び~ふぁいる

主に未邦訳の海外ミステリーについて語ります

第59回 キース・ブルートン

今回は、2022年7月に刊行された作品『The Lemon Man』をご紹介します。

【あらすじ】
 ”レモン・マン”ことパトリック・カレンはダブリンの街を愛用の自転車で縦横無尽に駆け回る殺し屋だ。トレードマークは銀髪のポニーテールに口ひげ、それにいつも履いているスリッパのようなサンダル。ボスのブロンズマンから与えられたその日のターゲットは、ゴミ屋敷のような散らかり放題の家に住む二十代の男だった。殺ったあと赤ん坊の泣き声に気づき、思わずガラクタの中から赤ん坊を抱きあげる。

 パトリックは子供の父親を殺したという責任から、その子をキーノと名づけて自分のアパートメントに連れてかえったものの、どうしていいかわからない。頼みの綱は、定期的に呼んでいる馴染みの娼婦オリヴィアだった。しかしやって来た彼女も子育ての知識は一切なく、右往左往する。
 パトリックとオリヴィアは赤ちゃん用品を買いに店へ。その後交替で世話をしているうちに段々慣れてきて、キーノに愛着を感じるようになる。パトリックとオリヴィアの間にも客と娼婦以上のものが芽生えはじめ、オリヴィアは、娼婦をやめてずっとパトリックのアパートでキーノと一緒にいたいと言いだす。パトリックはオリヴィアの雇い主のノクターナルに話をつけに行くが、彼女を自由にしたかったら来週までに五万ユーロ払えと言われる。
 パトリックはなんとしても金を用意したくて殺しの仕事を次々と引き受ける。しかしことごとく失敗してターゲットを逃がしてしまい、ボスから見放される。そんな折り、ボスの右腕のジェリーから、ダブリン城で開かれる宝石展の強盗に一枚噛まないかと持ちかけられる。当然話に乗ったパトリックだったが、強盗は計画通りには行かず……。殺し屋と娼婦と赤ん坊の未来やいかに?!

レモン・マン

 本書は発売当初ちょっとした評判となり、あちこちの書評サイトで取りあげられたようです。確かにタイトルの『レモン・マン』はインパクトがありますよね。殺し屋のパトリックがなぜ”レモン・マン”と呼ばれるようになったのか。それは殺し屋になりたての頃、先輩のイーグル・アイから指導を受けているとき、このレモンのようになれと言われたからでした。そのときイーグル・アイが握ったのは、枝からもいだ、腐りかけの茶色いレモンでした。そのレモンには一オンスの生命もないから。茶色いレモンになれって、これ、どういう意味なのでしょうね。単純に目立つな、ということでしょうか。よくわかりません。正直、あまり大した意味はこめられていない印象です。実際、作中でパトリックはそれほど”レモン・マン”とは呼ばれていません。あしからず。

ダブリンへようこそ

 とても読み易く、キャラクターひとりひとりが個性的で会話もユーモラス。映画で言えば、ガイ・リッチーが描くギャングもの的な雰囲気、といった感じでしょうか。おかげで最後まで楽しく読めました。でも何と言っても本書の最大の魅力はダブリンの街そのものです。パトリックは自転車で街じゅうのあらゆるところを走りまわります。通りの名前、地名がいっぱい出てくるので、検索しながら読むと観光気分が味わえること必至! 本書に出てきた場所をいくつかご紹介してみましょう。

グランド・カナル

サミュエル・ベケット

リフィー川

ムーア・ストリートの青空市

作中ではダブリンだけあって雨模様のシーンが多いのですが、こんな所をパトリックが自転車で走り回っていたと思うとイマジネーションが膨らみますね。

話の起伏は弱め

 残念なのは、ドラマがあまりなかったことです。パトリックが赤ん坊を拾ったことからすったもんだは多少起きますが、それがメインプロットの進行の鍵になることはなく、また、パトリックに次々と災難がふりかかってジェットコースター的な展開になるとか、そういったこともありません。殺し屋の日常の描写がかなり長く(でもユーモアがあって個人的にはこのパートも好きですが)、話が大きく動くのは全269ページのうち200ページを過ぎたあたり、パトリックが宝石強盗に加わるところからです。この辺からは俄然緊張感も高まってバイオレンスも激しくなります。そうしてクライマックスの見せ場もしっかり用意されています。このテンポが前半からほしかった。あるいはいっそ恋愛物にして、前半はパトリックとオリヴィアが距離を縮めていく過程を丁寧に描くのもありだったかなあとも。あまりにもふたりがなんの障害もなくいつの間にか恋愛ムードになっているのもやや物足りず。私など、オリヴィアがパトリックを裏切って金だけを手に入れて逃げるのではないかと勝手にハラハラしながら読んでいたのですが、そんな波乱など一切ありませんでした。
 ラストは、パトリックが新たな雇い主に仕事を依頼されそうな雰囲気で〆られているので、どうやら続編も期待できそうです。

第58回 ダニエル・スウェレン・ベッカー

今回ご紹介するのは、十月三日に発行されたばかりの新作! ドキュメンタリー形式で綴られた実録犯罪タッチの作品『Kill Show』です。

【あらすじ】
 十年前、メリーランド州フレデリック郡の郊外で十六歳の少女サラ・パーセルが行方不明になった。生死の境目と言われる四十八時間を過ぎても見つからないことから両親は半狂乱になる。それに目をつけたのがリアリティーショーのプロデューサー、ケイシー・ホーンソンだった。野心に燃えるケイシーは、一家の密着取材をしたいと両親に持ちかける。情報収集の一助になればと両親は撮影を承諾する。しかし番組は証拠もないままパーセル家の隣人を仮想犯人に仕立てあげたり、サラの父親に疑いを向けたりと意図的に視聴者を煽る演出をして新たな悲劇を生みだしていく。果たして全米を巻き込んだ犯罪リアリティーショーの狂想曲の行きつく先は?

わたくしの不徳の致すところ

 え~、本書『Kill Show』のレビューにつきましてはあくまで個人の感想ということで、そもそも本書を選んだ自己責任に端を発するものであります。いやいやこれはホントに選んだ自分が悪い!
 ちょっとこのところ慎重になり、発売直後の本はしばらくレビューの動向を見てから、という待ちの態勢に入りすぎ、ネガティブなレビューを見つけると二の足を踏んでしまっていました。そのせいでレジュメを作っても後手後手に回ることが多く、これではいけないと奮起。私のテイストとはちょっとちがう書評サイトのお勧めでしたが、紹介文に煽られて思い切ってこの新作をポチりました。発売前に配布されたものを読んだgoodreadsの読者のレビューも上々だったので期待していたのですが……結果は惨敗。正直、ここまでの作品だとは思ってもみませんでした。

これ、小説ですか?

 第一に、これは”物語”の様相を呈してはいません。話が構成されていないのです。作家が話を書く前の作業として、大まかなプロットを練ってエピソードを時系列順に並べたメモ書き、といった印象です。最初から最後までただただ、誰が何をした、何を言った、といったことが短い文で書かれているだけ。確かに本書は”実録犯罪もの”と称して全編インタビューでまとめられています。だからドラマチックな盛り上がりに欠けるのは仕方ない? いえいえ、そんなことはありません。例えば本ブログの第15回と第16回で紹介したマット・ウェソロウスキさんのシックス・ストーリーズ・シリーズは同じようににインタビュー形式が取られていましたが、クリーピーなスリルとサスペンスに満ちた素晴らしいドラマに仕上がっていました。そしてインタビュー形式だからこそ、まるで実在の人物がしゃべったことをそのまま文字起こししたかのような生々しい”個”が浮き彫りになり、その声を聞く(読む)読者の心をえぐりました。
 勿論比べるものではありませんが、本書の登場人物には個がありません。ただ表層的に人物設定がなされているだけ。唯一、リアリティーショーのプロデューサー、ケイシーだけは個らしきものが与えられています。都会からやってきたやり手のプロデューサーで、視聴率を取るためには何だってする野心家という設定――のはずが、サラの事件を取材すべくその町にやってきたときバーでいい男と出会い、ちらと結婚を考えたりする。もうアラサーだし、子供ほしいし……。と。え? ちょっとキャラぶれてません? バーで会った男フェリックスは行方不明になったサラの事件の担当刑事だったが、そうとは知らずにケイシーはその晩一夜を共にし、その後も自分が番組プロデューサーだとは言い出せないまま彼とデートを重ねる、ってなんだこりゃ? むしろ担当刑事だとわかって近づいたほうが野心家キャラに合致するのでは? 結婚願望とか急にぶっこんできて、刑事とのおうちデートでポルトガル料理作ってもらったとか、いや、そういう情報いらねーんだわ!

 他の登場人物――二十四人は全員インタビュー対象者ですが、無駄な人物の無駄な発言が半分以上を占めています。ポップカルチャーの評論家とか、陰謀論を唱える怪しい政治団体のリーダーとか。
 事件自体はその後急展開を迎えますが、話作りがなっていないうえにキャラクターに個がないため、上滑りにただ進んでいくだけ。緊張感のきの字もありません。ネタばらしをしますと、これはサラの父親が借金の返済とサラの音楽学院の授業料を捻出するために計画した狂言で、番組から出演料をもらったら頃合いを見てサラが誘拐犯から解放されたというていで出てくることになっていました。まあ、ネタばらしと言っても途中で父親自身がこの計画を暴露しちゃっているので、ますますもってサスペンス感が削がれています。その他、細部に至ってはツッコミどころ満載なのですが、この辺にしておきましょう。

なぜ高評価?

 物語形式になっておらず、ほとんど箇条書きといっていいぐらい一文が短く言葉も平易なので、頭を使わずに流し読みできて、すぐに読み終えられる、そういった点が好評を博しているようです。確かにこういった本も需要があるのは間違いありません。


 しかし! 高評価のレビューが多いなかで、いらっしゃいました! わたしとまったく同じ感想を述べているかたが。
easy to read,easy to write.つまり書くほうも読むほうも楽をしている作品、というわけですね。
This is an especially shitty example.こういったインタビュー形式の最悪の見本
paper-thin character キャラクターは薄っぺら
I'm surprised I even managed to finish this.読み終えられた自分に驚き
The book is really very boring.めちゃくちゃつまらない
I fell for the promo.My mistake.宣伝につられて買ってしまった自分のミス
He said, she said, they all said,who cares! あいつがこう言った、こいつがああ言った、どーでもええわ!←それな!
 でも皆さん謙虚です、文末にI'm an outlier(皆がいいというものに乗れないんです)とかminor(私は少数派です)なんて書いてますから。
 わずかとはいえ同志がいたことに、ワタクシの心も少しばかり慰められました。ああ、次こそは面白いものが読みたい……

第57回 イーライ・クレイナー その2

 本ブログの第42回でもご紹介しましたイーライ・クレイナーさんのデビュー作である『Don't Know Tough』は今年一番、いやこの十年に一作出るかでないかというほどの衝撃作でした。次作の本書『Ozark Dogs』もアマゾンのあらすじを読む限り、それに表紙のインパクトからも、これまたガツンときそうな作品です。メンタルと体調を整えてから読まなければと先送りしていましたが、ついに読むぞ!と気合いを入れてキンドルをタップ!

Ozark Dogs

Ozark Dogs

Amazon

【あらすじ】
 ベトナム戦争の退役軍人ジェレマイア・フイッツジュールは廃車の解体業を営んでいる。息子のジェイクは殺人をおかして服役中なので、その間孫娘のジョーを大切に育てていた。しかし、高校三年生になったジョーはレッドフォード一家に目をつけられていた。麻薬製造、密売を稼業にしている一家は取引先のメキシコ人のディーラーにヤクの代金を金ではなく若い白人娘で払うと約束していたからだ。さらに、ジョーが狙われているのにはもうひとつのわけがある。ジェイクがおかした殺人の被害者はレッドフォード一家の長男のラドニックだったので、ラドニックの父親のバンと弟のエヴァルはフイッツジュール家の者に復讐する機会を虎視眈々と狙っていたのだ。そしてついにジョーを誘拐しようとするが、レイシーという、ヤクほしさに身体を売っている中年のジャンキーの売春婦に邪魔をされる。彼女はジョーを助けて自分のモーテルに泊めてやった。

 レイシーがジョーを助けたのは自分の娘だったからだ。ジョーを産んだときはまだ十六歳だった上、子供の父親のジェイクは殺人罪で刑務所に入ってしまったのでひとりで育てていくのは難しくなり、ある日ジェレマイアの家の前にジョーを置いて去ったのだった。
 レッドフォード一家のエヴァルはレイシーと連絡を取り、今は廃炉になっている原子力発電所にジョーを連れてきたらたっぷり謝礼金を払うともちかけた。その発電所でメキシコ人のディーラーに、ドラッグと引き換えにジョーを渡すことになっているという。クスリ代がほしいレイシーの心は揺れる。
 いっぽう、家に帰ってこないジョーを、ライフル片手に捜しまわるジェレマイア。頭の中ではベトナム戦争時代のことがフラッシュバックしていた。ジョーのボーイフレンドでレッドフォード一家の里子のコリンはジェレマイアに、取引場所は原子力発電所だと洩らす。ジェレマイアはそこに向かう。発電所の冷却塔は絶好の狙撃ポイントだ。
 原子力発電所の敷地内にレッドフォード一家、メキシコ人のディーラー、そしてレイシーがやってくる。ライフルのスコープを覗くジェレマイアの心はベトナムに戻っていた。そうして始まる殺戮。生き残るのはいったい誰なのか?!

う~ん……

 読みはじめてすぐうなってしまいました。前作『Don't Know Tough』が大反響を呼んだので、売り時を逃すなとばかりに書きかけの作品を大急ぎでまとめて見切り発車的に刊行してしまった、という印象を受けました。ストーリー構成では詰めの甘いところや不完全なところが目につき、キャラクターに至ってはまだ造形中のまま登場させたといった感じ。説明的な会話、説明を含む地の文が多すぎるのも作家としての仕事に手を抜いているように見えて残念です。こういった不満が出てくるのもひとえに、クレイナーさんの実力はこんなものではない、という期待があるからこそなのです。

しっくりこない原因は詰めの甘さ?

 本作は、もっと時間をかけて話を練り、キャラクターをもっと丁寧に造りこんだらきっと素晴らしい作品になったはず。その可能性の片鱗は至るところに見え隠れしているのですから。ではどの辺が残念だったのか、原因を拾ってみましょう。

キモさギリギリ回避?! 

 まずジェレマイアとジョーの関係についてですが、アマゾンのあらすじには退役軍人のジェレマイアが孫娘のジョーに銃の撃ち方や戦い方を教えながら育てたとあります。元軍人の男親と娘あるいは孫娘との絆とくれば、ノワール物では手垢のついたテーマです。これをクレイナーさんがどう料理するのか興味津々だったのですが、蓋をあけてみると、あれ、なんかちがう。ジェレマイアがジョーに銃の撃ち方を教えるシーンなどは特にありません。教えた、と地の分でちょろっと言及されていた程度。それよりもひたすらこと細かに語られるのがジェレマイアの孫娘に対する恋心にも似た想いや彼女のボーイフレンドに対する嫉妬心です。いえ、キモくはありません。キモくなる一歩手前でとめていますので。とりあえず愛情深いおじいちゃんの域で留まっています。(人によってはキモく感じるかもしれませんが)

 ジェレマイアがここまでジョーに、妄執にも似た想いを抱くのには何かわけがあるのではと思って読みすすめたのですが、そのアンサーは特にありませんでした。もっとも、ジェレマイアがジョーを心配する理由はストーリーが半分近くすぎてから明かされます。レッドフォード一家からの復讐を恐れている、ということなのですね。だから孫娘をストーキングするほど過剰にボディガードしている、というなら話はわかりますが、そういう描写はなく、語られるのはジョーに対する恋情にも似た過剰な愛情の心理ばかり。しかもその感情の出所は結局わからずじまいでした。
 さらにはジェレマイアの心にはベトナム戦争時代の傷があります。戦場で小さな女の子の目の前で彼女の両親を殺したときの、その子の表情がいまだに頭から離れないというこれまたよくある設定で、ときにその女の子がジョーと重なったりする描写もあるのですが、このPTSDの苦しみもやや中途半端で、さらに酒に手を出すようになってアル中となり――と、これもまた帰還兵によくあるパターンの展開。それらのピースがなんとなくはまりきっていないように感じられるのです。ゆえに鬼気迫るキャラクターになりえたはずのジェレマイアという人間の存在感がぼやけてしまっています。クレイナーさんはなまじ筆力があるがゆえにいかなる描写もさらりとこなしてしまうのですが、ちょっと今回はそれぞれのテーマの掘り下げ方、整合性などに甘さや粗さが目立って残念でした。

多くの”なんで??”

 一旦粗さや甘さが気になってしまうと、次から次へと”なんで?”という疑問に突きあたってしまいます。いくつか例を挙げてみますと――

 

 レッドフォード一家の里子のコリンについて
一家に、大きくなったらクォーターバックの選手になって女生徒にモテろと言われながら育つ。そうなればジョーをモノにできるし、その他の若い女の調達にも苦労しなくなるから。って、ずいぶん気長なプロジェクトでは? 

 ジョーの母親レイシーについて
産んだ子供を育てられないからといってジェレマイアの家の前に赤子のジョーを置いていき、そのあとコリンを産んでまた育てられないからといってレッドフォード家の前に置いていくって、育児放棄甚だしすぎ。それぞれの父親はレイシーをめぐって三角関係で、その子供たちは血が繋がっていることを知らず恋人同士になる――ってどんだけ?

 レッドフォード家の次男エヴァルについて
読書家でヴィーガン。家族はみな無教養なキリスト教右派の白人至上主義者で肉をバリバリ食っているなかにあって、これは面白くなりそうなキャラクターだと思いましたが、その設定は特にストーリーには活かされず。刑務所を出所してから人が変わったということになっているので、ひょっとしてクローゼット案件かとも思いましたがそれもありませんでした。じゃこの人いったいなんだったんだん?

胸を打つシーン

 よかったところもなかったわけではありません。ジャンキーの売春婦レイシーがクスリ代ほしさに我が子を売る、と見せかけておきながら、自分が娘の服を着て娘になりすまして人身売買の場に現れたところは、母の愛にぐっときました。子供を捨てて、どんなに荒んだ人生を歩んでいても、いざとなったら子供のために我が身を投げうつ。前作の『Don't Know Tough』にも通じる、クレイナー作品の永遠のテーマのひとつです。

 

 イーライ・クレイナーさんの恐ろしいほど素晴らしい筆力は前作で証明済みです。わたしたち読者はまだ諦めてはいません。彼が再び傑作を生みだすことを。どうか『Don't Know Tough』が最初で最後の最高傑作とはなりませんように……

次作『Broiler』は2024年7月に刊行予定となっています。

 

第56回 エリク・プルイット

 今回は、2023年5月に刊行され、アマゾンで四千件以上のレビューがついている話題作『Something Bad Wrong』をご紹介します。

【あらすじ】
 サウスカロライナ州ディートン郡に住むジェス・キーラーは三十代後半のシングルマザー。学生時代に妊娠してしまい、ジャーナリズムを専攻していた学校を中退せざるをえなかった過去がある。以来子育てに専念しつつも夢を諦めきれずにいたある日、保安官補だった祖父、ジムのメモ帳を見つける。それは、1971年のクリスマス・イブに若いカップルが失踪し、二週間後にロープで木に縛りつけられた絞殺死体となって発見され、その後迷宮入りとなった事件の捜査記録だった。祖父は翌年の1972年に亡くなっている。

 俄然興味を引かれたジェスは、その事件をポッドキャストで配信しようと決意して独自に調査を始めるが、個人でやれることの限界を知って壁にぶち当たる。各方面に顔がきく人物がほしい、そう感じた彼女が目をつけたのは、女性スキャンダルを起こして今はTV界から干されている人気ニュースキャスター、ダン・デッカーだった。
 ジェスから調査協力を打診されたデッカーは、自分のカムバックに利用できると思ってその件を引き受ける。ふたりは当時の関係者を見つけだしてはインタビューを試みるが、誰もが何かを知っていながら話そうとしない。ジェスの母親も、祖父のジムが担当したその事件を掘りかえすことになぜか激しく反対する。いったい五十年前に何が起こったのか。若きカップルを処刑スタイルで殺害した犯人は誰なのか?

現在と過去の同時進行

 ストーリーは過去と現在が交錯しながら進みます。1972年の過去のパートは主に、事件の捜査を担当していたジムの視点で展開していきます。当時四十七歳だった保安官補のジムは若年性アルツハイマー病にかかっていて、認知機能に障害があることを自覚しながらも周囲にそれを隠して生活しているという設定。なるほど、”信用できない語り手”に叙述させる手法をここに持ってくるとは面白くなりそうな予感。ひょっとしたらジム自身も容疑者になり得るわけですから。
 ところが残念なことに、この若年性アルツハイマー病が事件そのものに大きく絡んで話を動かすようなことはありませんでした。ただひたすら、いかにジムが日常生活で様々なことを忘れてしまっているかが繰りかえし描かれるだけ。もうジムのいらだちや苦しみは充分わかりました。だから事件のほうを進めてくれ、と思うのですが、これがなかなか進みません。一方、現代のパートも過去とほぼシンクロしているので必然的に膠着状態に。さらに、ジェスとデッカーが関係者にインタビューをするシーンがあると、そのあとに録音した内容をポッドキャスト用に編集する作業が描かれるのですが、実質的には同じ情報を垂れ流しているだけで進展はなく、非常にフラストレーションがたまります。

話題作という期待も……、まさかの脱落危機!

 そんなわけで、全445ページの200ページあたりから読むのが苦痛になってきます。なんとか留まっていられたのは、とりあえず犯人が誰なのか知るまではやめるわけにはいかないという意地がかろうじてあったからでした。しかしその意地をも崩壊させんとする流れが……。
 後半、数人いた容疑者の中からいかにもといった典型的悪人に焦点が当てられ、そこからはその悪人視点でストーリーが展開し、犯人だということがわかってしまいます。この時点でついにフーダニットを追求する楽しみすら奪われることに。

ラストは迷走

 ジェスたちもその人物が犯人だと確信し、現在の保安官の協力を得てなんとか立件しようとしますが、その間に被害者カップルの遺族はその犯人とおぼしき人物に密かに私刑【リンチ】を加えて殺害してしまいます。それを知らないジェスは遺族に向かって、あなたがたの苦しみに終止符を打つためにも犯人を法で裁いてやりたいと宣言しますが遺族は、被害者が生き返らない限り自分たちの苦しみは永遠に続くのだからもういいの、あなたは手を引いてちょうだい、と言ってジェスにハグします。え、この話そこが着地点? キンドルの画面をタッチしてもそこから先はなかったのでどうやらこれがエンディングのようでした。

 あっけにとられた気持ちを引きずりながらアマゾンやgoodreadsのレビューをチェックしてみますと、レビューの全体数が多いゆえにネガティブな反応も結構あり、そのほとんどは私の気持ちを代弁していました。やはり繰りかえしの多さに読むのがきつかった、離脱した、という声が多く、なかには百ページは削れるだろ、百五十はムダ、といった意見も。あと、私はさほど気になりませんでしたが、主人公のジェスにいらいらする読者も結構多いようです。総合的に見ると、残念ながら読者を選ぶタイプの作品かもしれません。

 なお本書の続編『Blood Red Summer』はジェス・キーラー・シリーズの第二弾として2024年5月に刊行予定となっています。

 

 

 

第55回 スティーヴン・J・ゴールズ

 今回は、たまたまXを介して知った詩人/作家のスティーヴン・J・ゴールズさんの詩集をご紹介します。彼の新刊のカバーが個性的だったので興味を持ち、アマゾンでチェックしてみたらその独特な世界観に惹かれ、ポチッてみました。しかし待てど暮らせど来ない! なので、どうやらシリーズ物らしい、前巻にあたる本作『HALF-EMPTY Doorways and Other Injuries』を注文してみました。(こちらはすぐ来ました!)

 まず序文の冒頭にウィル・カーヴァーさんの一文が引用されています。ウィル・カーヴァーさんといえば本ブログでも第7回と8回でご紹介しています。自殺をテーマにした、なかなか興味深いミステリーを書いていたお方です。献辞にはチャールズ・ブコウスキーの名前も。そしてどこかの廃墟のような、がらんとした建物のドア口の写真。この写真に妙な懐かしさを感じながら詩を読み始めます。なぜか頭のなかでスマッシング・パンプキンズの曲が響き渡ります。この本には出会うべくして出会ったのかもしれないと思うほど、この世界観に共鳴するものを感じました。単に世代的に近いゆえの感覚なのか、なんなのかわかりませんが……。

 詩は全部で四十四編収められています。その中からいくつかピックアップしてみましょう。

For Y

 ごく短い間付き合っていた、元カノとすれ違う話。彼女は大型バイクに跨がって去って行った……。

 この詩集の入口を飾る作品としてはベストの選択だったのではないでしょうか。なんというか、村上春樹が描く短編の恋愛小説のような印象を受けました。ややいびつな、ある恋愛の断片。イラストもあり。ただ、全編にこのタッチのイラストが添えられているのですが、日本の漫画でいうところの小池一夫さん原作の劇画( 叶精作さんとか?)系でイメージがちょっと……。個人的には上条敦士さんあたりに描いていただけたらピッタリきたのになあ、と贅沢な妄想をしてみたり。

Jane Doe

 これは、何らかの特別な感情が込められた詩というよりミステリー小説の冒頭といった感じでこの女性はなぜ殺されたのか、一体何が起きたのか、興味がそそられます。

Often,I've noticed

 人生で最もつらいことが起こるとき、それは半開きの扉の前に立ったとき――意味深な文です。半開きの扉の向こうでは何が起こっているのか……。

Perpetual Motion

 お互いに利用しあう。We use each other up.この文は最初の『For Y』にもありました。(

We were just using each other) 恋に破れた者同士がいっときの癒やしを求めあう。互いに、長続きする関係ではないことを承知している、そんな状況でしょうか。その関係は互いの汚れた部分を漂白しあっているかのようで(like kitchen bleach to cover the stains of ourselves is always fun)互いの過去が、なかったかのように思える瞬間に救いを感じている。でもふと気がつくと、彼女のことを何も知らない。身体の関係はあっても個人的なことは何も知らない。彼女の心は前の恋ですっかり壊れていて、新たな男を受けいれる余裕はない。傷ついた者同士が互いに利用しあっているだけの関係。彼はそう自分に言いきかせながらも、彼女に恋をし始めている、そんなふうにも受け取れましたがどうでしょうか。

Beach Girl Blues

 ソープランドで働いている病んだソープ嬢の話。ソープランドSoap land)って日本特有の言葉だと思っていましたが、著者のスティーヴンさんは日本在住経験十七年ということなので、これは日本での出来事としてSoap landという言葉をそのまま使ったのかも知れませんね。

This is What It All Burned Down To

 三十八歳時点の著者のありのまま。日常のすべきことをし、愛する相手、そうでない相手、そのどちらかだと勘違いした相手と寝て、本を読み、本を書き、酔い潰れるまで酒を飲んで煙草を吸い、自分の首にかかった縄がじわじわと燃えて喉元に近づいてくるのを感じている、という詩。Your love with a bullet, it made me a fucking cripple,おそらくは自己破壊願望のある彼女の自殺騒ぎに振りまわされて消耗しきっているのだろうと思われます。I pull the trigger first now(中略)before they even realize I was never really there.もう殺るか殺られるかのところまで追い詰められているようです。

Antiseptic Cream

 この詩集の中でも高く評価されている一遍。アマゾンやgoodreadsのレビューでもこの詩を気に入っている方が多いようです。ある女性との、非常に波乱に富んだ関係を描いていますが、わたしが個人的に気になったのは比喩に用いられているNorth Korean missilesとかredioactiveといった言葉です。著者は十七年間日本で暮らしたということですが、ひょっとしてあの大震災を経験なさったのでしょうか。この詩に登場する女性(she)は、She almost killed me.とありますので、やはり『For Y』に出てきたthe one who almost killed meと同一人物でしょう。

Sadie,My Love

 この恋人とは、互いを噛みあったりする行為を楽しんでいたようです。しかし本当は著者はやめたいと思っている。でも、我慢してでも相手のしたいことをさせるのが愛だと自分に言い聞かせている。そんな気持ちを表しています。Sadieという名前もサディズムを連想させて、象徴的ですね。

I AM

 自虐の詩。よくもまあここまで自分の悪いところを集められたものだなと。STD- spreaderには笑った。意訳すると、性病ばらまき男?

Small Town Crimes

 女性が腕まくりをしたときに見えた自傷の痕。男は犯罪の目撃者になったような気持ちになる。事情を訊いてやらなければならないのだろうか。本心ではかかわりたくないと思っている自分に罪の意識を感じたりしている。

What We Talk About When We Talk About Anything

 お騒がせメンヘラ女の真骨頂の詩。幸せになると、それを壊したがる。まるで幸せになりたくないかのように。君は幸せになっていいんだよ、と言っても聞き入れない。不幸中毒者。この女性も作家なのでしょう。It doesn't help your writingとあります。こんなことをしても君の創作の助けにはならないよ、と。彼女は、そんなことはない、と反論する。でも結局創作活動のプラスにはなっていない。どうして愛するものすべてを壊そうとするのか。著者は理解できない、とあります。セラピーに行ったらどうなんだ、とも。妙に現実的なアドバイスですね。

Her Name was Jenny M

 八歳のときの著者と、姉の友達の十二歳の女の子とその妹との話。年上の女の子に対する淡い恋というより、性愛の目覚めと苦い終焉を描いた詩。なるほど、彼ののちの恋愛の経路はすべてここから始まったのですね。

For M+ N II

 父から娘への詩。著者は、自分が死んだあと娘たちが遺品を整理するときのことを考えています。

The Best Ones Are The Crazy Ones

 まさにタイトル通りのお話。いわゆるいいひと的な女性よりも自分を振りまわす奔放な女に惹かれてしまう。他の男と浮気をする、性依存症の女。父親の愛に飢えている女。自殺騒ぎを起こす女。そんな彼女たちを愛してしまうのは、彼自身自分のことが愛せないから、とあります。彼女たちと付き合うことで、不完全な自分を痛めつけている。それは、彼女たちの肉体を傷つけてはいないものの、精神【心】を傷つける行為だと自覚している、とわたしは解釈しましたがどうなのでしょうか。

An Epilogue

 最後を締めくくる詩です。著者は自傷グセのある女性が好きだけれど、それはどこか自分の内なる葛藤に彼女たちを利用しているだけだという自覚があり、ひょっとしたらそのことに罪の意識を感じてこのような詩を吐きだしているのかもしれません。

 

 いかがだったでしょうか。著者の生々しい自己の露出に圧倒されながらも深く引きこまれ、もっと他の作品も読んでみたくなりました。本作の続編的な作品だという新作は短編小説のようです。

早く届かないかな……。予定では到着一カ月以上先となっています。注文してからもう二カ月以上という……。



第54回 グラハム・バートレット

 更新がすっかり遅くなってしまい、もうしわけありません。今回は、サセックス警察ブライトン・アンド・ホーヴ管区に三十年間勤務し、退職時の役職は警視長だったというグラハム・バートレットのさんの作品『Bad for Good』をご紹介します。

 

【あらすじ】
 サセックス警察では効率化の名のもとに警察官の人員削減が行われ、そのせいで多発する犯罪に対処しきれなくなっていた。警察はあてにできないというムードが市中に広まるなか突如、民間警備サービスを名乗る者たちが街の犯罪者を始末しはじめる。そんな折、サセックス警察ブライトン・アンド・ホーヴ管区の管区長フィルの息子ハリーが刺殺される。ハリーは将来を嘱望されたサッカー選手で、プロのチームに入団が決まったばかりだった。捜査班を率いるのはフィルの直属の部下である警視長のジョアン(ジョー)・ハウだ。フィルは”利害の衝突”のために捜査に加わることができない。人手不足もあって捜査に苦戦を強いられているのはわかるものの、ジョーの捜査のやり方は手ぬるく感じられてフィルはいらつく。
 そこへ、謎の人物から電話がかかってくる。「息子を殺した犯人を捕まえてやるから十万ポンド払え」冗談じゃない、と無視していると、また電話がかかってきた。「払わないと、十五年前にジョアン・ハウと浮気していたことをバラすぞ」さらに電話の主は、ハリーがジムのロッカールームで腿にステロイドを打っている写真を送信してきた。それは禁止薬物だった。これをマスコミに流されたくなかったら言うとおりにしろ、と電話の主は言う。まさか息子がドーピングを?! 窮地に立たされたフィルは電話の主と会い、その男を影で操る人物の正体を知って愕然とする……。

バートレットさんの経歴について

 本書を語るうえでグラハム・バートレットさんの経歴を無視することはできません。彼はサセックス警察ブライトン・アンド・ホーヴ管区に三十年間勤務。公共秩序を維持するための武装チームの指揮官として大規模抗議デモやスポーツイベントの警備などを主導してきた経験を持っています。引退後は警察の犯罪捜査アドバイザーとなり、ピーター・ジェームズ、アンソニー・ホロウィッツ、マーク・ビリンガム、エリー・グリフィスといった作家に警察の捜査手続に関する助言を行っています。そう、本書の舞台となっているブライトン・アンド・ホーヴ管区はまさに彼の古巣です。臨場感あふれるリアリティーが伝わってくるのも当然といえましょう。

警察階級あれこれ

 そんなわけですから、バートレットさんが描く警察組織は非常に正確です。原書を頼りに私もざっと調べてみました。まずイギリスではロンドン警視庁をトップに、その下に地方自治体単位で組織されている地方警察が存在します。本書ではこの地方警察がサセックス警察で、このサセックス警察の管轄区域のひとつがブライトン・アンド・ホーヴとなっています。(この地方警察と所轄署は混同されがちですが別です)サセックス警察の長(chief constable)は管区本部長であり、警察の実務の責任者です。これより上の位置づけとなるのが警察・犯罪コミッショナー(police and crime commissioner)で、この役職には警察の仕事を監視、監査し、予算を決定する権限があります。

 管区本部長の下には各管区の管区長(divisional commander)が並びます。本書ではフィルがブライトン・アンド・ホーヴ管区(所轄署)の管区長を務めています。いわゆる署長的な立場のようですが、微妙に署長よりやや上といった印象です。その下の階級がchief superintendentで、本書におけるジョーの役職です。この役職は、ドラマや翻訳小説では署長と訳されていることが多いようですが、本書を読む限りではジョーは重大犯罪捜査課のトップという位置づけになっています。署長よりはやや下、といったところでしょうか。そして”署長”という名のつく役職はありません。ざっとこんな感じです。

テンポのよい、コンパクトな話運び

 本書の特徴のひとつは、いまどきらしいスピーディーな展開と簡潔な描写でしょう。登場人物は多いのですが、コンパクトな筆致で要所のみを押さえ、短いシーンで的確に必要な情報を読者に与えています。このスポット描写はいまどきの風潮にマッチしているともいえます。時短視聴などが好まれる現代にあっては、これぐらいのコンパクトさは心地よく感じられるくらいです。しかしどうやらこれは諸刃の剣ともいえるらしく、少数ではありますがレビューの中には、この早い展開についていけない、登場人物が多すぎて混乱するという意見も散見されています。そういった意味では、従来の古典的ミステリーのリズムに慣れている読者にはやや不評かもしれません。

メシウマ!リアリズム

 しかしなんといっても本書の最大の目玉は徹底したリアリズムです。いや、もうですね、派手なドンパチとか”映える”アクションシーンとか、そんなものよりもオイシイのがこれなんです。クライマックスは最後のほうの、警察の武装チームがギャングの要塞を突破するところなのですが、その襲撃シーンよりむしろ準備段階の入念な描写が緊張感をマックスに高めてくれます。SCO19(ロンドン警視庁銃器専門指令部)の戦術武装部隊の出動、タクティカルアドバイザーと国境警備隊海上部門の責任者との無線のやりとり、ヘリ部隊との連携、交渉人との打ち合わせ――など、リアル感満載のディテール描写にワクワクがとまらない! これだけでわたしゃゴハン三杯いけます。こういった描写こそ元警察官のバートレットさんの最大の強みでしょう。

 なお、本書はジョー・ハウ警視長シリーズとして、第二巻の『Force of Hate』まで出版されています。

第三巻『City on Fire』は2024年刊行予定です。

 

 

第53回 ジョン・ブラウンロウ その2

 今回は、第50回でご紹介したジョン・ブラウンロウさんの『Agent Seventeen』の続刊となる『Assassin Eighteen』をご紹介します。8月25日に刊行されたばかりの新刊です。

【あらすじ】

 かつて殺し屋界のヒエラルキーの頂点に立っていた17(セブンティーン)は、先代王者の16(シックスティーン)亡きあと、彼の家で隠遁生活を送っていた。そこへ、17を狙ったライフルの銃弾が飛んでくる。狙撃者を追って山へいくと、そこにいたのは九歳の少女だった。白人に他の人種が混じったような彼女の顔立ちに、17は何となくデジャブを覚える。

 少女は何を訊いても頑なに口を閉ざしている。わかったのはミレーユという名前だけ。この子は何者なのか。だれが彼女をここへ送ったのか。ミレーユをひとまず友人のバーブに預けて調査を始めると、あるモーテルでミレーユの母親らしき女性の死体を発見する。死体は酷い拷問を受けていた。その顔の血を拭ったとき、愕然とする。彼女は17がかつて愛した女性だったのだ。危険を感じてミレーユを引きとりにいくと、バーブは撃たれ、ミレーユはさらわれていた。ミレーユの命と引き換えに“ディープ・スレット”を要求してきたのは億万長者で白人至上主義者のウェンディ・ヒプキス。ウェンディの狙いは? “ディープ・スレット” とは何なのか? その謎を追って17は16(シックスティーン)の娘のキャットと共にノルウェーへと飛ぶ――。

前作を凌駕する面白さ

 前作『Agent Seventeen』は、スパイ物のカテゴリーに入る作品ではありますが、いわゆる従来のスパイ物とは違い、しっかりと今時の価値観に合った面白さを持つ新感覚のスパイ物とも言える作品でした。その流れを汲み、本書も当然面白いだろうと期待して読みはじめましたが、その期待はものの見事に裏切られました。自分の抱いていた期待がいかにスケールの小さいものだったかを強烈に思い知らされたのです。本書は控えめに言って前作の二倍、いや三倍面白い!!

手に汗握る、ノンストップアクション

 とにかく、息つく暇も与えないほどのアクションの連続。主人公の17に次々と振りかかる危機、また危機。まさに映画を観ているような臨場感。舞台はアメリカの各都市、そしてノルウェーブエノスアイレスへと広範囲に渡り、戦いの場も陸、海、空を全制覇。特にノルウェー領スヴァールバルでの、猛吹雪の中のツポレフとスノーモビルのチェイスは圧巻!

ピュアなロマンス描写

 もちろん本書はアクションがメインの冒険活劇ではありますが、その根幹をなしているのが実は純愛だったりします。17の、あまりにも切なく、残酷な初恋はこれだけで一本話が書けそうなほど濃密だし、後半から登場する前作からのキャラクターのキャットとの、ただの恋愛には収まりきらない複雑な関係の描写はエモーショナルで読者を泣かせること必至。ラブシーンもあるのですが、ここがブラウンロウさんのうまいところで、官能がまったくないのです。官能を抑えた筆致によって、いかにこのシーンがストーリー上必要なシーンかが逆に強く伝わってきます。こういうところ、個人的に好きですね~!

無意味にぶっこんだと思わせないポリ・コレ

 前作の感想でも触れましたが、本書からもジェンダーバイアスがほとんど感じられません。おそらくブラウンロウさんはこの点をかなり意識していると思われます。17の初恋の相手の黒人女性グラシアスは男性兵士として育てられ、男の殺し屋の仮面をかぶって生きていくのですが、それを、“自分の選択”と言い切り、楽しんでいる、とも明言しています。さらに、グラシアスの弟のマーヴェラスは二十六歳ですが、四十代の女性と恋に落ちて付き合っていることもさらりと描かれています。昨今ハリウッドでも年配の女優がエイジズムに対して声をあげる中、年の差にこだわらない、しかも女性のほうが年上の恋愛関係は多様性に合致しているといえるでしょう。また、前作に続いて登場の天才ハッカーのヴィルモスはホモで、プライド・パレードに参加したというエピソードが本書ではキーポイントになっていたりもします。本書が映画化されたときに備えてか、ポリ・コレ面もしっかりと押さえてあるのは、さすが映画脚本家というべきでしょうか。

ボーン・アイデンティティー』の後継作

 映画化権はハリウッドですで売れているということなので、具体的なプロジェクトの発表が待たれます。このシリーズが『ボーン・アイデンティティー』の後継者的位置づけのヒット作品になることは間違いないでしょう。ただ気になるのは、本書が”シリーズ物”とはどこにも書かれていない点です。ひょっとしてこの『Assassin Eighteen』でストーリーは完結なのでしょうか。だとしたらつらい……本書での17の最期を思うとあまりにも哀しすぎる! ブラウンロウさん、この際トンデモ展開でもご都合主義でも構いませんからどうか、実は生きていた、とかいうことにして続編をお願いします!