び~ふぁいる

主に未邦訳の海外ミステリーについて語ります

第47回 マーク・ワイトマン

 マーク・ワイトマンさんのデビュー作『Waking the Tiger』は第33回と第45回で紹介したアントニー・ダンフォードさんと同じ、インデペンデントの雄のホベック・ブックスさんから出版されています。実はダンフォードさんの『Hunted』が面白かったとツイートしたとき、著者のダンフォードさんより早くイイネをくれてフォローしてくださったのがワイトマンさんでした。仲間の作家を応援するワイトマンさんの優しい心遣いに感銘を受け、彼の作品も読んで紹介したい思って読みはじめたのですが、これが思わぬ拾いもの(serendipity)といいますか、安定感のある手堅い作品でした。

【あらすじ】
 1939年、英領植民地のシンガポール。それまでシンガポール警察の犯罪捜査部(CID)にいたマキシモベタンコート警部は最近発足したばかりの港湾特捜班に異動になった。特捜班といっても捜査員はベタンコートひとりしかいない。仕事はせいぜい港湾作業員の喧嘩の仲裁や積荷検査の監督といったことぐらいだ。

 一年前に妻のアナが失踪して以来、ベタンコートは打ちのめされていた。アナの両親は裕福なイギリス人で、ベタンコートを結婚当初からよく思っていなかった。彼がポルトガル人と地元のマラッカ人の血を引くセラニと呼ばれる二級市民だからだ。アナはベタンコートが捜査していた犯罪組織に誘拐されたのではないかと見られているが、依然として行方はわからない。義両親はベタンコートを非難し、娘のルシアもベタンコートを嫌って祖父母と暮らしている。

 そんなある日、埠頭で虎の刺青が入った日本人の娼婦の死体が発見された。名前はアキコ。CIDは自殺として片付けようとしたが、ベタンコートは疑いを持つ。監察医のイヴリンも別の場所で殺された可能性が高いという結論を下していたので、ベタンコートは捜査を続けるが、勝手なことをするなと上司のボナムにきつく叱責される。どうやら上層部から圧力がかかっているらしい。しかし死んだアキコのためにも正義はなされるべきだ、という思いに突き動かされ、ベタンコートは捜査を続行。やがて、アキコは”スリーピング・タイガー”というギャングによって日本から連れてこられたことがわかる。その裏には、天皇ヒットラーの同盟を取り持とうとする、ある軍国主義者の影がちらつく。はたしてベタンコートは”スリーピング・タイガー”――眠れる虎――を起こしてしまったのか……。

歴史背景について

 時は1939年12月。第二次世界大戦が始まったのはその三カ月前。イギリスは日本への石油の輸出を禁じるなど、貿易を制限していましたが、本書ではその抜け道として上海を経由して日本とシンガポールの間で人身売買が行われていたことが描かれています。それを知りながら取り締まらない警察の上層部に向かってベタンコートは吠えます。日本は取引で得た金でいずれシンガポールに侵攻してくるぞ!と。(実際、1942年2月15日に日本はシンガポールに侵攻するんですね。)

 でもなぜ上層部は大目に見ていたのか。それは本書にも登場するキャラで実在の人物でもある有力政治家サー・オズワルド・モズレーの存在のせいです。サー・オズワルド・モズレーはイギリス・ファシスト連合(BUF)というファシスト政党の党首であり、ヒットラームッソリーニに傾倒してナチスとの提携を目論んでいました。

 ゆえに、これはストーリー上の架空の人物ですが、ナカノセイゴという、天皇ヒットラーの同盟を取り持とうと暗躍する軍国主義者が資金獲得のためにシンガポールで人身売買をしていても、思想を同じくする者としてモズレーはナカノを取り締まらないよう警察の上層部に圧力をかけていたわけです。(しかしBUFの勢いはのちに失速し、1940年にモズレーは逮捕されます。)

安心のお約束展開

 物語は、まるでシリーズ物の古典ミステリーのような滑らかさで展開します。奇をてらった新鮮さよりも昔ながらのお約束に徹した手堅い話運びは日本のミステリー読者にも受けそうな感じです。

 本書の展開、ざっとまとめてみますと、

自殺事件起こる心に傷を持つ一匹狼的刑事が他殺と推理上司を怒らせる単独捜査真相に近づく敵に脅されボコられる(手当をしてくれた女医といい感じ)

八方塞がりひょんなことで警視総監に気に入られる捜査中不都合があると警視総監の名を印籠のように出して捜査をスムーズに続行敵に娘をさらわれてクライマックス娘を無事に取り返して大団円しかし黒幕は裁かれないと知り悔しい次巻に続く。

ペンディング案件は次巻へ持ち越し

 妻アナの生死は? 女医イヴリンとの仲は? 気になるこれらの事項は次巻へ持ち越しのようです。始めのころは打ちひしがれていたベタンコートですが、本書の終わりには仲間に囲まれて、まさにベタ・ファミリーが結成されつつあります。このメンバーの協力を受けながら警視総監を後ろ盾に次巻も大活躍してくれるのではないでしょうか。

こちらがシリーズ二作目です。発売は2023年9月です。