び~ふぁいる

主に未邦訳の海外ミステリーについて語ります

第30回 ヴァンダ・サイモン

 前回の末尾で次はオーストラリア発のミステリーをと書きましたが、まだ読み終わっていないので、南半球つながりということでニュージーランドの作家さんの作品をご紹介したいと思います。

 いい意味で期待を裏切ってくれたエンタメ作品。ただ、世に出るのが遅すぎました。もっと早く出ていたら邦訳されるチャンスもあったのではないかと思えるほどの出来ばえの一作です。

【あらすじ】

 ニュージーランドのマタウラという小さな町で、若い主婦がマタウラ川から水死体で発見された。名前はギャビィ・ノウズ。睡眠薬の空箱が残っていたことから自殺とみられたが、マタウラに駐在するただ一人の巡査のサム・シェパードは、ノウズ家の裏庭から川の土手へと続く場所にギャビィの足跡がないことや、当日は電話会社のヴァンが家の前に停まっていたという隣人の証言から自殺に違和感を覚える。さらに睡眠薬を調べると、処方箋は偽造されたものだとわかる。夫のロッキーも妻が自殺するはずはないと言う。サムはその言葉を複雑な思いで聞いていた。それというのも、ロッキーはサムの元彼だったからだ。

 そんな折り、めぼしい容疑者を捕まえられない警察本部は、ロッキーに未練があるという動機からサムを容疑者と見なし、停職処分にする。

 警察からも町の住民からも敵視される中、独自で捜査を続けていたサムは、ギャビィが最近ビジネス・スクールのジャーナリズム・コースを受講し始め、課題のレポートに取り組んでいたことを知った。さらにギャビィのパソコンの閲覧履歴をざっと調べると、BSE(狂牛病)について検索していたことがわかった。やがてサムは町ぐるみのどす黒い陰謀に気づくが、魔の手は彼女にものびてくる。絶体絶命の危機を脱出し、汚名をそそぐことはできるのか?!

田舎の話と侮るなかれ

 本書の舞台はニュージーランドの小さな町、マタウラ。駐在所は一つしかなく、しかも警官はサム(サマンサ)・シェパードという女性巡査が一人だけ。そんなド田舎で起きた事件を追ってストーリーものんびりムードで進むのかと思いきや、ショッキングなプロローグから小気味よくスピーディーに展開します。ニュージーランド物だからと、どこか見くびっていた私としてはこの時点で床に頭をこすりつけて謝りたい気分。NYやLAが舞台の話と比べても一切遜色なし!

主人公のサムにノックアウト

 このスピード感に拍車をかけているのはなんといっても主人公サムの威勢のよさでしょう。サム・シェパードという名前だけを聞くと、なんだかすらりと背の高いスタイリッシュな女性をイメージしてしまうのですが、なぜだろうと思ったら、名前がサム・スペードに似ているからなんですね。

 しかし本編のサムはその真逆です。身長は百五十センチそこそこ。小柄であることにコンプレックスを持ち、男性が多い職場にあってはからかわれることもしばしば。だがたとえむかついたとしてもぐっと堪えてジョークで返します。二年前まではロッキーという恋人がいましたが、結婚を迫る彼とキャリアを優先したいサムの価値観が合わず破局。その後ロッキーはさっさと別の女性と結婚。そんな彼にもやもやした気持ちを引きずっていたサムはある夜、友達と酔ったノリでロッキー夫妻の家に空き缶を投げつけてしまうという、なんとも人間臭くて憎めないキャラクターなのです。(勿論そんな破壊行為は一回きりで、のちに平身低頭謝っています)

 犯人扱いされてからは四面楚歌の状態ながらも根気強く捜査を続け、真相にたどりつくのですが、そのひたむきさががっちり読者の心を掴みます。

BSE狂牛病)のおさらい

 BSE……そういえば遙か昔にそんなことがニュースで取りあげられていたこともありましたっけ。本編のテーマにもなっているのでちょっとおさらいしてみますと、BSEとは2000年代初頭より発生した牛海綿状脳症のことで、日本ではBSEそのものに加えて企業による牛肉偽装が相次ぎ、食の安全が問われた一大問題となりました。但しニュージーランドに限っては、2006年のある新聞記事によりますと、OIE(世界動物保健機構)はニュージーランドBSEのない国と認定しています。

 なぜそんな昔のことがテーマになっているのかと思われるでしょうが、実は本書は2007年にすでにニュージーランドで出版されていたのです。それが2018年になってイギリスであらためて刊行され、サイモンさんは本国でのキャリアがあるにもかかわらずイギリスで新人作家としてデビューを飾りました。そして本書は2019年度のCWA新人賞やイアン・フレミング・スチール・ダガー賞の最終候補にも選出されています。そういうわけで本書の内容は時代的に古いのが難点ですが(携帯電話の形状なども)、私は一読者としてそんなことはおかまいなく楽しめました。

 このサム・シェパード・シリーズは第四巻まで刊行されています。

 全編を通してみなぎるスピード感、ユーモアの混じった親しみ安い語り口、魅力あふれる主人公……どこを取ってもエンタメ作品として申し分がないのに、本書はおそらく邦訳されることはないでしょう。でも、少しでも皆様に面白さをお伝えできたらと思い、冒頭部を試訳してみました。興味を持たれた方は読んでみてください。

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