び~ふぁいる

主に未邦訳の海外ミステリーについて語ります

第11回 ミック・ヘロン考察 その3

 今回ご紹介するのは、ミック・ヘロンのデビュー作にしてゾーイ・ベーム・シリーズの第一作目である『Down Cemetery Road』(2003年)です。

 これがもう、新人とは思えないくらいこなれた作品なのです。普通の主婦が主人公でありながら、ミステリー、アクション、バイオレンス、ハードボイルド、エスピオナージュ、シスターフッドと、てんこ盛りの内容のジェットコースター小説となっています。表現のくどさもこのころはまだ比較的抑えられているので読みやすくなっています。

 そして、この作品からしてもうすでに『窓際のスパイ』の骨格らしきものも見えています。どんな話なのか、さっそくご紹介しましょう。

 

【あらすじ】

 三十代前半の専業主婦サラの家の近所でガス漏れによる爆発事故が発生。そこに住んでいたシングルマザーのマディは死亡。四歳になる一人娘ディナは奇跡的に助かった。父親のトミーは軍人で、四年前にヘリコプター事故で戦死している。

 独り残されたディナはこれからどうなってしまうのだろう。心配になって病院を訪ねるサラ。しかしディナは病院から忽然と姿を消していた。

 同じころ、かつてトミーと同じ部隊にいたマイケルもディナを捜していた。

 不安と好奇心を抑えられなくなったサラは、私立探偵のジョーに調査を依頼する。ジョーは爆発事故を調べているうちに、現場には四年前に戦死したはずのトミーの遺体もあったことを知る。サラがその報告を受けたあとジョーは自殺に見せかけて殺される。サラも男に襲われるが、マイケルに助けられる。そこでマイケルから、軍が兵士を使って生体実験を行っていたこと、トミーとマイケルはそこから逃げ出してきたこと、軍から隠蔽工作を請け負ったある極秘機関に追われていることなどを聞く。マイケルは、軍の秘密基地“ファーム”にトミーの娘のディナが囚われていると確信し、単身そこへ乗りこむ。サラと、私立探偵のジョーの妻ゾーイもマイケルを追ってファームに行く。ゾーイは夫を殺されて復讐心に燃えていた。しかし極秘機関の工作員、エイモスの魔の手が伸びる。果たして孤立無援のサラたちの運命は? 

〈泥沼の家〉の原型らしき部署発見!

『窓際のスパイ』では、下手を打ったエージェントが送りこまれる保安局の支部のような建物を〈泥沼の家〉と呼んでいますが、本書でもその原型のような建物が出てきます。〈泥沼の家〉と同じく四階建てで、そこの表向きの名称は都市開発局となっていますが、実体は情報局の秘密部署で、政府高官の不祥事や当局に都合の悪い出来事などを闇に葬る仕事を請け負っているというものです。しかも、そこの工作員として本編に出てくるエイモスは、名前だけですが『窓際のスパイ』シリーズの二作目『死んだライオン』で、ラムとリヴァーの会話になかに登場します。

『死んだライオン』でエイモスは、保安局の伝説のスパイ、と説明されていますが、それだと読者はちょっと違う印象を持ってしまうと思うのですが……。原文では、a service legend for all the wrong reasonsとなっています。つまり悪い意味で伝説になっちゃったエージェントってことですね。実際、本書でもやりたい放題のケダモノとして描かれ、しまいには上司が彼を始末しようとします。さらにラムは、エイモスが若い女に殺された、と言っていますが、殺したのは探偵ジョーの妻である、ベームという四十代の中年女性です。原文ではsome chick whackedとなっていますので確かに若い女なのですが( chick には若い女という意味あり)、ここは語呂を優先しただけなのではないでしょうか。

 このゾーイ・ベーム・シリーズは、ごく普通の主婦で感情の赴くままに猪突猛進するサラと、感情をつねに抑えて理論的に行動する私立探偵ゾーイという、まったく正反対のふたりが交代でメインを張っていく構成になっていて、共通点がないはずのふたりの間に芽生える奇妙な友情が読ませどころになっています。本書はサラがメインでしたから、次作の『The Last Voice You Hear』はゾーイが主役となります。このゾーイ、とことんハードボイルドです。四十代の中年女性なのですが、 ハードボイルドには年齢も性別も関係ないんだな、と思わせてくれる、ムードたっぷりの一冊です。というわけで、次回は、個人的には好きな(けれど人には“面白い”とお勧めは絶対にできない)『The Last Voice You Hear』をご紹介します。(お楽しみ、とは言えません……)