び~ふぁいる

主に未邦訳の海外ミステリーについて語ります

第52回 クレイグ・タールソン その2

 今回も引き続きクレイグ・タールソンさんの作品のご紹介です。前回のレビューにタールソンさんは、英語版はどうやったら読めるんだ?とツイートなさっていたので(フォロワーのケネスさんが翻訳ボタンを教えてあげていました。ありがとう、ケネスさん)英語でのレビューにトライしてみました。

Blurb

 In 1185,Shikoku,Japan.Warriors were called "Samurai".
A young samurai was shot by bows to death and gone beyond time and space into 1980 Toronto. He woke to find himself that he transformed into a white guy named Gordon(nickname is Gordo)  He struggles the strange world where he arrived but people around him are very supportive. So he survives in the City.

 His friend Josh takes him to a club where the bluegrass band performs.Gordo has familiar feelings.Because he remembers when has been transported to this world,this music was being played.On the way to home from the club,Gordo rescues a woman robbed by thugs. Her name is Heather,single mother of a little boy. This incident leads to their acquaintances.

 But one day,Gordo encounters a self-proclaimed doctor from the same past to Gordo. The doctor tries to kill Gordo so that the time-space gate opens.Gordo counterattacks the doctor.If Gordo kills the doctor,he might be able to return his own world.However does Gordo really want to go back home? Which world does he choose?

Reveiw

 This book expands into a melancholic,dark- edged description of Gordo's emotional palette. In the spirit of Samurai, Gordo has the power of introverts. And his swordsmanship is class act. One of most exciting scenes is Gordo beating up the thugs to protect Heather.I guarantee this scene makes readers feel like watching Kurosawa movies.

 However the story is not so much violent or science fictional than I expected. It's considerably more of dramas that focus on characters and their emotional relationships. In case of Heather,she is one of countless souls suffering to make ends meet on a daily basis. Her struggles touch us deeply and the relationship between Heather and her father is heart-wrenching. This sub plot revolves around how the family reacts to a challenge, with the themes of family bonds.

 And most impressive scene to me is Gordo and Vera sharing their lonliness each other. Both of them carry pain. Vera from Zimbabwe is also far away from home and not sure when or if she would ever return. This is testament to Terlson's ability as a writer that he is able to wring lyrical despair out of quiet,delicate writing.
 In addition,look at the beautiful cover drawn by Terlson himself! What a multi-talented man he is!

 Thank you for bringing such an amezing book into the world.

 

第51回 クレイグ・タールソン その1


 連日猛暑が続いておりますが皆様いかがお過ごしでしょうか。さて今回は趣向をちょっと変えまして、ツイッターで知り合って絡ませてもらっている作家さんの作品をご紹介するというスタンスでやっていきたいと思います。タールソンさんはとにかくめちゃくちゃ面白いかたで、毎日ツイートで笑わせてもらっています。しかもまめにリプをくださるという気遣いのおかた。先に彼と知り合ってしまったせいで、作中の主人公がどうしてもタールソンさんと重なってしまう(;゚ロ゚)というわけで、さっそくご紹介しましょう。

【あらすじ】
 メキシコのリゾート地、プエルト ヴァヤルタ。ルーク・フィッシャーはビーチ沿いの安ホテルで気ままに暮らしながら、時々頼まれて人捜しやパーティーの警備などをしている。”探偵”と呼ばれることもあるが、ルーク本人は頑なにそう呼ばれることを拒んでいる。探偵と言ってしまうと、人はサム・スペードとか、テレビや映画に出てくるキャラクターを想像してしまう。自分はとてもそんなタイプではないと自覚している。
 仕事をよく回してくれるのは、近所に住むベーノという、幅広い人脈を持つ謎の男だ。友達と呼べる関係ではないが、それに一番近い存在かもい知れない、とルークは思っている。
 ある日ルークは酒場でシンシアという女性から弟のジュールズを捜してほしいという依頼を受ける。しかしその直後に、定宿にしているホテルのベッドに死体が置かれているのを発見する。被害者はこの界隈で使いっ走りのようなことをしているジャンキーのレオンだった。どうやら死ぬ前にベーノに頼まれた仕事をしていたらしい。とにかく、メキシコの警察は腐敗しきっていてろくな捜査をしないので、このままだとルークが逮捕されるのは目に見えている。ベーノはサンタフェへ逃げろ、と言って手はずを整えてくれた。折しもサンタフェにはジュールズに関する手がかりがあるという情報を得たばかりだった。
 ルークはサンタフェへ飛びつつも、レオンを殺ったのは誰なのかと考える。ひょっとしてベーノが関わっているのではあるまいか。友達に近い存在と思っていた男に不信感が芽生えるなか、成り行きでハロルドという大男と行動を共にするはめになる。ハロルドも別の人物に依頼されてジュールズを追っていたのだ。ジュールズがモンタナにいるという情報を得て、喧嘩の絶えない男ふたりの珍道中が始まった……

Surf City Acid Drops.Fascinating title!

 まずタイトルですが、なんとも魅力的ではありませんか。そもそも私が本書に興味を持ったのはこのタイトルと、ジェームズ・クラムリーの『さらば甘き口づけ』に似た世界観だという読者のかたの読了ツイートを見たからでした。俄然興味を掻きたてられて、気になる作家だな……とツイートしたらさっそくご本人からお礼のリプが! そこからツイッター上のお付き合い(というほどではありませんが)が始まったわけです。とにかく面白いおかたで、さらに作中の主人公ルークもこれまたしょっちゅうジョークを飛ばしているものですから私の中ではもうタールソンさん=ルークになってしまっています。
(I can't help identifying Mr.Terlson with Luke.)

なんとも心地いい雰囲気

 ルークの行きつけのバーの名前はEl Rayo Verde.(緑の光線という意味のスペイン語)。これは、日が完全に沈む直前に一瞬緑色の閃光が放たれることから来ています。バーテンダーのジミーは日没後、Sandalsの曲をかけながら緑色のキャンドルを灯していきます。その光はざらついた黄色い壁に反射し、潮風が店内の客たちのため息を掃くように吹き抜けていく。ストーリーはそれなりに曲折もありますが、正直言ってあまり気にする必要なし。登場人物も結構出てきますが、覚えておかなければと焦ってメモを取る必要なし。レジュメがどうだのシノプシスが~、売れ線傾向が~だの考える必要ナシ。たまにはこういうのもいいじゃないですか。潮風、サンセット、パシフィコ・ビール、テキーラ、各種メキシコ料理、美味しいコーヒー。とにかくこの世界に黙って浸ればいいのです。

主人公、ルーク・フィッシャーの魅力(Luke Fishcer is a likable, average guy but very stubborn)

 ルークについては、どうやらウィスコンシン州出身らしい、ということ以外詳細は明かされていないのにもかかわらず、謎めいた雰囲気など一切ありません。それどころかなんとも親しみのある、憎めないキャラクターです。それは彼が普通の道徳観念を持った普通の人だからかもしれません。面白いこともしょっちゅう言っていますが、どちらかというと受け狙いというより天然といった感じ。それがまた相手を怒らせ、我々読者もそこに大笑いしてしまうというわけです。とにかく固有名詞もいっぱい出てくるし、細かいギャグも満載。一応現代物で出版されたのも2015年ですが、デジタル機器など一切出てきません。それでもまったく違和感なし。なぜなら、この世界ではそれで完全に調和が取れているからです。いい意味で古き良き時代のまま時が止まっているようなこの世界観はもはや平行宇宙とか、そういったSFの域に入っているかも。(ちなみにタールソンさんは新作でマジにSF書いてます)

『長いお別れ』(The Long Goodbye by Raymond Chandler)の傍系

 ジェームズ・クラムリー(James Crumley)の『さらば甘き口づけ』 (The Last Long Kiss)が『長いお別れ』のオマージュであることは有名ですが、本書もある意味『長いお別れ』の傍系と言えるのではないでしょうか。本家ではマーロウが殺人犯の濡れ衣を着せられそうになったテリーをメキシコのチュアナまで車で送ってやりますが、こちらはベーノが殺人事件に巻き込まれたルークをサンタフェへ逃がしてやります。ルークとベーノの間に生じる不信感がふたりの友情にも似た関係を微妙にしていくところなどもやや本家とかぶります。逆に本書と『さらば甘き口づけ』 は似て非なるものかと。酒という共通項はありますが、女性の描き方もまったく違っています。『さらば甘き口づけ』 にあるウェットでエモーショナルなリリシズムが本書には皆無で、肌感が別物なのです。本書はむしろカラッとした心地よさが魅力になっていると思います。

男たちの終わらない旅

 作中では喧嘩もあり、死人も出て、ラストは銃撃戦なんかもありますが、この世界は言ってみれば男たちの終わらない旅なのではないでしょうか。旅はまだまだ終わりません!
続編(ルーク・フィッシャー・シリーズ)第二巻

第三巻も近日刊行予定のようです。

 

第50回 ジョン・ブラウンロウ その1

今回は、2023年度CWAイアン・フレミング・スチールダガー賞受賞作の『Agent Seventeen』をご紹介します。

【あらすじ】
 セブンティーン(17)と呼ばれるその男はフリーランスの殺し屋。本名年齢不詳。今はハンドラーという男の仲介で仕事を得ている。ハンドラーは世界中の諜報機関、法執行機関をクライアントに持ち、彼らから依頼される汚れ仕事を請け負っている。昨日はCIAの仕事を引き受けたかと思えば今日はFSB、といった具合に。イデオロギーは関係ないし、クライアントに理由も訊かない。

 ハンドラーのお抱え殺し屋の中でトップの成績を挙げているのが17だ。八年前までトップの座にいたのはシックスティーン(16)だったが、彼は突然リタイアし、代わってその座に躍り出たのが17だった。

 17の今度の仕事はベルリンにいるイランの情報部員を殺すことだった。そのイラン人はある女性と接触して物を受け取ることになっている。その物も回収しろと言われていた。指定の場所に行くと、イラン人が女性からコーヒーの紙コップを受け取っていた。17がそいつを追いかけると、危機に気づいた男はコーヒーを飲み干してしまう。17は男を殺したが、彼は死の間際にパラシュートという言葉を何度も繰り返していた。コーヒーの紙コップに入っていた物を回収するために男の腹をナイフで裂き、胃から物を取り出す。それはSDカードだった。

 その仕事のあと17は行きずりの女と一夜を共にするが、その女に殺されそうになる。怪しさに元々気づいていた17は女をあっさり押さえて何者かを吐かせる。すると、ハンドラーのライバル業者のオスターマンに雇われた殺し屋だとわかった。なぜ自分は狙われたのか。17に心当たりはなかった。

 後日、ハンドラーは17に新しい仕事を持ってきた。ターゲットはシックスティーン。さすがに17は躊躇した。シックスティーンは自分にとって雲の上の存在といえる、レジェンドアサシンだ。だからこそお前に頼むんだ、とハンドラーは言う。殺れるのはお前しかいない。ここで断ったら逃げたと思われて、今後この世界からお呼びがかからなくなるぞ――そこまで言われたら引き受けるしかない。そうして17はシックスティーンが隠遁生活を送っているサウスダコタへ向かう。だが17は知らなかった。その件の裏にはどす黒い陰謀が隠されていることを……

まずは祝! ブラウンロウさん、CWAイアン・フレミング・スチールダガー賞受賞おめでとうございます!

 文句なしの受賞だったのではないでしょうか。さっそく本書の面白さの要因となっている三つの魅力を挙げてみたいと思います。

ひとつ目、キャラクターの魅力

 主人公のセブンティーンを始め、どのキャラクターも独特の魅力を放っています。その根底にあるのは人間が完全に捨てきれない”愛”ではないでしょうか。あまりにも苛酷な幼少時代を送ってきたせいで心をなくし、人を殺すことになんの躊躇もなくなってしまったセブンティーン。それでもどこかにほんの少し残っている人間らしい気持ちが彼を完全な殺人マシーンにはしていません。そのあたりは、彼が一夜を共にした女性を敵と知ってもいっとき彼女の言うことを信じて逃がしてやろうとしたシーンにも表れています。さらに、サブキャラクターのシックスティーンが抱える闇、セブンティーンが泊まったホテルのフロント係の女性キャットの生い立ち、シックスティーンの女友達バーブの過去、セブンティーンの指導者トミーの贖いなど、どのキャラクターも何かを背負い、アイロニカルな面を持ち、それでいてどこか憎めなくてなんとも印象的です。

 また、ジェンダーステレオタイプな描写がほとんどないのも地味に特徴です。女スパイがセブンティーンを誘うシーンも007の映画のように女性がその魅力的な肉体で迫る、なんてシーンはありませんし、17と関係を持つキャットという女性にしても、とらわれの身となってただ男の助けを待つか弱い女性(あるいは足手まといな女性)という描き方はされていません。また、男と男がガチで死闘を繰り広げるシーンでもマチズモ臭がありません。そこにあるのは性ではなく個であり、描かれているのはすべて個と個のぶつかり合いなのです。

ルー・バーニーがスパイ物を書いたら?

 ふたつ目に挙げられる魅力は、リリカルで哲学的な香りもほのかに漂う筆致です。本書を読んで最初に浮かんだのは、もしルー・バーニーがスパイ物を書いたらこんな感じかな、という感想でした。死を予期し、死の影を背負って生きているキャラクターたちの描写はどこか哲学的でもあり、心に響きます。そのうち刊行の巻数を重ねていったら名言集もできそうな感じ。とりま、私が本書から拾った名言は、When you kill someone for the first time, you also kill the person you used to be.でしょうか。『初めて人を殺すということは、それまでの自分を殺すということだ』

ガッツリアクション!

 みっつ目の魅力はたっぷりとしたアクション描写でしょう。本書の宣伝文には007やジェイソン・ボーンが好きな人向け、とありましたが、うーん、それはどうでしょう。ジェイソン・ボーンはまだしも007はちょっと違うかな……。本書は決して映画のようなド派手なアクションが満載というわけではなく、どちらかというともっとスケールは小さいのですが、とにかくバラエティーに富んでいます。クライマックスはこれでもか、というアクションに次ぐアクションの連続! 17やシックスティーンだけではなくキャットも参戦でもう興奮は最高潮!

著者のジョン・ブラウンロウさんについて

 ブラウンロウさんは1964年8月11日、イングランド東部のリンカンシャー州の州都リンカンで生まれ。2000年初頭から脚本家として活動を始め2003年にはグィネス・パルトロウとダイエル・クレイグが主演の『シルヴィア』という映画の脚本を担当しています。また、2014年には人気スパイ小説「007」の生みの親である作家イアン・フレミングの軍隊時代を描いた全四話のテレビドラマ『ジェームズ・ボンドを夢見た男』の脚本を、2017年にはドラマ『ミニチュア作家 ジェシー・バートン』の脚本を書いています。
 本書『Agent Seventeen』の映画化権はすでに売れているとか。実現したらセブンティーンとシックスティーンを演じる新旧スターのバディコンビがスクリーンで大暴れしそうですね。ちなみに続刊の『Assassin Eighteen』は2023年8月に刊行予定です。

 

 

 

 

 

第48回 ジョージ・ドーズ・グリーン

 今回は1995年MWA賞最優秀処女長編賞受賞作家で、1996年に公開された映画『陪審員』の原作者でもあるジョージ・ドーズ・グリーンさんの作品『The Kingdoms of Savannah』をお送りします。なお、本作品は2023年度のCWA賞ゴールデンダガー賞を受賞しました。

【あらすじ】
 アメリカ南部、ジョージア州サヴァナ。ルーク・キッチンズ二十二歳はホームレスだが、ときどき日雇いの仕事をしながらなんとか生きている。フリーの考古学者の中年女性ストーニーとはホームレス仲間だ。この町の下層民のふたりはその日も行きつけのバーへ足を運んでいだ。バーテンダーのジャックことジャクリーンは芸術大学の大学生で、常連客に人気がある魅力的な黒人娘だ。
 そこへ見知らぬ男がやって来てストーニーに酒を奢った。それを飲んで具合を悪くしたストーニーは外へ出る。男も追いかけてくると、自分のボスに会ってほしいと言って彼女を車に乗せようとした。ストーニーを心配したルークも店を出てくるが、男に銃で撃たれて殺されてしまう。そしてストーニーは車に乗せられて拉致された。

 翌日、ルークは焼死体で発見された。寝泊まりしている空き家に放火されたのが原因ということになっていた。そしてその空き家の所有者で町の嫌われ者のガズマンが逮捕される。空き家の維持費に困り、保険金目当てに火をつけたのだろうと思われていた。

 しかしガズマンは無罪を主張し、マスグローヴ探偵社に調査を依頼する。その探偵社のオーナーはサヴァナの名家の筆頭であるマスグローヴ一族の当主、モルガナだ。七十歳になるモルガナは、それまで勘当状態だった末息子のランサムを呼びよせてこの件の調査にあたらせる。さらにモルガナの長女で判事のウィロウやモルガナの義孫娘にあたるバーテンダーのジャックも調査に協力する。すると、ストーニーがある土地で奴隷制度にまつわる史跡を発見し、それをキングダムと呼んでいたという事実が浮かびあがってきた。

 だがその後ルーク射殺事件の目撃者が殺され、ランサムが容疑者として逮捕されてしまう。さらにガズマンも自殺に見せかけて殺される。一連の事件は史跡の隠蔽が目的だと気づいたモルガナには犯人の目星がついていた。それで、その人物と対峙するが……。

導入部は印象的

 本書の良かった点を挙げるとすれば、”導入部は印象的”このひとことに尽きるでしょう。冒頭、自由の戦士の王国【キングダム】という謎めいた言葉を発した考古学者がさらわれ、助けようとした若者が殺される。そして関係のない人間が逮捕され、ある探偵社が無実の罪をはらすために動きだす――なんともミステリー好きの読者の心を躍らせる導入部ではありませんか。しかし心が躍ったのはそこまででした。その先は今どきのミステリーとは思えない、80年代の世界観が待ち受けていました。

80年代感の正体

 80年代感の正体のひとつにはリアリティーの欠如が挙げられるかもしれません。南部の華麗なる一族総出で事件解決にあたるという構図。登場人物の数だけはやたらと多いのですが、戯曲のキャラクターのような感じと言えばいいのでしょうか、どの人物にも衣装、小道具、バックグラウンドは与えられているものの、彼らからは表層的なイメージしか伝わってきません。この辺がどことなく古臭さを感じてしまうのですね。

 また、南部の特権階級と過去の奴隷制度をテーマにしているのにも関わらず、政治色をふわっと回避しているところも80年代っぽく感じられました。当時はそういう描き方が粋とされていたのでしょうが、今はSNSを通じて誰もが自分の意見を発信する時代です。そんな中にあって作中でも一番若く、しかも黒人であるジャックが奴隷制度や祖先の人々についての自分の考えを発信しないところには何となくもやもやしました。冒頭では大学の課題でドキュメンタリーを撮ると言ってバーの客を携帯電話で撮影していたのにこの件についてはスルーして、事件後ニューヨークに行って町並みのビデオを撮るというエンディングは意味がよくわかりません。

 さらにはこれだけ鑑識技術が発達し、警察のプロシージャーが可視化されている現代にあって、殺された被害者のそばにいたというだけでランサムが容疑者として逮捕されるなどということがありうるのでしょうか。しかも、田舎町でもないのに監視カメラや交通カメラがひとつもなかったり、考古学者がある島を調査して史跡を見つけたというシーンでも、普通発掘作業は何人かのグループでやるものではないでしょうか。ひとりで全部やってひとりで秘密を抱え込んだというのは無理があるのでは? まあその辺もリアリティーはスルーして、雰囲気重視で話は進行します。

事件は勘で解決

 前半早々に一見善良そうな警官ガクタスが黒幕の手下だということが読者には明かされますが、登場人物たちはわかりません。特にジャックは彼を信用して呼び出しに応じたりと危険な展開に。ガクタスの裏の顔はどうやって暴かれるのか、ランサムが何か証拠を掴むのだろうか、などと期待しながら読んでいるとなんとまあ、マスグローヴ家の当主モルガナ老婦人の”あいつの表情が怪しい”のひとことでガクタスは悪者認定されます。ちなみに黒幕もモルガナの勘で判明。集めた証拠を重ねていって真相にたどり着くというミステリーの醍醐味は吹っ飛びます。

中途半端なアプローチ

 結論として、やはり奴隷制度をテーマにする以上、政治色を排するというのはアプローチとして疑問が残ります。しかもこれだけ多くのキャラクターが登場していて黒人はジャックひとりだけ(厳密に言うとジャックの母親ロクサーヌもちらっと出てきますが)というのはいかがなものでしょう。結局白人の視点からの奴隷制度をテーマとした描写はこんなお花畑になってしまうのか、と残念な印象を残しただけの作品となってしまいました。雰囲気でまとめるとかそういった中途半端なアプローチよりも、リアルに核心をついてほしかった。芸術性や文学性が真実をぼやかすことになってはならない、今はそういう時代なのではないでしょうか。

第49回 サイモン・メイソン

今回も引き続き2023年度CWA賞ゴールデンダガー賞の最終候補作をご紹介します。

【あらすじ】

 バーナバス大学の学長室で若い女性の絞殺死体が発見された。犯行時刻の頃、大学のダイニング・ホールでは晩餐会が催されていた。主賓はアラブ首長国連邦の要人で現在はロンドン在住のアル・マディナという億万長者だ。学長はアル・マディナから寄付を取り付けようと必死だったが、彼の機嫌を損ねてしまい、早々に退散させてしまう。その他参加者は大学の中東研究所のグッドマン博士、ハーバード大卒の美術史家ケント・ドッジ。さらに給仕スタッフの中にはシリア難民のアメーナ・ナジブという女性もいた。

 署からの指令を受けて現場に駆けつけたのはライアン・ウィルキンズ警部補、二十七歳。彼はとても刑事には見えない容姿をしていた。ジャージの上下、野球帽。ひょろっとした身体。ストリートにたむろする十代の白人といった感じだ。彼の歯に衣着せぬズケズケとした物言いに学長の怒りが頂点に達したとき、もうひとりのウィルキンズ警部補が到着した。レイモンド・ウィルキンズ警部補、三十歳。オックスフォード大学卒で教養があり、ブランド物の服を身につけた美形の黒人男性。実は警察の通信指令係が同じ名字のせいで間違ってライアン・ウィルキンズ警部補を現場に送ってしまったのだった。本来この件の担当の命を受けたのはレイモンド・ウィルキンズ警部補のほうだった。ふたりの上司のワディントン警視はライアンをこの件からはずそうとしたが、ライアンは持ち前の鋭い観察眼を披露して捜査に加わりたいと訴える。警視は、レイモンドがライアンを厳しく監督するという条件付きでライアンが捜査に加わることを許可する。そうしてライアンとレイモンドというふたりのデコボココンビの捜査が始まった。

 しかし容疑者が二転三転する中で、ライアンの二歳になるひとり息子が誘拐されるという騒動が起き、ライアンは怒りを抑えきれずに暴走してしまう。そのせいで警察をクビになり、事件の解決はレイモンドに託される。もうライアンとは連絡を取るなと警視に釘を刺されたレイモンドだったが、事件の重要な手がかりを掴んでいたライアンを無視できず、彼とともに犯人を追うのだった。

新タイプのキャラ爆誕

 破天荒とも言えるライアンのキャラクターは過去にいないタイプで新鮮味があります。勿論この手のはみ出し刑事は大勢いますが、1990年生まれのチャブ系警部補、というキャラクターはミステリー史上初めてではないでしょうか。しかし残念なことにライアンのインパクトは規格外、とまではいっていません。確かに言葉遣いの汚さや怒りを抑制できない性格という特徴はありますが、言葉遣いの汚さといっても常識の範囲内だし(ジャクソン・ラムの足元にも及びません)、怒りを抑制できないといってもささいなことでしょっちゅうキレているわけではなく、そんなことされたら誰だって怒るだろうというところで怒っています。また、子供のころキックボクシングを習っていたという設定で喧嘩もまあまあ強い。作中では襲ってきた男に華麗に跳び蹴りを食わせるシーンもあります。でも別のシーンでは多勢に無勢ということもあってボコボコにやられています。推理力の点でも、そこそこに鋭い観察眼を発揮したりもしますが、天才的というほどではありません。うーん……、何かひとつぐらい特殊能力があってもよかったかなあと。もう少し型破りな面を見せてくれたらエンタメ的に盛り上がったのでは、と思います。せっかくこのようなキャラ設定にしたのですから。

メインプロットの殺人事件は?

 晩餐会の夜に若い女性が殺され、主催者の学長サー・ジェイムズを始め出席者が次々と疑われていくという、アガサ・クリスティの古典的ミステリー風に進んでいきますが、アラブ首長国連邦の要人のアル・マディナやシリア難民のアメーナ・ナジブを絡ませて、すわ、国際テロか、と思わせたところで学長のセクハラ問題が浮上したり、大学所有の美術品であるコーランが紛失して盗難事件も加わったりと二転三転します。このあたり、基本的な情報収集は署の情報通信部のナディムが行い、その情報に基づいてライアンとレイモンドがあちこち動くといった地道な展開に終始します。時折その過程で容疑者を追いかけたり殴り合いになったりとアクションシーンもちょいちょい挟まれてはいますが、思いもよらない出来事から事件の糸口が掴めたとか、そういったドラマチックな動きは特にありません。うーん、ここももう少しわくわくするようなハラハラするようなエンタメ性がもう一押しほしかったところです。

ストーリーはある意味予想外の展開へ

 この手のストーリーは、破天荒キャラが捜査の過程でエリート有力者をさんざん怒らせたせいで報復措置として警察をクビにされそうになるものの、最後の最後で一発逆転ホームラン的に真犯人を捕らえてクビは免れる、というのが定石だと思うのですが、本書のライアンは事件解決の立役者であるにも関わらず警察をクビになって終わります。そして続刊は、ライアンが警備員になっているというところからスタートします。まさか今後は刑事のレイモンドと警備員のライアンのコンビでやっていくわけではありませんよね。ライアンの警官への復活劇はどうなるのでしょうか。これは二巻を股にかけた壮大な伏線であってほしい。やはり本書の読みどころは、学のない、トレーラー暮らしの下層民と馬鹿にされている若手刑事が、ふんぞり返った上級国民相手に忖度なしの捜査をする、そこに尽きると思います。二巻目ではライアンの巻き返しがぜひ見たい!

シリーズ二巻目も発売中です。

三巻目は2024年1月に刊行予定!

 

 

第47回 マーク・ワイトマン

 マーク・ワイトマンさんのデビュー作『Waking the Tiger』は第33回と第45回で紹介したアントニー・ダンフォードさんと同じ、インデペンデントの雄のホベック・ブックスさんから出版されています。実はダンフォードさんの『Hunted』が面白かったとツイートしたとき、著者のダンフォードさんより早くイイネをくれてフォローしてくださったのがワイトマンさんでした。仲間の作家を応援するワイトマンさんの優しい心遣いに感銘を受け、彼の作品も読んで紹介したい思って読みはじめたのですが、これが思わぬ拾いもの(serendipity)といいますか、安定感のある手堅い作品でした。

【あらすじ】
 1939年、英領植民地のシンガポール。それまでシンガポール警察の犯罪捜査部(CID)にいたマキシモベタンコート警部は最近発足したばかりの港湾特捜班に異動になった。特捜班といっても捜査員はベタンコートひとりしかいない。仕事はせいぜい港湾作業員の喧嘩の仲裁や積荷検査の監督といったことぐらいだ。

 一年前に妻のアナが失踪して以来、ベタンコートは打ちのめされていた。アナの両親は裕福なイギリス人で、ベタンコートを結婚当初からよく思っていなかった。彼がポルトガル人と地元のマラッカ人の血を引くセラニと呼ばれる二級市民だからだ。アナはベタンコートが捜査していた犯罪組織に誘拐されたのではないかと見られているが、依然として行方はわからない。義両親はベタンコートを非難し、娘のルシアもベタンコートを嫌って祖父母と暮らしている。

 そんなある日、埠頭で虎の刺青が入った日本人の娼婦の死体が発見された。名前はアキコ。CIDは自殺として片付けようとしたが、ベタンコートは疑いを持つ。監察医のイヴリンも別の場所で殺された可能性が高いという結論を下していたので、ベタンコートは捜査を続けるが、勝手なことをするなと上司のボナムにきつく叱責される。どうやら上層部から圧力がかかっているらしい。しかし死んだアキコのためにも正義はなされるべきだ、という思いに突き動かされ、ベタンコートは捜査を続行。やがて、アキコは”スリーピング・タイガー”というギャングによって日本から連れてこられたことがわかる。その裏には、天皇ヒットラーの同盟を取り持とうとする、ある軍国主義者の影がちらつく。はたしてベタンコートは”スリーピング・タイガー”――眠れる虎――を起こしてしまったのか……。

歴史背景について

 時は1939年12月。第二次世界大戦が始まったのはその三カ月前。イギリスは日本への石油の輸出を禁じるなど、貿易を制限していましたが、本書ではその抜け道として上海を経由して日本とシンガポールの間で人身売買が行われていたことが描かれています。それを知りながら取り締まらない警察の上層部に向かってベタンコートは吠えます。日本は取引で得た金でいずれシンガポールに侵攻してくるぞ!と。(実際、1942年2月15日に日本はシンガポールに侵攻するんですね。)

 でもなぜ上層部は大目に見ていたのか。それは本書にも登場するキャラで実在の人物でもある有力政治家サー・オズワルド・モズレーの存在のせいです。サー・オズワルド・モズレーはイギリス・ファシスト連合(BUF)というファシスト政党の党首であり、ヒットラームッソリーニに傾倒してナチスとの提携を目論んでいました。

 ゆえに、これはストーリー上の架空の人物ですが、ナカノセイゴという、天皇ヒットラーの同盟を取り持とうと暗躍する軍国主義者が資金獲得のためにシンガポールで人身売買をしていても、思想を同じくする者としてモズレーはナカノを取り締まらないよう警察の上層部に圧力をかけていたわけです。(しかしBUFの勢いはのちに失速し、1940年にモズレーは逮捕されます。)

安心のお約束展開

 物語は、まるでシリーズ物の古典ミステリーのような滑らかさで展開します。奇をてらった新鮮さよりも昔ながらのお約束に徹した手堅い話運びは日本のミステリー読者にも受けそうな感じです。

 本書の展開、ざっとまとめてみますと、

自殺事件起こる心に傷を持つ一匹狼的刑事が他殺と推理上司を怒らせる単独捜査真相に近づく敵に脅されボコられる(手当をしてくれた女医といい感じ)

八方塞がりひょんなことで警視総監に気に入られる捜査中不都合があると警視総監の名を印籠のように出して捜査をスムーズに続行敵に娘をさらわれてクライマックス娘を無事に取り返して大団円しかし黒幕は裁かれないと知り悔しい次巻に続く。

ペンディング案件は次巻へ持ち越し

 妻アナの生死は? 女医イヴリンとの仲は? 気になるこれらの事項は次巻へ持ち越しのようです。始めのころは打ちひしがれていたベタンコートですが、本書の終わりには仲間に囲まれて、まさにベタ・ファミリーが結成されつつあります。このメンバーの協力を受けながら警視総監を後ろ盾に次巻も大活躍してくれるのではないでしょうか。

こちらがシリーズ二作目です。発売は2023年9月です。

 

 


                                         
                  
         

 

第46回 アンナ・マッツオーラ

 今回は、2023年度のCWAゴールドダガー賞とヒストリカル賞の最終候補に残った『The Clockwork girl』を取りあげてみたいと思います。

【あらすじ】
 1750年、パリ。宮殿で華やかな生活をおくる貴族たちとは裏腹に、庶民は貧困にあえいでいた。二十三歳のマドレーヌは母親が経営する売春宿で十二歳から客の相手をさせられている。片頰に無残な傷があるが、それは客から火かき棒を押しつけられた跡だ。妹のスゼットは客の子供を身ごもり、数ヶ月前に出産時に死亡。残された八歳の息子のエミールの面倒はマドレーヌが見ている。

 ある日、その売春宿を守るかわりに好き勝手に出入りしている警察官のカミーユがマドレーヌに仕事を申しつけた。まるで生きているような動きをする時計仕掛けの動物を作っていると評判のラインハルトの家にメイドとして入り込み、怪しげなことをしていないか探れというのだ。折しも巷では少年少女の誘拐が横行していて、妙な噂がたっていた。ひょっとしてラインハルトが工房で恐ろしい人体実験を行っているのではあるまいかと警察は疑っているらしい。
報酬を貰えたら売春をやめて甥のエミールと新生活が送れる、そう思ってマドレーヌはその仕事を引き受け、ラインハルトの家へ。そこにはラインハルトの十七歳の娘ヴェロニクもいた。そうしてマドレーヌのスパイ活動が始まったが、彼女は知らなかった。その裏にはヴェルサイユで権力を振るうある人物の思惑が絡んでいることを……。

1750年はベルばら時代?

 フランスの歴史にはまったく疎いワタクシ、このころはベルばらと同時代では? などとうそぶきつつウィキペディアを覗いてみると、違いました。本書はルイ15世が統治している時代。ベルばらは一世代後のルイ16世の話でした。作中には、時計職人のラインハルトがその腕を認められてベルサイユ宮殿に招待され、それにマドレーヌも同行するシーンがありますが、”宮殿は臭い”と度々語られています。そう、ベルサイユ宮殿にトイレがなかったのは有名な話で、貴族たちはおまるで用を足し、召使いがその糞尿を宮殿の周りの立派な庭園に捨てていたので庭師がたいそう怒っていたとか。
 当然庶民の家にもトイレはなく、おまるに溜まった糞尿を窓から捨てていたというのだから驚きです。ハイヒールのブーツが生まれたのは、道に落ちている糞をなるべく踏まないようにするためだったそうです。

実際にあった誘拐事件

 本書の中では、ストリートから次々と幼い子供が消えていくという事件が起きます。それに伴って様々な噂が立っていました。労働力として植民地に連れていかれたのではないか。あるいは王の妾のポンパドール侯爵夫人が若さを保つために子供たちの血を入れた風呂に入っているのではないか……等々。この件については実際にあった事件を基にしていると著者のマッツオーラさんは巻末で述べています。
 調べてみると、1750年にパリで子供の集団誘拐事件が起きたのですが警察はまともに捜査をしなかったので、王が癩病を患って子供たちからとった血の風呂に入っているのではないかという噂が流れて民衆が騒ぎだし、暴動が起こったとされています。この出来事が、のちの1789年のフランス革命へと発展していくきっかけのひとつになったのだとか。

実在の人物も主要キャラとして登場

 ストーリーはマドレーヌ、ラインハルトの娘のヴェロニク、それにルイ15世の公妾であるポンパドール侯爵夫人ことジャンヌ=アントワネット・ポワソンという三人の女性の視点で語られていきます。このポンパドール侯爵夫人はみなさんご存じの通り実在の人物で、公妾という立場を利用してフランスの政治に強く干渉し、やがて政治に関心の薄いルイ15世に代わって権勢を振るった女性です。彼女の手足となって動くのが、これまた実在の人物であるニコラ・ルネ・ベリエです。彼はポンパドール侯爵夫人から警察のトップの地位を与えられ、夫人の敵を失脚させるために暗躍します。その敵のひとりがリシュリュー公爵という、ルイ15世から内廷侍従長として重用されている人物ですが、作中ではポンパドール侯爵夫人がルイ15世に、リシュリュー公爵を切るようけしかけます。この辺の権力争いも読みどころのひとつでしょう。

歴史ミステリーとしての評価は?

 はっきり言って分かれるのではないでしょうか。その理由としてはふたつ挙げられます。第一に、描写が丁寧なのはいいのですがとにかく地の文の量が多く、その内容に起伏がないため話の進行が遅く感じられることです。(実際Goodreadsのレビューには途中で脱落したという声もちらほら)ただ文章が難解ではないというのは救いでした。
 第二に、”背筋が凍るゴシックホラー”とか”歴史ノワール”といった惹句が内容と乖離しているように見受けられた点です。誘拐犯についても消去法でおおよその予測がつき、犯人に気づいたマドレーヌに降りかかる危機もほんの一瞬でタイミングよく助けが来るという展開。サスペンスやゴシック感を期待していた読者はやや物足りなさを感じるかもしれません。

 逆によかったのは、マドレーヌのパートではラストで売春を強いた母親に対して決別宣言をし、とりあえずある程度のカタルシスをもたらしてくれたところでしょうか。また、ヴェロニクの視点からは、女性だからと父の仕事を継がせてもらえないことに反発して勉強を続けるという自立心が描かれていたり、ポンパドール侯爵夫人のパートではルイ15世の寵愛を失うまいとする彼女の必死さや宮廷内の権力闘争が見え隠れするなど、三者三様の女性像が興味深く表現されていた点でしょう。

 なお、マッツオーラさんはこれまでに長編の歴史ミステリーを二作書いていらっしゃいます。本作が三作目となり、最新作となる四作目の『The House of Whispers』は2023年4月に刊行されています。こちらは、ファシズム吹き荒れる1938年のローマを舞台としたポルターガイストの話ということですが、ぞくぞくするような不気味さと当時のファシズムの気運や戦争をめぐる政治についての描写が融合しているか否かについてやはりレビューが分かれているようです。