び~ふぁいる

主に未邦訳の海外ミステリーについて語ります

第54回 グラハム・バートレット

 更新がすっかり遅くなってしまい、もうしわけありません。今回は、サセックス警察ブライトン・アンド・ホーヴ管区に三十年間勤務し、退職時の役職は警視長だったというグラハム・バートレットのさんの作品『Bad for Good』をご紹介します。

 

【あらすじ】
 サセックス警察では効率化の名のもとに警察官の人員削減が行われ、そのせいで多発する犯罪に対処しきれなくなっていた。警察はあてにできないというムードが市中に広まるなか突如、民間警備サービスを名乗る者たちが街の犯罪者を始末しはじめる。そんな折、サセックス警察ブライトン・アンド・ホーヴ管区の管区長フィルの息子ハリーが刺殺される。ハリーは将来を嘱望されたサッカー選手で、プロのチームに入団が決まったばかりだった。捜査班を率いるのはフィルの直属の部下である警視長のジョアン(ジョー)・ハウだ。フィルは”利害の衝突”のために捜査に加わることができない。人手不足もあって捜査に苦戦を強いられているのはわかるものの、ジョーの捜査のやり方は手ぬるく感じられてフィルはいらつく。
 そこへ、謎の人物から電話がかかってくる。「息子を殺した犯人を捕まえてやるから十万ポンド払え」冗談じゃない、と無視していると、また電話がかかってきた。「払わないと、十五年前にジョアン・ハウと浮気していたことをバラすぞ」さらに電話の主は、ハリーがジムのロッカールームで腿にステロイドを打っている写真を送信してきた。それは禁止薬物だった。これをマスコミに流されたくなかったら言うとおりにしろ、と電話の主は言う。まさか息子がドーピングを?! 窮地に立たされたフィルは電話の主と会い、その男を影で操る人物の正体を知って愕然とする……。

バートレットさんの経歴について

 本書を語るうえでグラハム・バートレットさんの経歴を無視することはできません。彼はサセックス警察ブライトン・アンド・ホーヴ管区に三十年間勤務。公共秩序を維持するための武装チームの指揮官として大規模抗議デモやスポーツイベントの警備などを主導してきた経験を持っています。引退後は警察の犯罪捜査アドバイザーとなり、ピーター・ジェームズ、アンソニー・ホロウィッツ、マーク・ビリンガム、エリー・グリフィスといった作家に警察の捜査手続に関する助言を行っています。そう、本書の舞台となっているブライトン・アンド・ホーヴ管区はまさに彼の古巣です。臨場感あふれるリアリティーが伝わってくるのも当然といえましょう。

警察階級あれこれ

 そんなわけですから、バートレットさんが描く警察組織は非常に正確です。原書を頼りに私もざっと調べてみました。まずイギリスではロンドン警視庁をトップに、その下に地方自治体単位で組織されている地方警察が存在します。本書ではこの地方警察がサセックス警察で、このサセックス警察の管轄区域のひとつがブライトン・アンド・ホーヴとなっています。(この地方警察と所轄署は混同されがちですが別です)サセックス警察の長(chief constable)は管区本部長であり、警察の実務の責任者です。これより上の位置づけとなるのが警察・犯罪コミッショナー(police and crime commissioner)で、この役職には警察の仕事を監視、監査し、予算を決定する権限があります。

 管区本部長の下には各管区の管区長(divisional commander)が並びます。本書ではフィルがブライトン・アンド・ホーヴ管区(所轄署)の管区長を務めています。いわゆる署長的な立場のようですが、微妙に署長よりやや上といった印象です。その下の階級がchief superintendentで、本書におけるジョーの役職です。この役職は、ドラマや翻訳小説では署長と訳されていることが多いようですが、本書を読む限りではジョーは重大犯罪捜査課のトップという位置づけになっています。署長よりはやや下、といったところでしょうか。そして”署長”という名のつく役職はありません。ざっとこんな感じです。

テンポのよい、コンパクトな話運び

 本書の特徴のひとつは、いまどきらしいスピーディーな展開と簡潔な描写でしょう。登場人物は多いのですが、コンパクトな筆致で要所のみを押さえ、短いシーンで的確に必要な情報を読者に与えています。このスポット描写はいまどきの風潮にマッチしているともいえます。時短視聴などが好まれる現代にあっては、これぐらいのコンパクトさは心地よく感じられるくらいです。しかしどうやらこれは諸刃の剣ともいえるらしく、少数ではありますがレビューの中には、この早い展開についていけない、登場人物が多すぎて混乱するという意見も散見されています。そういった意味では、従来の古典的ミステリーのリズムに慣れている読者にはやや不評かもしれません。

メシウマ!リアリズム

 しかしなんといっても本書の最大の目玉は徹底したリアリズムです。いや、もうですね、派手なドンパチとか”映える”アクションシーンとか、そんなものよりもオイシイのがこれなんです。クライマックスは最後のほうの、警察の武装チームがギャングの要塞を突破するところなのですが、その襲撃シーンよりむしろ準備段階の入念な描写が緊張感をマックスに高めてくれます。SCO19(ロンドン警視庁銃器専門指令部)の戦術武装部隊の出動、タクティカルアドバイザーと国境警備隊海上部門の責任者との無線のやりとり、ヘリ部隊との連携、交渉人との打ち合わせ――など、リアル感満載のディテール描写にワクワクがとまらない! これだけでわたしゃゴハン三杯いけます。こういった描写こそ元警察官のバートレットさんの最大の強みでしょう。

 なお、本書はジョー・ハウ警視長シリーズとして、第二巻の『Force of Hate』まで出版されています。

第三巻『City on Fire』は2024年刊行予定です。