び~ふぁいる

主に未邦訳の海外ミステリーについて語ります

第59回 キース・ブルートン

今回は、2022年7月に刊行された作品『The Lemon Man』をご紹介します。

【あらすじ】
 ”レモン・マン”ことパトリック・カレンはダブリンの街を愛用の自転車で縦横無尽に駆け回る殺し屋だ。トレードマークは銀髪のポニーテールに口ひげ、それにいつも履いているスリッパのようなサンダル。ボスのブロンズマンから与えられたその日のターゲットは、ゴミ屋敷のような散らかり放題の家に住む二十代の男だった。殺ったあと赤ん坊の泣き声に気づき、思わずガラクタの中から赤ん坊を抱きあげる。

 パトリックは子供の父親を殺したという責任から、その子をキーノと名づけて自分のアパートメントに連れてかえったものの、どうしていいかわからない。頼みの綱は、定期的に呼んでいる馴染みの娼婦オリヴィアだった。しかしやって来た彼女も子育ての知識は一切なく、右往左往する。
 パトリックとオリヴィアは赤ちゃん用品を買いに店へ。その後交替で世話をしているうちに段々慣れてきて、キーノに愛着を感じるようになる。パトリックとオリヴィアの間にも客と娼婦以上のものが芽生えはじめ、オリヴィアは、娼婦をやめてずっとパトリックのアパートでキーノと一緒にいたいと言いだす。パトリックはオリヴィアの雇い主のノクターナルに話をつけに行くが、彼女を自由にしたかったら来週までに五万ユーロ払えと言われる。
 パトリックはなんとしても金を用意したくて殺しの仕事を次々と引き受ける。しかしことごとく失敗してターゲットを逃がしてしまい、ボスから見放される。そんな折り、ボスの右腕のジェリーから、ダブリン城で開かれる宝石展の強盗に一枚噛まないかと持ちかけられる。当然話に乗ったパトリックだったが、強盗は計画通りには行かず……。殺し屋と娼婦と赤ん坊の未来やいかに?!

レモン・マン

 本書は発売当初ちょっとした評判となり、あちこちの書評サイトで取りあげられたようです。確かにタイトルの『レモン・マン』はインパクトがありますよね。殺し屋のパトリックがなぜ”レモン・マン”と呼ばれるようになったのか。それは殺し屋になりたての頃、先輩のイーグル・アイから指導を受けているとき、このレモンのようになれと言われたからでした。そのときイーグル・アイが握ったのは、枝からもいだ、腐りかけの茶色いレモンでした。そのレモンには一オンスの生命もないから。茶色いレモンになれって、これ、どういう意味なのでしょうね。単純に目立つな、ということでしょうか。よくわかりません。正直、あまり大した意味はこめられていない印象です。実際、作中でパトリックはそれほど”レモン・マン”とは呼ばれていません。あしからず。

ダブリンへようこそ

 とても読み易く、キャラクターひとりひとりが個性的で会話もユーモラス。映画で言えば、ガイ・リッチーが描くギャングもの的な雰囲気、といった感じでしょうか。おかげで最後まで楽しく読めました。でも何と言っても本書の最大の魅力はダブリンの街そのものです。パトリックは自転車で街じゅうのあらゆるところを走りまわります。通りの名前、地名がいっぱい出てくるので、検索しながら読むと観光気分が味わえること必至! 本書に出てきた場所をいくつかご紹介してみましょう。

グランド・カナル

サミュエル・ベケット

リフィー川

ムーア・ストリートの青空市

作中ではダブリンだけあって雨模様のシーンが多いのですが、こんな所をパトリックが自転車で走り回っていたと思うとイマジネーションが膨らみますね。

話の起伏は弱め

 残念なのは、ドラマがあまりなかったことです。パトリックが赤ん坊を拾ったことからすったもんだは多少起きますが、それがメインプロットの進行の鍵になることはなく、また、パトリックに次々と災難がふりかかってジェットコースター的な展開になるとか、そういったこともありません。殺し屋の日常の描写がかなり長く(でもユーモアがあって個人的にはこのパートも好きですが)、話が大きく動くのは全269ページのうち200ページを過ぎたあたり、パトリックが宝石強盗に加わるところからです。この辺からは俄然緊張感も高まってバイオレンスも激しくなります。そうしてクライマックスの見せ場もしっかり用意されています。このテンポが前半からほしかった。あるいはいっそ恋愛物にして、前半はパトリックとオリヴィアが距離を縮めていく過程を丁寧に描くのもありだったかなあとも。あまりにもふたりがなんの障害もなくいつの間にか恋愛ムードになっているのもやや物足りず。私など、オリヴィアがパトリックを裏切って金だけを手に入れて逃げるのではないかと勝手にハラハラしながら読んでいたのですが、そんな波乱など一切ありませんでした。
 ラストは、パトリックが新たな雇い主に仕事を依頼されそうな雰囲気で〆られているので、どうやら続編も期待できそうです。