び~ふぁいる

主に未邦訳の海外ミステリーについて語ります

第8回 ウィル・カーヴァー その2

 前回の更新からあっという間に十日以上たってしまいました。そのあいだに春爛漫の陽気が訪れたかと思えば極寒の冬に戻って雪がちらついたり、地震が起きたり戦争が激化したりと世の中波乱に富んでおりましたが、皆様は体調など大丈夫でしょうか。かくいう私もがっつり体調を崩してしまいました。

 そんなこともあって更新が遅れてしまいましたが、今回は予告通りウィル・カーヴァーのペイス部長刑事シリーズ二作目『Nothing Important Happened Today』をお送りします。

 2019年に発表されたこちらの作品は、イギリスの大手新聞の書評欄で大絶賛されたりクライム・フィクション系の有名ブログでは年間のトップワンに選ばれるなど、前作以上に高評価を受けています。

たしかにインテリ層には受けそうな、オリジナリティーの高い実験的な作品と言えるかもしれません。表紙を開くとまず、各方面からの刺激的な称賛コメントが目に入ってきます。

『ショッキング、かつ文学的なノワール

『クライム・フィクションの定義を書き換えた』

『読んだ後は頭がf××××× upする』

 いやはや、すごいではありませんか。どんな作品なのか、さっそく見ていきましょう。

【あらすじ】

 ロンドンのチェルシー橋で九人が一斉にレールに繋いだロープを首にかけて、川に飛び込んだ。集団自殺だった。

 この九人はごく普通の市民だった。ただ、その日の朝、彼らに白い封書が届いた。中には、「今日はたいしたことが何も起きなかった」という一文が書かれた便箋が入っていた。それを読むなり、みんなは何かのスイッチが入ったかのように準備を始め、夕方にはチェルシー橋に集合していた。そして、全員初対面であるにもかかわらず、あうんの呼吸で川に飛び込んだのだった。死にたくない、と思いながら。

 九人のうちの一人、レヴァントという青年だけが遺書を残していた。そこには、『我々は〈選択の民〉。勇気を持つ者』と書かれていた。それによってこのレヴァント青年が〈選択の民〉というカルト集団のリーダーであり、集団自殺の首謀者とされた。

 そのニュースを観てショックを受けたのが、引退した元刑事でレヴァントの伯父のオールド・レヴァントだった。甥がそんなことをするはずがない、この件には黒幕がいるはずだ。彼は老体に鞭打って事件を調べ始める。

 そのころペイス部長刑事は署の規定に従ってセラピーを受けていた。前回、例の女性連続殺人事件を解決したわけだが、そういった猟奇的な事件の後はPTSDになる危険があるということで担当刑事はセラピーを受けることを義務づけられている。それでペイスは、何十年も警官を診てきたというベテラン精神科医であるドクター・アートゥのところへ通っていた。ドクター・アートゥのオフィスが入っているビルには、ほかにエリクソン、ロッシ、ミルトンという三人の精神科医がオフィスを構えている。ゆえにそのビルは彼らの頭文字を取ってERMAと呼ばれていた。ペイスはドクターとのセッションを適当にこなし、職場復帰可能というお墨付きをもらった。

 世間では〈選択の民〉の事件に触発されて、イギリスのみならず世界中で連鎖自殺が起きていたが、そんな折、本家の〈選択の民〉が今度はミレニアム橋から飛びおりた。人数は二人だった。

 オールド・レヴァントは計十一人となった自殺者の共通項を調べているうちに、何人かがERMAの精神科医に診てもらっていたことをつきとめた。自身も現役の頃ドクター・アートゥに診てもらったことがあるのでそれをつてに、話を聞くためERMAのビルを訪ねる。迎えたドクター・アートゥはオールド・レヴァントを覚えていて、後日他のドクターたちを紹介することを快諾した。

 一方、職場復帰をしてさっそく〈選択の民〉のファイルを調べていたペイスは元警官のレヴァントの名を見つけて興味を持ち、彼の家を訪ねるが誰もいない。しかし、部屋中に散らばる捜査資料やERMAと走り書きされたメモを見て、ペイスはERMAのビルに向かう。どのオフィスも鍵はかかっていなかったが、ドクター・アートゥのオフィス以外はがらんとしていて家具ひとつない。そう、ERMAは存在していなかったのだ。ドクター・アートゥが時間や日にちをずらして何十年もの間一人で四役をこなしながら患者を診ていたのだ。そして、今まで二百五十人以上の患者を自殺するように仕向けていた。ドクター・アートゥのオフィスには、プリントアウトした分厚い告白文が置いてあった。そこには、タワーブリッジの二十人で最後の仕事が終わると書いてある。ペイスはタワーブリッジへと急ぐ。 

 しかし間に合わず、到着したときにはもう二十人は身投げを始めていた。その中にはオールド・レヴァントもいた。彼はその日の朝、ドクター・アートゥから届けられた封書を開けていた。そしてそこに書かれている「今日はたいしたことが何も起きなかった」という一文を読むと、身体が勝手にタワーブリッジへと向かってしまったのだ。

 そばで彼らが身投げする様子を見ていたドクター・アートゥは、目の前にペイスが現れて一瞬たじろぐ。実はペイスにも封書を届けていたのだ。しかしペイスは前回の事件で知り合ったメイヴの誘いを受けて彼女の家で一夜を共に過ごし、翌朝は署に直行していたため封書は読んでいなかったのだ。ドクター・アートゥはすぐに平静を装った。ペイスに手錠をかけられ、車に乗せられても動じない。ペイスはドクターの本心を見抜いていた。逮捕されて告白文が公開されれば史上最悪のシリアルキラーとしてレジェンドになれる。それを花道にして自殺する気なのだろう。だから署には行かず、森へ行き、ドクターの手を手錠で枝に繋いで放置したまま去ったのだった。それからペイスは告白文を燃やした。

 こうして254人を殺した男は望みに反して世間の注目を浴びることなくこの世からひっそりと消えたのだった。

う~ん……いろいろとちがう意味で頭がf××××× upしました

 まず冒頭、第一章を示す1という数字のあとに225-233という数字が続きます。なんなのでしょう。ひょっとしてアレですか? マタイとかルカの何章とか何節とかっていう……などと思っていると、のっけから起きる出来事に圧倒されます。ロンドンのチェルシー橋で九人が一斉にレールに繋いだロープを首にかけて、川に飛び込んだのです。集団自殺です。確かにここでぎゅっと心を掴まれました。 

 次の章では時が少し戻り、その九人の死ぬ前の様子が描かれます。皆それなりに抱えていた悩みもありましたが、ごく普通の市民でした。ただ、その日の朝、全員に白い封書が届けられ、中に書いてある「今日はたいしたことが何も起きなかった」という一文を読むと、何かのスイッチが入ったかのように準備を始め、夕方にはチェルシー橋に集合し、全員初対面であるにもかかわらず一緒に川に飛び込みます。死にたくない、と思いながら。この九人はいったいなぜこんなことをしたのか。手紙の一文にはどんな意味が? がぜん興味を掻きたてられます。と、そこまでいったところでまた話は少し前に戻って九人の生活が描かれます。

って、さっき戻ったよね。戻って九人の日常説明したよね。なんでまた戻るん? 

 繰り返される内容にとまどいながらも謎が解き明かされるのを期待しながら読み進めます。しかしそこから話が進まない進まない。歴代シリアルキラーとカルト集団のトリビアに加えて、IT社会へ批判が続きます。〝クリック一つでデリバリーできる時代。人間は益々肥満になっている。飢餓より糖尿病由来の病気で死ぬ子供の方が多いではないか〟〝今の若い者はSNSにアップされた他人の幸せアピールの写真を見て自分を惨めに思い、鬱になっている。結局のところグーグルもファーウェイも若者を不幸にして稼いでいるだけ〟〝しかし今の若い者は苦労をせずに欲しい物を手にいれることに慣れきっていて、痩せたいと思ったら運動をせずに脂肪を落とす薬を飲めばいいと思っている。そんなだから物事の解決策に安易に自殺を選んでしまうのだ〟などといった居酒屋談義レベルの長広舌に〝本一冊が小銭で買えてしまうとは何事だ!〟という愚痴もさりげなくぶっこまれたりしています。これらは犯人の声だと最後にわかるのですが、この時点で読者には何も知らされていないので、ストーリーがどこへ行こうとしているのか見当がつかずフラストレーションだけが溜まります。

 しかしその後これといったひねりもなく、オールド・レヴァントがERMAと自殺者の関係に気づいたところで地の文によって犯行が明かされます。自殺者全員がERMAの患者で、封書の中の「今日はたいしたことが何も起きなかった」という一文を読んだら橋から飛びおりるようにドクターたちが患者を操ったというのです。そのやり方で、これまで224人を死に追いやってきました。チェルシー橋の九人はERMAによる225番目から233番目の犠牲者でした。そう、冒頭の225-233という数字は犠牲者の人数の番号だったのです。以上が事件の真相でした。

って、おーい! それで納得すると思ってんのかこのボケがァ!!

 などと汚い言葉が出かかるのを抑えつつ……。我々読者が知りたいのは〝どうやって操ったか?〟なのです。その封書の一文を読んだだけで、どうして死にたくないと思っている人間が一同に集まって身投げをするのか。そのからくりは? しかし本文にはこう書かれています。

『あなたがたがそれを知る必要はない。それをばらしたらすべてが台無しになってしまう。真実は知らないほうがいい。真実は往々にしてつまらなく、つらいものなのだから』

はぁ~?! 全287ページのうちの210ページまで引っ張ってこれですか

 結局そのへんのことは明らかにされないまま最後の事件に突入します。ERMAは、今度はタワーブリッジで236番目から255番目を身投げさせようとしていて、その中の242番はオールド・レヴァント、255番目はペイスでした。二人ともドクター・アートゥと話したときに自殺するようプログラムされてしまっていたというのです。しかも、実はERMAは存在せず、ドクター・アートゥが時間や日にちをずらして何十年もの間一人で四役をこなしながら患者を診ていたって、いや、ありえないでしょう。もう、何がなんだか、ぐっちゃぐちゃです。

 まあ、たしかにイライラさせられるところはありました。しかし、あえてこの作品が高い評価を受けている最大の理由を理解するとすれば……、身投げをする彼らのことを〝生きるために死ぬのだ〟と説明している一文がありますが、そこにすべてが集約されているのかもしれません。

 矛盾しているように聞こえますが、名もなき仕事をしている名もなき人々(本書ではnobodyという言葉が使われています)彼らは、死ななければ生きていることに気づいてもらえない ――彼らがいなければ社会は成り立たないのに、生きて仕事をしている限りその存在に気づいてはもらえない。死んで初めてそれまで生きていたことに気づいてもらえる。だから、生きるために死ぬんだ……これにはガツンときました。一方で我々現代人は多かれ少なかれ自分を殺して生きています。職場で、学校で、家庭で……周りとうまくやっていくために、社会の一員でいるためには自分を殺さなくてはならない。著者が作中でドクターの言葉を借りながら述べている現代社会への批判も突き詰めれば、生きるために死に、死にながら生きている現代人への皮肉に行きつくのではないでしょうか。そういう意味では、本書はミステリー史に残る非常に印象深い作品と言えるのかもしれません。

 さて、次回は、『窓際のスパイ』TV化記念ということで、日本中のおそらく誰も興味ないであろうミック・ヘロンについて考察します。

 英国臭、読みにくさという点においてはこのウィル・カーヴァーをも凌駕するミック・ヘロン。本国イギリスですら〝こんなん読めねーよ!〟と匙を投げる読者もいるくらい(勿論熱狂的なファンも多いですが)。じっくりやりますのでしばしお時間をいただきます。ミック・ヘロンの面白さはつまらなさ、退屈、訳のわからなさ、の先にあり。この拷問を一度通りぬけたら耐性ができて、虜になります。そこまで行けるか、挫折するかが問題ですが(笑)