び~ふぁいる

主に未邦訳の海外ミステリーについて語ります

第57回 イーライ・クレイナー その2

 本ブログの第42回でもご紹介しましたイーライ・クレイナーさんのデビュー作である『Don't Know Tough』は今年一番、いやこの十年に一作出るかでないかというほどの衝撃作でした。次作の本書『Ozark Dogs』もアマゾンのあらすじを読む限り、それに表紙のインパクトからも、これまたガツンときそうな作品です。メンタルと体調を整えてから読まなければと先送りしていましたが、ついに読むぞ!と気合いを入れてキンドルをタップ!

Ozark Dogs

Ozark Dogs

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【あらすじ】
 ベトナム戦争の退役軍人ジェレマイア・フイッツジュールは廃車の解体業を営んでいる。息子のジェイクは殺人をおかして服役中なので、その間孫娘のジョーを大切に育てていた。しかし、高校三年生になったジョーはレッドフォード一家に目をつけられていた。麻薬製造、密売を稼業にしている一家は取引先のメキシコ人のディーラーにヤクの代金を金ではなく若い白人娘で払うと約束していたからだ。さらに、ジョーが狙われているのにはもうひとつのわけがある。ジェイクがおかした殺人の被害者はレッドフォード一家の長男のラドニックだったので、ラドニックの父親のバンと弟のエヴァルはフイッツジュール家の者に復讐する機会を虎視眈々と狙っていたのだ。そしてついにジョーを誘拐しようとするが、レイシーという、ヤクほしさに身体を売っている中年のジャンキーの売春婦に邪魔をされる。彼女はジョーを助けて自分のモーテルに泊めてやった。

 レイシーがジョーを助けたのは自分の娘だったからだ。ジョーを産んだときはまだ十六歳だった上、子供の父親のジェイクは殺人罪で刑務所に入ってしまったのでひとりで育てていくのは難しくなり、ある日ジェレマイアの家の前にジョーを置いて去ったのだった。
 レッドフォード一家のエヴァルはレイシーと連絡を取り、今は廃炉になっている原子力発電所にジョーを連れてきたらたっぷり謝礼金を払うともちかけた。その発電所でメキシコ人のディーラーに、ドラッグと引き換えにジョーを渡すことになっているという。クスリ代がほしいレイシーの心は揺れる。
 いっぽう、家に帰ってこないジョーを、ライフル片手に捜しまわるジェレマイア。頭の中ではベトナム戦争時代のことがフラッシュバックしていた。ジョーのボーイフレンドでレッドフォード一家の里子のコリンはジェレマイアに、取引場所は原子力発電所だと洩らす。ジェレマイアはそこに向かう。発電所の冷却塔は絶好の狙撃ポイントだ。
 原子力発電所の敷地内にレッドフォード一家、メキシコ人のディーラー、そしてレイシーがやってくる。ライフルのスコープを覗くジェレマイアの心はベトナムに戻っていた。そうして始まる殺戮。生き残るのはいったい誰なのか?!

う~ん……

 読みはじめてすぐうなってしまいました。前作『Don't Know Tough』が大反響を呼んだので、売り時を逃すなとばかりに書きかけの作品を大急ぎでまとめて見切り発車的に刊行してしまった、という印象を受けました。ストーリー構成では詰めの甘いところや不完全なところが目につき、キャラクターに至ってはまだ造形中のまま登場させたといった感じ。説明的な会話、説明を含む地の文が多すぎるのも作家としての仕事に手を抜いているように見えて残念です。こういった不満が出てくるのもひとえに、クレイナーさんの実力はこんなものではない、という期待があるからこそなのです。

しっくりこない原因は詰めの甘さ?

 本作は、もっと時間をかけて話を練り、キャラクターをもっと丁寧に造りこんだらきっと素晴らしい作品になったはず。その可能性の片鱗は至るところに見え隠れしているのですから。ではどの辺が残念だったのか、原因を拾ってみましょう。

キモさギリギリ回避?! 

 まずジェレマイアとジョーの関係についてですが、アマゾンのあらすじには退役軍人のジェレマイアが孫娘のジョーに銃の撃ち方や戦い方を教えながら育てたとあります。元軍人の男親と娘あるいは孫娘との絆とくれば、ノワール物では手垢のついたテーマです。これをクレイナーさんがどう料理するのか興味津々だったのですが、蓋をあけてみると、あれ、なんかちがう。ジェレマイアがジョーに銃の撃ち方を教えるシーンなどは特にありません。教えた、と地の分でちょろっと言及されていた程度。それよりもひたすらこと細かに語られるのがジェレマイアの孫娘に対する恋心にも似た想いや彼女のボーイフレンドに対する嫉妬心です。いえ、キモくはありません。キモくなる一歩手前でとめていますので。とりあえず愛情深いおじいちゃんの域で留まっています。(人によってはキモく感じるかもしれませんが)

 ジェレマイアがここまでジョーに、妄執にも似た想いを抱くのには何かわけがあるのではと思って読みすすめたのですが、そのアンサーは特にありませんでした。もっとも、ジェレマイアがジョーを心配する理由はストーリーが半分近くすぎてから明かされます。レッドフォード一家からの復讐を恐れている、ということなのですね。だから孫娘をストーキングするほど過剰にボディガードしている、というなら話はわかりますが、そういう描写はなく、語られるのはジョーに対する恋情にも似た過剰な愛情の心理ばかり。しかもその感情の出所は結局わからずじまいでした。
 さらにはジェレマイアの心にはベトナム戦争時代の傷があります。戦場で小さな女の子の目の前で彼女の両親を殺したときの、その子の表情がいまだに頭から離れないというこれまたよくある設定で、ときにその女の子がジョーと重なったりする描写もあるのですが、このPTSDの苦しみもやや中途半端で、さらに酒に手を出すようになってアル中となり――と、これもまた帰還兵によくあるパターンの展開。それらのピースがなんとなくはまりきっていないように感じられるのです。ゆえに鬼気迫るキャラクターになりえたはずのジェレマイアという人間の存在感がぼやけてしまっています。クレイナーさんはなまじ筆力があるがゆえにいかなる描写もさらりとこなしてしまうのですが、ちょっと今回はそれぞれのテーマの掘り下げ方、整合性などに甘さや粗さが目立って残念でした。

多くの”なんで??”

 一旦粗さや甘さが気になってしまうと、次から次へと”なんで?”という疑問に突きあたってしまいます。いくつか例を挙げてみますと――

 

 レッドフォード一家の里子のコリンについて
一家に、大きくなったらクォーターバックの選手になって女生徒にモテろと言われながら育つ。そうなればジョーをモノにできるし、その他の若い女の調達にも苦労しなくなるから。って、ずいぶん気長なプロジェクトでは? 

 ジョーの母親レイシーについて
産んだ子供を育てられないからといってジェレマイアの家の前に赤子のジョーを置いていき、そのあとコリンを産んでまた育てられないからといってレッドフォード家の前に置いていくって、育児放棄甚だしすぎ。それぞれの父親はレイシーをめぐって三角関係で、その子供たちは血が繋がっていることを知らず恋人同士になる――ってどんだけ?

 レッドフォード家の次男エヴァルについて
読書家でヴィーガン。家族はみな無教養なキリスト教右派の白人至上主義者で肉をバリバリ食っているなかにあって、これは面白くなりそうなキャラクターだと思いましたが、その設定は特にストーリーには活かされず。刑務所を出所してから人が変わったということになっているので、ひょっとしてクローゼット案件かとも思いましたがそれもありませんでした。じゃこの人いったいなんだったんだん?

胸を打つシーン

 よかったところもなかったわけではありません。ジャンキーの売春婦レイシーがクスリ代ほしさに我が子を売る、と見せかけておきながら、自分が娘の服を着て娘になりすまして人身売買の場に現れたところは、母の愛にぐっときました。子供を捨てて、どんなに荒んだ人生を歩んでいても、いざとなったら子供のために我が身を投げうつ。前作の『Don't Know Tough』にも通じる、クレイナー作品の永遠のテーマのひとつです。

 

 イーライ・クレイナーさんの恐ろしいほど素晴らしい筆力は前作で証明済みです。わたしたち読者はまだ諦めてはいません。彼が再び傑作を生みだすことを。どうか『Don't Know Tough』が最初で最後の最高傑作とはなりませんように……

次作『Broiler』は2024年7月に刊行予定となっています。