び~ふぁいる

主に未邦訳の海外ミステリーについて語ります

第22回 アマンダ・ジェニングズ その1

 今回はちょっとマイルドに、ややYAよりの作品をご紹介しましょう。

 イギリスはバークシャー在住のアマンダ・ジェニングズさんはコンスタントに話題作を提供している作家ですが、本書はレビューがやや低評でした。たしかに出来としてはいまひとつかもしれませんが、日本の少女マンガにも通じる雰囲気を持つ作品です。


【あらすじ】
 1986年7月。
 コーンウォールの田舎町に住む十六歳のタムシンは今日も岩にすわって"クリフハウス"と呼ばれる、崖の上に立つ白亜の館を双眼鏡で眺めていた。そこに住む裕福なダヴェンポート夫妻はタムシンの憧れだった。夫妻は週末や季節の休暇にやってきて過ごしている。タムシンの母親はそこの清掃婦なので鍵を持っている。
 その日、タムシンは鍵をこっそりつかんでクリフハウスに侵入し、プールで泳いでいた。ダヴェンポート夫妻の到着は明日なので、今は誰もいない。同じ日の六年前、やはりタムシンは父と一緒にここに侵入していた。「入っても大丈夫なの?」タムシンはびくびくしていたが、父は大丈夫、と言って笑っていた。そうして二人はプールで泳いで楽しんだ。その翌日、父は海で溺れかけた男の子を助けようとして死んだ。
 プールで泳ぎながら父との思い出を懐かしんでいると、ひとりの少女がやってきた。夏の休暇を過ごすために両親より一足早くロンドンからやってきたダヴェンポート夫妻の一人娘のイーディだった。
 退屈な田舎町で長い休暇をどう過ごそうかと途方に暮れていたイーディは、ロンドンにはいないタイプの純朴なタムシンに興味を魅かれ、夏の間だけ友達になってくれないかと持ちかける。
 それをきっかけに憧れのクリフハウスに出入りできるようになったタムシンは天にも昇るような気持ちだったが、それがお互いの家族の崩壊の序章になるとは知る由もなかった……。

ビバ! 物質信仰!

 主人公のタムシンは異常とも思えるほどにクリフハウスに執着するのですが、その根底にあるのは彼女の物質主義、セレブへの憧れでしょう。クリフハウスは庶民が足を踏み入れることができない富の世界の象徴でした。そこへ、幼いころに不法侵入という形で父と入り、言わば禁断の果実を齧ってその甘さを知ってしまったのです。白い壁の美しい家の調度品、プール……タムシンは映画の世界に迷いこんだような錯覚を覚えます。
 イーディと友達になったのをきっかけにダヴェンポート夫妻のパーティーに参加したときは、セレブたちの乱痴気騒ぎを目の当たりにして引くどころか、不思議の国のアリスになったようにわくわくし、チャラい男にカワイイと言われて嬉しくなり、いつか自分も彼らのようにきれいな服を着て高級なアクセサリーをつけてパーティーに行くところを想像して悦に入ったりします。
 イーディの部屋で一緒に過ごしているときに母が清掃の仕事にやってきたり、兄がバイトとしてフェンスの塗装にやって来ると、タムシンは彼らを恥じて声をかけるのをためらいます。自分はそっち側の人間ではない、つまり使用人側の人間ではなくイーディの友人なのだという思いがあるからです。いや、もう主人公がこんな薄っぺらで大丈夫?と心配になってしまうレベル。

 片や十七歳のイーディは反抗的で、特に母親のエレノアに対して辛辣な目を向けています。それというのもエレノアは子育てよりも買い物や美容やパーティーに夢中、父親のマックスは若い女と浮気三昧という家庭環境のなかで親の愛情というものを知らずに育ったからです。しかもその後母親は酒に溺れるようになり、イーディはAAやリハビリ施設をさがしたりと、否が応にも早く大人にならざるをえませんでした。ゆえに、親に愛されて育ったタムシンを羨ましく思います。
 タムシンと初めて会ったときのイーディは、プラチナブロンドのショートボブ、目のまわりを黒く縁どったゴスメイク、黒革のチョーカー、袖のところどころに穴のあいた黒のロンT、黒のロングスカートにゴツいブーツというスタイル。聴いている音楽はザ・キュアーデペッシュモード。(1986年当時の最先端をいくバンドだったのでしょうか)
 しかしタムシンはイーディのスタイルに憧れて真似をしようとは思わないし、彼女が好きな音楽を聴いてみようともしないし(それどころか、デペッシュモードのようなうるさい音楽よりも、ダヴェンポート夫妻がパーティーでかけているアバのダンシングクイーンのほうが好きという、そういう子です)そもそもイーディを深く知ろうとはしません。ただ、いかにもスクールカーストの最上位にいるような子と友達になれて誇らしく思うだけなのです。悲しいかな、タムシンはつねに自分自分で、イーディに限らず他人の気持ちを考えるという側面がありません。始めのうちは、まだ十六歳なのだし、これから物事の色んな面を知って成長していくのかなと思いましたが、どうしてどうしてタムシンはここから物質街道一直線、そして最後には行きつくところまで行ってしまいます。これはもう、成長物語ではなくて成長がとまってしまった物語ですね……。

少女マンガ的側面

 都会からやってきた超イケてる女の子と引っ込み思案な田舎の純朴な女の子の友情以上恋愛未満の関係――という風に持っていきたかった様子も窺えるのですが、その辺は不発だったようです。後半、イーディの母親のエレノアが夫のマックスとタムシンの関係を邪推して彼女のクリフハウスへの出入りを禁止します。すでにクリフハウスの住人のつもりでいたタムシンは大ショックを受けるのですが、イーディは、家で会えなくても外で会おうとタムシンに手紙を出します。タムシンの目的はクリフハウスなので外で会うことに興味はないのですが、またかつての日々に戻るためにはイーディをつなぎ止めておいかなければ、と思って外で会います。しかしそこで何をとち狂ってか、イーディからの手紙の結びの文で、“愛を込めて、イーディより”と書いてあったのを恋愛感情と誤解してタムシンはイーディにキスをします。う~ん、ちょっと苦しいかな……。それまでのあいだに積み重ねられたイーディへの想いがあったのならともかく、これには唐突感が否めません。イーディはすぐに身を離し、“わたし、レズじゃないから”と直球返答。タムシンはいっとき傷ついたものの、その後すぐに気を取りなおし、以前のように双眼鏡でクリフハウスを覗くというストーキング活動に没頭します。

 少女マンガちっくなのはむしろイーディとタムシンの兄のジャーゴとの恋愛でしょう。ジャーゴは瞳と髪がハシバミ色をした超美形の十九歳ですが、彼も心に闇を抱えていました。ヒーローとして死んだ男の息子として、自分も住民に尊敬される人間にならなければというプレッシャーがつねに両肩にのしかかり、さらには一家の大黒柱として自分が父の役目を果たすんだという責任感を十三歳のときから背負ってきたのです。しかし働いていた炭鉱が閉鎖となり、無職になってしまいます。そんな彼と、同じく家族絡みで悩みを抱えていたイーディは魅かれあい、夜中に逢い引きをしてクリフハウスのプールで愛をかわします。当然、クリフハウスを監視していたタムシンは二人の行為に気づいて怒るのですが、その理由が兄、あるいはイーディ、あるいは両者に対する嫉妬心ではなく、“わたしの家のプールで何穢れたことしてんのよ”というもの。怒りのあまり二人の関係を母親にばらします。さらに、タムシンがエレノアから盗んだ(本人は借りただけ、と独り言でうそぶいていますが)ブレスレッドをジャーゴが盗んだことにされてしまい、ジャーゴは母親に責められます。踏んだり蹴ったりとなったジャーゴは、もうこんな家の父親代わりなんかやってられるか、となり、イーディとふたりでロンドンに駆け落ちしようとします。
 しかし、二人が荷造りのためにクリフハウスに寄ったとき、エレノアが酒を飲み過ぎて暴れ、夫のマックスにタムシンとの仲を問い詰めてナイフを振りまわします。とめに入るジャーゴでしたが逆に腹を刺されて重傷を負います。そうして二人の恋は終わりを迎えるのでした。

初志貫徹

 そうしてストーリーは衝撃(?)のラストへと向かいます。タムシンが双眼鏡でクリフハウスを監視していると、プールサイドでエレノアが大量の錠剤を酒で流し込み、ふらついてプールへ落ちたところが目に入ってきました。思わず屋敷へ駆けつけるタムシンでしたが、エレノアを助けるためではありません。水中でもがく彼女が二度と浮かんでこないように頭を押しつけます。やがてエレノアの抵抗はとまりました……。
 数週間後、タムシンの十七歳の誕生日の日、彼女はクリフハウスに行くと、わたしはもう十七歳だから、と言ってマックスに迫ります。(イギリスでは十七歳から法的に合意の性交OKとなるのですね)若い女好きのマックスが断れるわけもなく、タムシンは難なくエレノアの座におさまることができたのでした。そうしてタムシンは名実ともにクリフハウスの住人となりました。
 エピローグでは、エレノアの亡霊が出てきてタムシンと話すという形式でイーディやジャーゴのその後が語られます。イーディはオーストラリアで暮らし、二人の息子をもうけていますが、彼女とタムシンのやりとりは年に一回の絵葉書程度。ジャーゴは地元で結婚し、三児の父となっていました。
 タムシンは子供のころから望んだ完璧な生活をマックスと送っています。腕にはあの、エレノアから盗んだブレスレッドをはめて……。

 いやぁ~、タムシンの初志貫徹。ここまでくるとむしろすがすがしいですね。そう思えるのは、なんだかんだいってもタムシンには表裏がないからかもしれません。何よりも著者のジェニングズさんがこのタムシンというキャラクターを皮肉的にとか、つき離すような感じで描くのではなく、思い入れたっぷりに描いているところがスゴい。こういうキャラクターは嫌われるかも……なんて一ミリも思っていないような自信がうかがわれます。でも個人的には、そうですね……やっぱり心動かされるドラマって、ひとが成長するところに生まれるのかなって思います。

 とまあ、今回はこのような作品をご紹介しましたが、アマンダ・ジェニングズさんの本当の才能はこんなものではありません。次回は彼女の最高傑作をお送りする予定です。もうね……これを読んで泣かないひとはいないでしょ、ってなぐらいの感動作です。お楽しみに!