び~ふぁいる

主に未邦訳の海外ミステリーについて語ります

第26回 クラム・ラーマン その2

  日に日に雨が冷たくなってきましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。ところで、なんなのでしょう。このところ閲覧して下さるかたが微妙に、しかし確実に増えています。特に何もしていないのになぜ?? 閲覧数見るたびにどきっとしちゃうんですけど。でもせっかく見にきて下さった方々のために、今回はややフライイングします!!

 というわけで、今回は第14回でご紹介しましたクラム・ラーマンの『East of Hounslow』(邦題:ロスト・アイデンティティ)の続編『Homegrown Hero』(邦題:テロリストとは呼ばせない)をお送りいたします。

邦訳(11月半ばに発売予定のようです)

『East of Hounslow』(ロスト・アイデンティティ)については第14回で解説していますので詳しくはそちらをご覧になっていただければと思いますが、一応あらすじをざっとご紹介しておきましょう。

【あらすじ】

 パキスタン移民の二世としてロンドン西部で生まれ育ったジェイ。母親はシングルマザー。父親は生まれたときからいなかった。母親に自由に育てられたためイスラム教への信仰心は薄く、西側と同様の価値観を持っている。成人しても定職には就かず、街角でマリファナを売る日々を過ごす。
 一方、同じ界隈で育った幼なじみのパルヴェスは気弱ないじめられっ子だったせいでイスラム原理主義の思想にとらわれていき、ムスリムイスラム教徒)には西側の人間を虐殺する正当な理由があると思いこむようになる。そんなパルヴェスを心配していたジェイだったが、ある日マリファナ密売の容疑で逮捕されて売り物のマリファナと売上金を警察に押収され、ドラッグディーラーの元締めのサイラスに売上金を納めることができなくなってしまう。狂人のサイラスを怒らせてしまったら命はない。 窮地に陥ったジェイに接触してきたのはMI5のエージェント、パーカーだった。罪を帳消しにしてやる代わりにイスラム・コミュニティーの動向をスパイしろと言われ、背に腹はかえられずその申し出を受ける。一番怪しいのはパルヴェスが関わっているイスラム教勉強会だと踏んだジェイはそこに潜入する。思った通り、そこはアル・カイダと関係を持つテロ組織、グルファット・アル・ムダリスのジハーディスト養成所だった。
 MI5はジェイに、洗脳されたふりをしてグルファット・アル・ムダリスの深部へ入り込めと命令。だがジェイは苦悩していた。過激思想を持つ者たちのテロ行為には我慢がならないが、西側の価値観だけが正義かということに対しても疑問を持ちはじめていたからだ。それに加え、パルヴェスを始めとした組織の仲間たちとも本物の絆が芽生える中で、自分は裏切り者だという意識にさいなまれる。一体自分はどっち側なのか? 完全にアイデンティティ迷子になるジェイ。
 状況に流されたまま、ついに組織の訓練キャンプがあるイスラマバードまで行くことになるが、そこで何の罪もないムスリムの民間人が西側の軍隊に虫けらのように殺されている実態を目の当たりにしてますます混迷する。そんな中、組織は着々とロンドンの繁華街への大規模テロ攻撃の計画を推進していく。
 果たしてジェイはどちらの道を選ぶのか。ロンドンは血の海と化してしまうのか?!

前作のラストは衝撃的なクリフハンガー

 なんと、ジェイが狂人サイラスの手にかかって喉をざっくりと切られたところでトゥービーコンティニュー的にジ・エンド。ジェイはどうなってしまうんだ~と読者の皆様は地団駄を踏んだことと思います。本書『Homegrown Hero』(テロリストとは呼ばせない)はその悪夢のような出来事の二日前からスタートします。まだジェイはピンピンしてます。

 では『Homegrown Hero』(テロリストとは呼ばせない)のあらすじをご紹介!

【あらすじ】
 三ヶ月前、ロンドンの繁華街が血の海と化すはずだったテロ攻撃は間一髪で阻止された。しかしジェイは、短期間のうちにあまりに衝撃的な経験をしたせいでPTSDに近い状態に陥っていた。MI5には利用価値がなくなったとしてあっさり首にされる。すべてに疲れたジェイは心機一転、今までの自堕落な生活を改め、なんと区役所のヘルプ窓口のオペレーターとして働きはじめる。さらに、過激思想を持つムスリムと関わった記憶を一掃したくて、近所のコミュニティーセンターで開かれている穏健派のムスリムの集会に参加する。
 そうしてジェイが日常を取り戻しつつあるころ、ドバイではテロ組織グルファット・アル・ムダリスの長老らによる会合が開かれていた。リーダーのアブダル・ビン・バジャールは西側諸国から狙われて山の中に潜伏しているゆえ、今や組織の実質的なリーダーであるシャイフ・アリ・グラームは、MI5に協力した裏切り者であるジェイにファトワ【暗殺命令】を下す。ファトワの執行を任されたのは、ロンドンに潜伏して二十年になる組織のメンバーのイムラン・シディッキーだった。


 しかしイムランは二十年の間にすっかり丸くなり、今は白人のシングルマザーのステファニーと恋愛をしていた。人殺しなどしたくはない。すると彼の忠誠心を疑った組織の幹部でイムランの育ての親でもあるパサーンがやってきてステファニーと息子のジャックを人質に取ってイムランに圧力をかける。心を決めたイムランはジェイを殺しに行くことにする。
 その頃ジェイは新たな火種に巻き込まれていた。コミュニティーセンターで知り合ったナイームというムスリムの少年のガールフレンドが極右思想を持つ白人の三人組に襲われ、それを動画に撮られて拡散されたことを苦にして自殺してしまったのだ。復讐に燃えるナイームは暴走する。ジェイはなんとしてもナイームをとめたかった。なぜなら、彼はパルヴェスと同じ目をしていたからだ。ジェイは過激思想に染まってしまったパルヴェスを結局救えなかった。もう二度と友人をテロリストとは呼ばせたくない。ジェイはコミュニティーセンターの他の仲間と共になんとかナイームをとめようと奔走する。しかしナイームはすでに爆弾を作りはじめていた……。


 一方、イムランはジェイの家に行き、彼に銃口を向ける。はたしてジェイの運命は?
  さらに、それまで地下に潜って当局の目を避けていたグルファット・アル・ムダリスの真のリーダー、アブダル・ビン・ジャバールが危険を覚悟で動き出す。直接シャイフ・アリ・グラームに会ってジェイに下されたファトワを取りさげさせるために。だが最重要指名手配犯のアブダル・ビン・ジャバールは見つかり、イギリス軍兵士の銃口に囲まれる。稀代のテロリストの凄絶なる最期。その心の叫びはジェイに届くのか?!

いや~、濃度高い高い!

 おのれのアイデンティティを模索しながら西側とムスリムの間でゆれ動く青年の心理と、大規模テロ攻撃にさらされるロンドンの緊迫した様子を描いた前作『East of Hounslow』は大反響を呼び、デビュー作にして英米のメジャーな賞にノミネートされましたが、それゆえに著者のラーマンさんもかなりのプレッシャーを感じていたことが謝辞からも伺えます。ジェイというなんとも魅力的な、すっとぼけたキャラクターを再び似たようなシチュエーションで使えば充分そこそこのストーリーはできたと思います。ですがラーマンさんは守りに入りませんでした。前作の世界観をリセットするかのごとく、本書の冒頭はイムランという新しいキャラクターの一人称でスタートさせます。その後もイムランとジェイの両方の視点でまったく別の物語が同時進行するという野心的な構成。このふたつの世界線は最後の最後で交差するのですが、それまでは両パートがほとんど独立したかたちで展開するので、一冊の本でふたつの違う物語を読んでいるような、一粒で二度おいしい楽しみが味わえます。

振り幅大きすぎ!

 なんといっても本書でびっくらこいたのは、ドラッグディーラーでひたすら怠け者だったジェイが区役所の職員になっていたことでしょう。って、振り幅大きすぎ! でも怠け癖は健在のようで、だらだらした仕事ぶりはやっぱりジェイ(笑)。
 一方、新キャラクターのイムランは悩み多き男性。十六歳のときにグルファット・アル・ムダリスのメンバーであることを隠してロンドンにやってきてずっと仮面をかぶりながら暮らしてきましたが、いつの間にか仮面が本当の自分となり、ジハーディストである自分は消えかけていました。そんなときにやってきた組織からの暗殺指令。彼は悩みに悩みます。しかも問題はそれだけではありません。ロンドンのイスラム・コミュニティーは戒律第一。十六歳から親代わりになって育ててくれた伯母には白人のシングルマザーのステファニーが恋人だなんて口が裂けても言えません。何も知らない伯母はせっせとイムランにお見合い話を持ってきます。断り切れずにお見合い相手とデートしているときにステファニーと鉢合わせしてしまい……修羅場じゃあ!

いまどきのネオ・ムスリム

 面白いのは、移民としてイギリスにやってきたムスリムたちは原理主義からかけ離れて、西欧的な生活習慣を取り入れた変則的ムスリムになっている現状でしょう。ワインを飲んだりスワッピングをしたり同性愛者だったり……。あるいはイムランの伯母のようにイギリスのロイヤルファミリーの大ファンだったり。もちろん差別もありますが、その一方で文化の融合も急速に進んでいるんだな……と実感させられます。イムランの恋愛をめぐっては感動的な展開が。伯母さんが泣かせるんですよ。ステファニーの息子でイムランにとっては継子となるジャックとの関係にもじわっときます。

さまざまな親子関係

 ジェイのパートでは近所のコミュニティーセンターて知り合った若いムスリムたちが登場するのですが、そのなかのナイームという少年とガールフレンドに絡んでくる悪質な白人の極右主義者グループの動向もサブプロットとして進行します。最近グループのメンバーになったダニエルという少年にも不憫な生い立ちがあります。そのダニエルと父親との関係も印象的だし、圧巻はなんといってもジェイの……(モゴモゴ)。子を想う一人の親の気持ちの尊さには善人も悪人もありません。そしてあまりにも、あまりにも無慈悲なラスト。その怒りをどこにぶつければいいのか、しばし呆然としてしまいます。

 ジェイはMI5をやめたわけですから、本書はもうエージェントが活躍する正義の味方のスパイアクションでもなんでもありません。ジェイにはなんの義務もありません。それでも権力に頼らずに、泥臭く、自分の力でやっぱりジェイは人を救おうとします。前作とはまた違った意味で心にズシンとくるストーリーでした。残念ながら三部作の最終巻は今のところ刊行予定はないようです。ジェイがついにカタールに行って母親と再会を果たしたり、そこにイドリスが追いかけてきたり、ジェイにロマンスらしきものがあったり、イムランとイスラマバードへ飛んだり、懐かしのムスタファその他のキャラとと再会したり……と盛りだくさんな内容になっているんですけどね。刊行されたらいいなあ。