし冷静に読みといていくと、著者の意図的な印象操作がちらほらと見えてきます。例えばアンセルが少女たちを殺すシーンはなぜか具体的な描写が避けられているので、アンセルが何をしたのか、どれほど残虐なことが行われたのかが読者には伝わってきません。(ここを描写してしまうと、やっぱりアンセルはひどいやつだ、という印象を持たれてしまうと思ったからなのでしょう)ですがが殺した後に、涙が流れただの母を想っただの自分でも自分が何をしているかわからない、といったことは克明に表現されています。そういった情緒的な描写が殺人という行為の残虐性を薄めているような印象を受けてしまいます。ぶっちゃけ言っちゃうと、ズルいな~という感じ。

 そもそも多視点で展開する本書の語り部たちはラベンダー(母親なので当然アンセル寄り)、サフィ(施設でアンセルと共に育ち、彼に好意を持っていた)、ヘイゼル(アンセルの妻ジェニーの双子の妹でハンサムなアンセルに見惚れる)という、全員、基本アンセルに好意的という設定。これが輪をかけてアンセルの残虐性をぼやかしています。

当事者意識が欠けた上から目線

 さらに気になったのは、被害に遭っているキャラクターのほとんどが貧困層――所謂ホワイトトラッシュだという描かれ方です。トレーラー・ハウス暮らし。ウエイトレス。安い服。安いバッグ。鼻ピアス。肩に落ちたフケ。場末のバー。著者が貧困層を差別する意図がないことは充分わかります。ですがこの描き方からは、犯罪は貧困から生まれるもの、被害に遭うのは底辺の人間、といった、どこか他人事のような考え方が滲み出てしまっているような感じがしてしまうのです。社会で生きている以上、貧富の差は関係なく誰しもが犯罪の被害者/加害者になる可能性を持っているはずだと思うのですが、ここには同じ社会の一員という当事者意識や被害者に寄りそう目線が感じられません。

 作中には〝選択によって分かれた別の世界〟の話がよく出てくるのですが、これも受け取りようによっては被害者の少女たちも安易にアンセルの誘いに乗らなかったら別の未来もあっただろう、といった、自己責任論を暗示しているようにも感じられ、そこにもアンセルのおかした殺人行為を矮小化する意図が見え隠れしているような気がしなくもありません。極めつけはエンディング。アンセルに殺された被害者たちは〝選択によって分かれた別の世界〟で幸せに暮らしているだろうという描写で終わっています。これには開いた口が塞がりませんでした。虚構の中の話とはいえ、あまりにも命を、未来を奪われた者たちの扱いが軽すぎるような気がしてなりません。

 とまあ色々述べましたが私の意見は少数派だと思われます。アマゾンでは4364の評価を、goodreadsでは5266もの評価を受けていて、そのうち四つ星と五つ星合わせて両方とも80パーセントを越える高評価を得ているのですから。

 さて、2023年度のエドガー賞長編賞、栄冠はどの作品に輝くのでしょうか。